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加納新太

  • 職業は著述家・作家・脚本家。自称では「物語探偵」。

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  • : 君の名は。 Another Side:Earthbound

    君の名は。 Another Side:Earthbound
    新海誠監督の映画『君の名は。』の小説版です。新海監督執筆の『小説 君の名は。』が、映画と同じストーリーラインを追うのに対し、こちらでは、短編集形式で登場人物を掘り下げをしています。「これを読むと映画の内容がすんなり理解できる」と角川の玄人衆から高評価を受けました。リアル書店では見つけにくい本のようなので、取り寄せ等の対処をお勧めします。

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    いなり、こんこん、恋いろは。
    月刊ヤングエース(角川書店)連載中の漫画『いなり、こんこん、恋いろは。』(よしだもろへ)の小説化です。この作品に惚れ込みました。表紙はよしだ先生に描いていただけました。幸せです。

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    アクエリアンエイジ 始まりの地球
    カードゲーム「アクエリアンエイジ」のマンガ版です。短編形式で6編収録されています。月刊コンプティークで連載しました。全編の脚本を書いています。

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    シャイニング・ブレイド 剣士たちの間奏曲
    RPG「シャイニング・ブレイド」の小説版です。サイドストーリーを集めた短編集です。主人公レイジとヒロイン・ローゼリンデが初めて出会うエピソードも収録されています。

  • : アクエリアンエイジ フラグメンツ

    アクエリアンエイジ フラグメンツ
    トレーディングカードゲーム「アクエリアンエイジ」の小説版です。公式Webサイトでの連載に加筆修正したものです。

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    小説 劇場版ハヤテのごとく! HEAVEN IS A PLACE ON EARTH
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    秒速5センチメートル one more side
    映画『秒速5センチメートル』のノベライズです。新海監督版の内容を逆サイドから描いた物語になっています。第1話がアカリ視点、第2話がタカキ視点です。第3話は交互に入れ替わって展開します。

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    シャイニング・ハーツ やさしいパンの薫る島
    RPG「シャイニング・ハーツ」の小説版です。原作の物語のサイドストーリー的な位置づけです。3人のヒロインは全員登場し、ゲームでは出番の少なかった海賊ミストラルも活躍します。牧歌的でやさしく、すべてが満ちたりた世界を書こうと思いました。満足しています。

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    fortissimo//Ein wichtiges recollection
    シナリオを担当しました。PCゲーム「fortissimo」のコミック版です。本編のサイドストーリーです。原作:La'cryma、漫画:こもだ。

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    世界めいわく劇場スペシャル
    全編ギャグのドラマCDです。シナリオを書きました。こういうのも書けます、というかこっちが得意技です。守銭奴の人魚姫、腐女子のマッチ売り少女、百合ハーレム状態の白雪姫、全ての言動が破滅的なシンデレラ、などが世界の名作童話をむちゃくちゃに解体します。役者さんにはほとんど無茶振りともいえる「一人最大9役」を演じていただいています。

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    シャイニング・ウィンド -アナザーリンク- 鬼封じの剣士
    RPG「シャイニング・ウィンド」の小説版です。ゲーム本編のノベライズではなく、主人公たちの過去の物語を書きました。自分に伝奇小説が書けるか、ジェットコースター型の展開が書けるか、というのが、個人的なチャレンジでした。ありがたいことに、かなり好評を博しています。

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    シャイニング・ティアーズ to ウィンド 姫君たちの冒険
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    ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる
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    シャイニング・ティアーズ 神竜の剣
    RPG『シャイニング・ティアーズ』の小説版、続編です。単独の本としても読めるつくりになっています。作者としては、前作よりも納得のいく出来です。勇ましい物語です。

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    雲のむこう、約束の場所
    原作/新海誠。劇場アニメーション映画『雲のむこう、約束の場所』を小説化したものです。装丁がとても美しく、それで手に取った方も多いようです。

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    シャイニング・ティアーズ 双竜の騎士
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    タウンメモリー
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    月姫 アンソロジーノベル〈2〉
    PCゲーム『月姫』を題材にしたアンソロジー短編集、第2巻です。第二話『天へと至る梯子』を執筆しています。琥珀が主人公です。

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    月姫 アンソロジーノベル〈1〉
    PCゲーム『月姫』を題材にしたアンソロジー短編集です。遠野秋葉が主人公の第一話『かわいい女』を執筆しました。

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2021年2月10日 (水)

「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(3)

『ドラゴンクエストミュージアム』にて展示されていた、ドラクエ3の制作資料から、(製品版とは違う)制作初期の構想を読み解いていこうというシリーズです。
 今回は第三回です。

 第一回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(1)
 第二回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(2)

 

 今回はバハラタ周辺とランシールを取り上げます。おもに「賢者」の話になります。

 ※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 小説版、外伝等は参照しておりません。

 

■いっけん、製品版どおりなんだけど……


 今回も例によって、イベント会場で私がうつしとってきた手書きのメモを掲示しますので、それを見ながらお読みいただくと良いと思います。

 この記事でいくつか掲示する、白地図に書き込みをしたようなものは何かというと、堀井雄二さんがドラクエ3の構想を記した手書きのマップです。

 ワールドマップを描き、そこに町やらダンジョンを描き加え、そこで起こる事件や、手に入る重要アイテムをメモしたものです。

 堀井さんはドラクエを作るとき、この作業を最初期に行うそうです。なので、「堀井さんが最初に構想した内容が、そのままダイレクトに出ている」というのがこの資料です。

 最初期の構想なので、製品版との間に、いくつか違いがあります。その違いをみることで、「堀井さんは当初こういうことをドラクエ3でやろうとしていたのか」が推測できるというわけです。

 当記事に掲示される画像はすべて、『ドラゴンクエストミュージアム』にて展示された制作資料を、私が手書きで部分的に再現したものです。画像で示されている内容は、株式会社スクウェア・エニックスと共同著作者の著作物です(アーマープロジェクトも権利を持っているはず)。著作権法第32条に基づき、研究を目的とする引用としてこれらを掲示します。展示会場で書き写したため、写し間違いが生じている可能性があります。これらの画像の転載・改変・再配布を禁じます。孫引きも遠慮してください。

 地図記号の内訳はこうです。

 回 城(K)
 ◎ 町(M)
 ○ 村(V)
 ☆ ほこら(S)
 I 塔(T)
 ■ 洞くつ(D)


 初期構想におけるアジア圏をみていきましょう。

(初期設定資料バハラタ・ダーマ周辺地図・抜粋)

Img053b

 さて、まずはインドと推定される位置に、町◎M6があり、「黒こしょう」と書いてあります。その上に洞くつ■D8があり、「とらわれ娘」と書いてあります。

 これは製品版とまったく同じ、バハラタの町カンダタのアジトです。盗賊カンダタにさらわれた娘を助け出してバハラタに連れ帰ると、黒こしょうを売ってもらえるようになる。黒こしょうをポルトガの王様に献上すると、船が手に入る……という流れです。

「盗賊にさらわれた娘を助け出して、黒こしょうの提供を受ける」というクエストは、制作最初期から構想されており、製品版でもその通りに実装されたわけですね。

 次に、視線を右に動かして日本列島。V9の位置にジパングの村があり、その隣にダンジョンD9が置かれています。これも製品版のとおりです。

 D9に「くさなぎのけん」と書いてありますので、「ジパングでやまたのおろち退治をする」というクエストも最初期からすでに存在していたと見なせます。

 われわれがダーマ神殿として知っている施設の位置にお城、回K7「転職の寺院」と書いてあります。ダーマ神殿は転職のための施設なのでこれも製品版と一致。

 その右上に塔T2があり「さとりのしょ」と書いてあります。製品版ではここにガルナの塔があり、さとりのしょが置かれていますから、これも製品版のとおりです。

 ダーマ神殿とガルナの塔は、チベットと推定される場所に位置しており、製品版のさとりのしょ(悟りの書)は上位職「賢者」になるためのアイテムです。
 秘境におもむき、踏破困難な塔にのぼり、「より高みをめざすのだ」という意思を示した者に、賢者への道がひらかれる……というストーリーになっています。

 なんだ、この画像に載っている要素は、ぜんぶが製品版どおりじゃないか、ということになるのですが。

 じつは別の資料とつきあわせると、違う意味が生じてくるのです。


■さとりの書(僧侶のみ使用可能)

 ドラクエミュージアムの展示ブースには、堀井雄二さんの手書きによる、アイテムリストも展示されていました。これもごく初期に書かれたと推定されるものです。

「こういう効果を発揮するアイテムを必要とするので、実装可能なようにシステムをつくってね」とプログラマに伝えるためのものかなと思います。

 そのリストの一部分の抜粋ですが、こんなことが書かれていました。

 

Dq_satori_b

 

「道」は「道具」の意味です。武器には「武」、防具には「防」と書かれています。

 ゆ せ ま そ
 ぶ け し あ

 とあるのは、それぞれ「ゆ=勇者」「せ=戦士」「ま=魔法使い」「そ=僧侶」「ぶ=武闘家」「け=賢者」「し=商人」「あ=あそび人」を意味する記号です。

 この記号にマルがついている職業だけが、このアイテムを使用(装備)できる、という仕様を指示したものです。

 たとえばラーのかがみの欄を見ると、全職業にマルがついています。パーティーの誰が使用しても効果を発揮する、ということですね。
(効果欄の「猫馬の呪いをとく」が気になった方は、「前回」をご覧下さい)

 このリスト、「さとりのしょ」の欄を見て、ビックリしたのです。

 まず「そ」にだけマルがついている。つまり「僧侶のみが使用可能」という仕様が明記されているのです。そのうえで、

「最大MPが10~15アップ T2にある」

 という効果が書かれている(T2はガルナの塔)。

 前述のとおり、製品版のさとりのしょは、「パーティーメンバーの誰か一人を賢者に転職させる」という効果です。

 ところが初期構想ではそうではなかった。「僧侶の最大MPをアップさせる」というアイテムだったのです。

 僧侶のためのアイテムがガルナの塔に置いてあるのですから、初期構想でのガルナの塔は「僧侶のためのクエスト」だったってことになります。

 ガルナの塔はチベットとおぼしき位置にあります。
 秘境チベットはチベット仏教の聖地

 だからストーリーとしてはこんな感じになります。

 アリアハンで見習い僧侶をやっていた人物が、「自己をもっと研鑽しよう」という志をたて、とある若者(勇者)の旅のお供をする決心をした。

 広い世界を旅してまわるうち、世界の果ての山奥に、聖職者たちの聖地をみつけた。

 修行して、より高い存在になりたいと思った僧侶は、山をのぼり、塔をのぼり、その塔に渡しかけられた細い一本のロープを渡り、悟りの奥義が書かれた書物を手にいれた。

 そして彼(彼女)は、「僧侶としての」より高い能力を手に入れたのである……。

 この、僧侶と「さとりのしょ」をめぐる話、まだまだ続きます。


■賢者の石ランシールに眠る

 製品版のドラクエ3には、オーストラリア(だと思われる)位置にランシールの町があり、その中にランシール神殿があります。

 製品版のランシール神殿からいける「地球のへそ」という洞くつは、パーティーメンバーから離れて一人で探索しなければならないルールになっており、その奥底にはブルーオーブが眠っています。

 初期構想ではこの地方はこうなっていました。

(初期設定資料ランシール周辺地図・抜粋)

Img054b


 初期制作資料にみえるオーストラリア大陸には、ランシールの町はありませんが、「地球のへそ」に相当するダンジョン(■D10)はあります。

 そこには、入手できるアイテムとして(なんと)「けんじゃの石」と書いてあります。そして説明書きとして「誰がいくかで見つけるものがちがう」とあります。

「誰がいくかで」と書いてあるのですから、この初期段階ですでに「当ダンジョンには一人でしか突入できない」という構想はあったことになります。

 この初期資料に書いてあることを素直に読めば以下のようになります。

 ドラクエ3は、いろんな職業の仲間をひきつれて旅するゲーム。一人でしか入れない洞くつに、どの職業の仲間をつっこむかで、見つかるアイテムがちがうようになっている。

 たとえば戦士で行けばいかつい鎧が手に入るのかもしれないし、魔法使いで行けば賢さの種が手に入るのかもしれない。

 その中で、とある職業を選んで突入した場合、最奥部の宝箱に入っているものは「けんじゃの石」である。

 と、こういうことでしょう。


■賢者になるための「クエスト」

 ここからが私の想像。

 まず第一に、この初期設定において、けんじゃの石を見つけることができる職業は「僧侶」だと思います。

 第二に、この初期設定における、けんじゃの石の使用効果は、「賢者への転職が可能になる」だと思うのです。

 そう思う理由を述べます。

 製品版の「けんじゃのいし」は、使うと無限にベホマラーが打てるチートレベルのアイテムでした。ラストダンジョンに置いてあり、事実上、ラスボス戦のお助けアイテムとなっています。

 こんな強力なアイテムが、上の世界の中盤で手に入ってしまってはまずい。
 だから、初期資料に(ここ、ランシールに)書かれている「けんじゃの石」は、ベホマラー効果のアイテムであったはずがない、と私は考えるのです。

 別の効果を発揮するアイテムとして、想定されていたはずです。

 前述のとおり、ガルナの塔で手に入る「さとりのしょ」は、製品版では「賢者への転職を可能とするアイテム」なのですが、初期設定時には「僧侶の能力をちょっと底上げするイベントアイテム」にすぎませんでした。
 初期構想では、ガルナの塔に登っても賢者にはなれないのです。

 では、初期構想では、「何を手に入れたら」賢者になることができる想定だったのでしょうか。

 ひょっとしたら、何も手に入れなくとも、ダーマ神殿に行くだけで賢者になれる……んだったのかもしれませんが、「僧侶をいくぶん強くする」ために専用ダンジョンとアイテムが用意されているのに、鳴り物入りの上位職・賢者になるためには何も用意されていない、というのは、いまひとつ間尺に合いません。何かあったほうが自然なのです。

 賢者になる……?

 よく考えてみると、けんじゃのいしを使うとなぜ全体回復の効果があるのでしょう。私はいままで「とにかくそういうものらしい」で納得していました。もう「とにかくそう」くらいしかいいようがないでしょう。

 でも「けんじゃのいしをつかうとけんじゃになれる」だったらどうでしょう。これはダイレクトに納得させる力があります。だって「けんじゃ」って書いてあるんだもんよ。


■地球のへそに僧侶で潜れ

 地球のへそに僧侶で潜った場合にのみ、「賢者になることができるアイテム・けんじゃの石」が入手できる想定だったのだろうと私は考えます。それはなぜか。

 初期構想時の地球のへその、ダンジョンとしての規模が、製品版と同じくらい広くて深いものだったと想定しましょう。

 そんなダンジョンを単騎で踏破できるのは、回復呪文を使用できる職業だけだろうと推定できます。ぶっちゃけ、勇者か僧侶でないとまともな踏破は不可能でしょう。

 戦士や魔法使いでクリアするというのは、ラスボス撃破後くらいのレベルになってから、ちからの盾か何かを持ち込んでの話になりそうだ。

 勇者が単騎で挑み、けんじゃの石を持ち帰るんじゃダメなのか?
 ダメだと思います。
 なぜなら勇者は転職できないからです。転職できない以上、賢者にもなれません。

 このダンジョンは、「一人で苦難に挑み、その当人にふさわしい宝を持ち帰る」という意味を持ったクエストだと想定できます。

「勇者がけんじゃの石を持ち帰り、誰か適当なパーティーメンバーを賢者にする」のでは、勇者が味わった苦難の成果に、別の誰かがフリーライドするというかたちになってしまいます。

 はっきりいってしまえば、「僧侶が試練を受け、そのごほうびとして、僧侶が賢者に転職する」。このクエストはそういう想定で組まれていると考えます。

 ドラクエ3は、初見プレイを僧侶ぬきで進めるのは極めて困難なゲームです。ほとんど、たいてい、大多数のプレイヤーは、最低1人の僧侶をパーティーに加えているはずだ、と制作側は想定可能なのです。

 初見プレイで合理的にプレイしていれば、プレイヤーは、僧侶か、魔法使いか、そのどちらかを賢者にするはずだと想定できます(あえて戦士を賢者に、みたいなのは、仕様がわかった二巡目からの話でしょう)。
 魔法使いがいないパーティーは初見プレイヤーでも普通にありえます。でも、僧侶がいない初見プレイは考慮しなくてもよいほど少ないので、僧侶を焦点としたクエストはだんぜん実装しやすい。

 さらにいうと、ガルナの塔の「さとりのしょクエスト」との二段構えになる。


■光だけでなく闇をも知ること

 ドラクエ3における「賢者」は、僧侶の治癒呪文と、魔法使いの攻撃呪文の両方を、フルサイズで使用できる職業です。下位二職の、ほぼ上位互換です。

 神の力も持ち、魔の力も持つ。治癒破壊をひとつの身で同時にきわめる。
 それは「光と闇」「天上と、地の底」という言い換えが可能だと思うのです。

 賢者になろうという者は、その両方の世界を知っていなければならない……という思想がありそうな気がする。
 賢者は、天界の光を呼び寄せて人を癒やすことを知っていなければならないし、地の底によどむ暗い破壊衝動も知っていなければならない。

 いま……(つまり初期構想のストーリーでは)その人物は、山脈の秘境にある聖職者の聖地で、天界そのものに届きそうな高い塔に登り、光を極めるという試練を経た(さとりのしょの獲得)。天の光を知るというクエストをクリアした。

 でもそれだけでは、すばらしい僧侶にはなれても、賢者にはなれないのだ(という思想がありそうだ)。
 賢者であるためには、天の光だけでなく、地の底によどむ闇の力も知らなければならない。なぜなら、世界は、そして人間は、その両極でできているのだからだ。

 だから彼(彼女)は、たった一人で深くて暗い地の底、地球のへそという迷宮に潜り、闇を見据えてこなければならない。光の極まるところを見て、闇の極まるところを見てきた。その両方を知る人物こそが「かしこき者」=賢者にふさわしい。

 ……というような「ストーリー」が構想されていたとしたら、これは気持ちよく整合するよね、と私には感じられるので、そういう仮説を提案するわけなんです。


■ドルマ系とイオ系

 ドラクエ7までの賢者は、上述のドラクエ3と同様、「僧侶の呪文と魔法使いの呪文を両方使いこなす」というコンセプトです。ここでいう魔法使いの呪文とは、イオ系(光属性)やヒャド系(氷属性)などです。

 ドラクエ10やドラクエ9では(と、この順番なのは、企画が立ち上がったのがこの順序だから)ここに変更が加わっています。
「回復呪文と攻撃呪文を使う」というコンセプトは同様なのですが、魔法使いが使うメラ(炎)・ギラ(炎)・ヒャド(氷)系呪文が使えなくなりました。

 そのかわり、攻撃呪文として「ドルマ系(闇属性)」が新設され、「賢者はドルマ(闇)系とイオ(光)系を得意とする」という新設定になりました。

 これはもう文字通りの「光と闇を同時に知る者」という表現です。ドラクエ10の賢者転職クエストでは、「心の中に闇をかかえていない者は決して賢者になれない」というそのものズバリのストーリーが描かれます。

「賢者というのは、治癒と破壊、光と闇を同時に知る者だ」
 という思想が、ドラクエ3のころから、伏流水のようにドラクエシリーズにずっと隠れていたんじゃないかと思うのです。
(そういえば3の魔法使い最強呪文はメラ「ゾーマ」。「闇そのものである存在」の名前が入っている)

 そしてドラクエ10と9のディレクターを務めた藤澤仁さんが、そういう思想を、師匠の堀井さんから聞いていたとしても全然おかしくない。
 時おりしも、ドラクエモンスターズ・ジョーカーで、モンスター専用呪文としてドルマ系というのが導入された。
「堀井さん、この闇系の呪文というのを、賢者に導入してはどうでしょうか」
 ひょっとしたらそんな提案をしたかもしれません。
(言い出したのは堀井さんであってもかまいません)


■フラクタル構造(どうしてボツになったか)

 以上のような仮説をよしとする場合、ドラクエ3の中で、まったく同じ構造がもう一度リフレインされます。

「天界にいちばん近い山の上にある竜の女王の城に行き、光の玉を手に入れ、もっとも闇が深いところにひそむ魔王のところに持って行く」

 というのが、ドラクエ3の最終的なクエストです。これは上述の「光に触れ、闇にも触れる」という「賢者転職クエスト仮説」とまったく同型です。

 ドラクエ3の序中盤でこの構造があらわれ、ドラクエ3全体においても、この構造でしめくくられるのですから、いわゆるフラクタル構造(部分と全体が同じかたちをしているもの)になり、美しいのです。

 そしてそれ自体が「この構想がボツになった理由」だと考えます。

 容量が足りなくて、イベントを大幅に削ろうよ、となったとき、「光と闇の両方を極めよう」という意味のイベントがふたつあるから、ひとつ削ろう、という話になるのは自然です。

 また、僧侶にスポットが当たりすぎる、というバランス感覚もありそうです。「この物語が誰のお話なのかが、ぶれるよね」という判断がなされていそう。


■僧侶しか賢者になれないのか?

 ……と、以上のようなことが、ドラクエ3の「フィールドマップ・ラフコンテ」から私がむやみに想像をめぐらした仮説です。

 こういう疑問が生じそうです。「では、初期構想のドラクエ3では、僧侶しか賢者になれない想定だったのか?」。

 それについては、
「僧侶でないと転職アイテム《けんじゃの石》は入手できないが、入手したあとは、誰でも賢者になれる仕様だっただろう」
 というのが、私の考えです。

(資料の初期アイテムリストに、けんじゃの石が載っていたら、そういうことも一発でわかったでしょうが、あいにくミュージアムにはそのページは掲示されてなかった)

 ストーリーラインを追っていけば、あきらかに、僧侶が賢者に転職するのがふさわしいと感じるように作られている
 が、ゲームの仕様としては、僧侶以外でも賢者になれる。

 ……というつくりになっているのがドラクエっぽいよね、と感じるのです。

 たとえばドラクエ2の「みずのはごろも」。機織りの達人ドン・モハメはみずのはごろもを「ムーンブルクの王女が着るのがよかろう」といって手渡してくれるのですが(アイテムのイメージとしても、それがふさわしいと感じられるのですが)、サマルトリアの王子も、まったく問題なく着用可能です。

 また、ドラクエ5の嫁選び。ストーリーラインを追っていけば、誰がどう見ても、「ビアンカを嫁にするのが物語としてふさわしい」といえるものになっています。
 でも、フローラを嫁に選ぶことができますし、それで何の問題もなくストーリーは展開していきます。

「ストーリーとしては、明らかにこっちを選ぶのが正しいように語られているが、そうでないほうをあえて選んでも全然問題ない」
 という作り方をドラクエは好むのです。

 なので、この記事の仮説が正しい場合、「勇者以外の誰でも賢者に転職可能」という仕様が選択されただろうと考えます。

 でもそうだとすると、
「勇者ではけんじゃの石を持ち帰れない、なぜなら試練のフリーライドが発生するから」
 という議論を経ているのに、僧侶が持ち帰った賢者の石を他のパーティーメンバーがフリーライドするのはOKだというのか? 矛盾してるじゃないか。
 という話になりますよね。

 それについてはこう思うのです。「そのくらいの矛盾はべつにあってもいいんじゃないかなあ」
 ほかの大部分が、わりときれいに説明できているので、多少合わないところがあっても、まあいいかっていう感じです。こういう「多少の合わない部分」が許せないせいで、せっかくの魅力的な仮説を、自分で捨てちゃうっていう人が多いような気がするんですね。

「たいしたことない部分をいちいち合わせないほうが、全体の魅力は増えることが多い」という経験則を私は持っていますので、みなさんもそのくらいに大ざっぱにとらえてみてはどうでしょう。

 そんな感じでご機嫌をうかがっておきますね。本日(この記事の更新日)、ドラクエ3の発売33周年記念日だそうです。33年たってもまだいくらでも語れるのだから凄い。

 

2021年1月21日 (木)

【ドラクエ10】神話の再現・破界篇(想像力での遊び方)

 ドラゴンクエスト10のストーリー、とりわけ『破界篇』のネタをなんの躊躇もなく割りますので各自ご対応願います。

 ※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 小説版、外伝等は参照しておりません。

 ドラクエ10のバージョン5.4メインストーリーで、創造神ルティアナが復活しました。その過程で、わりとくわしい創世神話が語られました。

 ご存じの方も多いと思いますが、私は、バージョン3の段階で、「ルティアナの正体は、ドラクエ9の世界から旅立った女神セレシアだ」と想定しておりまして、その仮説とのあいだにべつだん大きな齟齬はありませんでした。

 それに関して詳しいことはこちら。
『女神ルティアナ、あなたはだぁれ』

 違うとこといえば、「グランゼニスが人間を作った」と言い切られたことくらい。
 それと、ルティアナが元いた世界がドラクエ9だとしたら、どうもドラクエ9の世界は滅びてしまっていそうなことが語られたことくらい。
 だとすると、「元の世界の人々や生き物を移住させるためにアストルティアを作った」みたいな動機があったとしてもおかしくないかなとか、そんな感じでした。

 なので、本稿でも、「ルティアナの正体はドラクエ9のセレシア」というお話を前提として話を進めますので、よろしくどうぞ。


●偽のレンダーシアという世界

『破界篇』という外伝的ストーリーが実装されました。

 ドラクエ10の世界の中央部・レンダーシア大陸は、「真のレンダーシア」と「偽のレンダーシア」に分かれています。
 真のレンダーシアは、創造神ルティアナがクリエイトした大陸。
 いっぽう、偽のレンダーシアは、創造神の力を手に入れた魔王マデサゴーラがたわむれに作り出した「真の大陸のパロディ作品」です。

 この偽のレンダーシアは、存在自体が脆弱なので、崩壊しかけている……というのが『破界篇』の前提です。

 どうやら、不安定な世界というのは、周囲にある健常な世界に対して悪影響をおよぼすらしいです。そこで、「不安定な世界を消去する」というシステムが、宇宙それ自体にそなわっているらしい。このシステムを運用しているのは「天使」です。

 その天使システムが、不安定な偽レンダーシアに目をつけた。偽レンダーシアと、そこに住む人々は消滅の危機にさらされている……というのが、このお話の始まりです。

(この説明は、わかりやすくアウトラインをのみこんでもらうために、ディテールを省いています。なので「もっと詳しく正確にいうとこうじゃないか」という指摘をしたくなるかもしれませんが、ご遠慮下さい。以下同じです)


●『破界篇』はどういう物語か

 世界を消去する天使システムは、世界消去の実務を担当させるために、大魔王マデサゴーラのコピーを生成しました。
 マデサゴーラは偽レンダーシアの創造主ですが、偽レンダーシアを完成させる前に、志なかばで死亡しました。マデサゴーラは芸術家魔王なので、「未完の作品を自分の死後に残しておきたくない」という感情をもっており、陶芸家が不出来な作品を割るような感じで、偽レンダーシアを消そうとするのです。

 いっぽう、
「偽レンダーシアは、そこに住む人々にとっては唯一の世界ではないか。かってに壊していいはずがない」
 と考えて、立ちあがった女の子がいました。クマリスという女性です。

 なんの躊躇もなくネタを割りますが、クマリスの正体は魔勇者アンルシアです。かつて生前のマデサゴーラが作り出した、勇者姫アンルシアのコピーです。

 魔勇者アンルシアは、その昔、大魔王の手下としてたいがいな悪事をはたらいていましたが、しかし同時に彼女は「勇者のコピー」でもあるのです。だから「この世の人類を守る」という使命感もそなえていたのです。

『破界篇』では、「世界を消去しようとする大魔王マデサゴーラ」と、「世界を崩壊から守ろうとする魔勇者アンルシア」の闘争が語られます。

 その戦いの結果、偽レンダーシアは崩壊の危機から脱して、存続することが決まります。魔勇者アンルシア=クマリスはその代償として勇者の力を失いますが、そのかわり、偽レンダーシアの美しい世界を心のままに旅する自由を手に入れます。


●再現される神話

 さて、以上の話をもっとぎゅっと圧縮するとこうなります。

『破界篇』は、世界を滅ぼそうとする男性超越者(マデサゴーラ)と、世界を滅亡から救おうとする女性超越者(魔勇者アンルシア)との闘争のお話。

 そうやってつづめてみると、あれっ、すごく身近なところでみおぼえがありました。

 ドラクエ9は、世界を創造した男神グランゼニスと、その娘である女神セレシアの対立構造が基本設定でした。
 グランゼニスは人間を滅亡させようとし、セレシアは人間を守ろうとしたのです。

 これを一息に言うとこうなるのです。

『ドラクエ9』は、人間を滅ぼそうとする男性超越者(グランゼニス)と、人間を滅亡から救おうとする女性超越者(セレシア)との闘争のお話である。

 わたしたち主人公の助力によって、女性超越者の側が勝利する……という部分までふくめても、構造が同一なのです。

 つまり『破界篇』は、「ドラクエ9のリフレイン」のような性格をそなえたエピソードであると、言えると思うのです(なにせ、天使が登場したしね。ご存じの通り、ドラクエ9の主人公は天使)。

 前述のとおり、私は、
「ドラクエ10はドラクエ9のはるか未来の時代の話であり、女神ルティアナの正体は女神セレシア」
 だと思っていて、それを前提に考えているので、

「『破界篇』で語られた物語は、『ドラクエ9神話』の再現だ」

 というふうに認識するのです。


●天使たちのゆくえ

 ここから先は、私の想像力ベースのお話。物語のスキマを、てきとうな想像で埋めていくターンです。

 バージョン5.4で語られたアストルティア創世神話が、ドラクエ9から接続してるものと考える場合。
「とこしえのゆりかご」(ドラクエ9の世界)が滅ぶとき、創造神グランゼニスは女神セレシアに世界創造能力をゆずりわたして、虚空にむけて旅立たせた……ということになるわけです。
(5.4に、そんな感じにとれる神話描写があります)

 ドラクエ9の世界には、天界があって、天使がいます。のちに女神ルティアナと呼ばれることになる女神セレシアは、ドラクエ9の世界が滅ぶとき、以下のようなことを言ったとしたら、『破界篇』の内容と整合しませんか。

「あなたたち天使は、すばらしい力をもっているのだから、ひとつの世界だけにとどまらせるのは惜しいのです。この多元宇宙におけるさまざまな世界におもむいて、いろんな場所で、人々に力をかしてあげなさい」

 セレシアからそういう使命をあたえられて、さまざまな世界に顔を出した天使たちは、あるとき、滅亡に瀕したひとつの世界を発見する。

 この世界を救えば、そこに住んでいる人々は生きながらえるかもしれないが、世界が崩壊したときに、近隣のよその世界にダメージがおよんでしまう。
 この世界を消去すれば、よその世界に迷惑がかからないですむが、人々は滅亡することになる。

 さて、この世界をどうすればいいんだ……と、天使たちが困り果てたときに、ふと、こんなことをいいだした天使がいた。

「われわれがいた元の世界も、『人間を滅ぼすのか、人間を生かすのか』という二択にせまられたことがあった。そのとき、人間を滅ぼしたい創造神と、人間を生かしたい女神が、勝負をして決めたのだ。その故事にならおう」
「この世界のなかから、『世界を滅ぼす側の代表戦士』と『世界を救う側の代表戦士』を選出して、戦わせよう。その結果で、世界の運命を決めることにするのだ」

 天使たちが記憶している神話のなかから、そういう儀式形態が発明された。天使たちはこれ以後、滅亡に瀕した世界を発見すると、代表戦士を選出して、戦わせることで、滅亡か存続かの二択をきめるようになった。

 そしていま、天使たちは、「偽レンダーシア」という滅びに瀕した世界を発見した。天使たちは、『世界を滅ぼす側の代表戦士』としてマデサゴーラを、『世界を救う側の代表戦士』としてクマリスアンルシアを選出し、互いに戦わせる儀式をはじめた。

 前述の通りこれはわたしの単なる想像なんですけど、このくらいに考えておくと、物語中のいろんな描写とうまいこと接続して、わたし個人は気持ちいいのです。

 その想像の続きとして、以下のような感じのことも考えてます。


●クマリスアンルシアはどうなっていくのか

『破界篇』で語られた儀式形態が、『ドラクエ9神話』の再現だとすると、マデサゴーラは創造神グランゼニスのポジション。クマリスアンルシアは女神セレシアのポジションになります。

 偽レンダーシアを創造したのはマデサゴーラ、ドラクエ9世界を創造したのは創造神グランゼニスなので、その意味でもポジションが一致します。
(世界を創造した男性が、滅亡側の戦士になる)

 さらにいうと、クマリスアンルシアを生み出したのはマデサゴーラです。そして女神セレシアを生み出したのは創造神グランゼニスなのです。「父と娘」という関係性まで一致しています。

「クマリスアンルシアは、偽レンダーシアにおける、女神セレシアのようなポジションである」

 という構造が、わたしの個人的な好みにぶっちゃけむちゃくちゃ刺さります。

 偽レンダーシア世界を遍歴するようになったクマリスアンルシアが、このあと、どのような存在になっていくのだろう……というのは、『破界篇』をやった人全員が気になるところだと思うのですが、それを想像する際に、「クマリスちゃんはセレシアポジション」という補助線をひくと面白いんじゃないだろうか。

 まず、ひとつの考え方として、というか素直に考えるなら、クマリスアンルシアは勇者姫アンルシアのコピーなのだから、「偽レンダーシアを守護する裏・勇者姫になっていく」というのはありそうなことですよね。
 クマリスアンルシアはスーパーパワーを喪失していますけど、そんなの、グランゼニス神(ルティアナの末子のほうの)がひょっこり現れて勇者パワーをぽんと注入していったらそれですむ話。スーパーパワーを喪失したのは、これから本物の勇者パワーを受け取るために、いったん余計な力をカラッポにする必要があった、くらいに考えてしまえばいい。

 だけど、「セレシアポジション」という補助線をひいて考えるなら。

「クマリスアンルシアは偽レンダーシアを旅するうちに、ひょっこり『創生の霊核』(ルティアナの創造能力)のかけらを入手する。それによりクマリスアンルシアは、偽レンダーシアを守護する女神となっていく……」

 みたいな展開は、おもしろい。『創生の霊核』は、大魔王マデサゴーラが偽レンダーシアを創造するときに使った力なので、「父から娘への、創造能力の継承」という構造も一致して、きれいにはまる。

 しかし。
 同時にこうも思うのです。

「クマリスアンルシアは『破界篇』のラストでスーパーパワーを喪失したが、それは決して残念なことではなく、むしろ希望であるべきだ」

 わたしの個人的な思想をいってしまうと、素晴らしいことをなしとげる人間の背後に、いつも神の力やら、勇者の力があるというのは、釈然としないのです。

 あの、たびたびちっさい声で本音をいいますが、ドラクエシリーズのファンの人々のうち、けっこう多くの人たちが、
「この素晴らしい主人公が、素晴らしい力をそなえているのは、なんと、あのすばらしい英雄の子孫だったからにちがいない」
 みたいな方向で、想像をふくらましますよね。そういうのに触れるたび、わたしは五月の風にゆれるタンポポのように、そっと首をかしげています。

 えらばれた者だけが勇者になれる世界観より、だれに選ばれなくとも勇者になれる世界のほうが、夢も希望も大きい。

 ドラクエの6以降には、わりとそういったことが、そっと提示されていると思います。ドラクエ9などは特に顕著であって、いちばん素晴らしい達成をするのは、天使ではなく人間の力でした。ドラクエ9では、そういう素朴なヒューマニズムが信じられていると思います。わたしはそこがとても好きなのです(たぶんこの思想を明確に持っているのは藤澤仁さんだと思うのですが)。

 だから、
「クマリスアンルシアは超越的な力を失い、なんの特殊性もないただの女の子になった。しかし、そのような、ただの人間のままで、すばらしいことをなしとげるのである」
 そのような方向も、魅力があると思います。
 魔王や邪神をぶんなぐる腕力がなくとも、素晴らしい仕事って、いくらでもできるのではないか。

 わたしはいちおう、プロの実作者なので、わたしだったらどういうお話にするかというのを言いますと、「女神の後継者になる」ルートと、「人間のまま活躍する」ルートのどっちにするかで迷いに迷う感じです。喜ぶ人が多いのは女神ルートだと思いますが、個人の思想としては人間ルートを好みます。ビジュアルノベルだったら両方のルートを都合良く作れるんですけどね……。


●ルティアナとジャゴヌバ(その正体)

 あ、くりかえしいっておきますが、わたしの個人的な想像を語るターンがまだ続いています。

 世界を滅ぼそうとする男性超越者と、世界を滅亡から救おうとする女性超越者との闘争、という構造に話をもどすと、ジャゴヌバとルティアナの関係も、これと相似形といえます。

 ジャゴヌバの依代であるナラジアが男性だったので、「ジャゴヌバは男性」と推定可能です。

 わたし、ルティアナとジャゴヌバは、ドラゴンボールにおける神様とピッコロ大魔王の関係かなあ、という予断を、ちょっと持っていたのですが。
(ドラクエ7の神様とオルゴデミーラがこの関係じゃないかなあと思っていますが)
(あ、一応説明しておきますと、ドラゴンボールの神様さんは、神様になるために、自分の中にある邪悪な側面をザックリ切り離して捨てるということをしました。その捨てられた側面が、世界を滅ぼすピッコロ大魔王になったのでした)
(さらについでにいうと、クマリスちゃんは魔勇者から善の心を分離した存在です)

「世界を滅ぼそうとする男性超越者と、世界を滅亡から救おうとする女性超越者」
 というアングルを持ち込む場合、ピッコロ説はうまく合いません。
(このアングルを持ち込まない場合は合います)

 じゃあどうやったら合うのか。

 ドラクエ9における女性超越者(救済)は女神セレシア()。
 ドラクエ9における男性超越者(滅亡)は創造神グランゼニス(その父)。

『破界篇』における女性超越者(救済)はクマリスアンルシア()。
『破界篇』における男性超越者(滅亡)はマデサゴーラ(その父)。

 そして、
 ドラクエ10における女性超越者(救済)は女神ルティアナで、その正体は女神セレシアであると比定するわけですから……。

 このアングルを機械的にあてはめると、ドラクエ10の男性超越者(滅亡)ジャゴヌバさんの正体は、セレシアの父である創造神グランゼニスである……という結論が自動的に導かれてしまいます。

 これはちょっと面白い比定かもしれない。


●ジャゴヌバ神話

 でもドラクエ9の創造神グランゼニスはジャゴヌバみたいな絶対悪じゃなかったし、だいいち彼は、セレシア(ルティアナ)に創造の力をプレゼントして送り出した人じゃないか、キャラクターとしてのイメージが全然合わないぞ……。
 という疑問は当然生じるものと思います。

 でもこのくらいに考えればいい。
「ドラクエ9の創造神グランゼニスにおける、ピッコロ大魔王のような存在がジャゴヌバである」

 ようは、「神様も邪悪のパワーに冒されて変質することがあるのである」くらいに考える。ドラクエ9の創造神グランゼニスは、魔瘴か何かに触れた結果、滅びを望む気持ちを持ってしまった。だから、人間たちにイラついて、「こいつら滅ぼしてやろう」ということを始めてしまった。

 セレシアや星空の守り人の活躍で創造神グランゼニスは改心して、かれは自分の中から邪悪な部分を切り離して捨てることにした。

 その捨てた部分が独自の人格をもち、「異界滅神ジャゴヌバ」と名乗って暴れだした。その結果、ついにドラクエ9の世界は崩壊してしまった。創造神グランゼニスはセレシアに創造の力をあたえて、この世界から逃がすことにした。

 セレシアはルティアナと名を変え、虚空に新たな世界アストルティアをつくった。しかし、「グランゼニスから生まれたものはすべて滅ぼす」くらいのことを思っているジャゴヌバは、セレシアをおっかけてきて、ついにアストルティアに魔の手をのばした(ジャゴヌバは黒い手のかたちで描写されるので、文字通り魔の手をのばしている)。

 この場合、ジャゴヌバは創造神グランゼニスの分身なので、ルティアナ(セレシア)とのあいだで「父と娘」の関係が成立する。アングルに一致する。

 また、ジャゴヌバを「創造神グランゼニスが生み出したもの」と解釈する場合、ルティアナ(セレシア)との関係は「姉と弟」になる。
 ルティアナの分身イルーシャと、ジャゴヌバの分身ナラジアは、二人並ぶとそっくりで、きょうだいのようなビジュアルだったので、「姉と弟」でも整合感はある。

 こういう受け取り方をすれば、きれいにおさまるな、私だったらそういう真相を書くかな、と思いながら、バージョン5.4を読みましたというお話でした。


●神々が消えた世界で

 バージョン5.5以降はどうなるのかなあ、というのをつらつら考えていたんですが、制作サイドから「ジャゴヌバを倒したあともお話は続きます」みたいなアナウンスがあったので、ジャゴヌバは倒せるみたいです。

 私だったらどう書くかなあという話を続けますけど、ルティアナとジャゴヌバが双方消滅するという結末が、おさまりがよさそうだ。
 ルティアナはジャゴヌバと対消滅か何かを起こして共に消えるが、アストルティアの世界に、なんの力ももたないただの少女としてのイルーシャを残していく。ようは、ウルトラマンはこの世からいなくなるが、変身能力を失ったハヤタ隊員は存在し続けるみたいな感じ。

 ウルトラマンの最終回では、ウルトラマンはM78星雲にかえっていく。ウルトラマンがいなくなっても、われわれ人間たちは、自分たちの手でこの地球を守っていくのだという覚悟をきめて物語はおわる。それと同じように、神々のいない世界で、われわれ人類がこの世界をまもるんだ、という覚悟をきめることになる。

 さて、この世からルティアナがいなくなると、アストルティアは不安定になり、崩壊の危機をむかえる。すると天使がやってきて、
「この世界、消去するか存続させるか決めましょうや」
 みたいなことを言いだしはじめる。消滅サイドに与する人類やら、その裏で糸を引く黒幕なんかがでてきて、それとの戦いになる……みたいな感じにすると、『破界篇』がうまいこと伏線っぽく機能して気持ちいいかなと思ったんですが、どうなんでしょう。人間クマリスアンルシアの活躍の機会もありそうだ(クマリスが好きなので引っ張り出せるような展開を作ってしまう)。

 つまりは、最終的にこの世界をまもるのは、神々の力をかりた超人ではなく、ただの人間たちなんだ……みたいなところにお話を流れ込まそうというアイデアなんですね。

 おまえ、どこまで本気でいってんだ、という疑問もおありでしょうが、答えはこうです。「想像力をつかって本気で遊んでいる」。長くなりましたのでこのあたりで……。

2019年9月14日 (土)

[ドラクエ1]竜のうろこを胸にしのばせ

こちらもどうぞ→[ドラクエ10]女神ルティアナ、あなたはだあれ
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(1)

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 DQXTVの出張版を見て、新コインボス「ドラゴン」の情報に、気持ちがハイになった。

 ドラクエ10に、「ドラゴン」が、重要ボスとして実装されることになったそうです。緑色をした、余計な飾りのない、ローラ姫を捕えていた例のドラゴン。
 私は鳥山先生が描いた、ドラクエ1時代のあのドラゴンが、この世の全ドラゴン中でいちばん魅力的だと思っています。

 まず羽がないところがいい。それと、「この俺に挑んでくるのか?」みたいな顔をしているところがまたいい。鳥山先生のモンスターは表情がいいよね。顔でかいし。
 中鶴さんやバードスタジオのスタッフが描いたものとは顔のでかさや目線の向きで判別できるような気がしている。

 討伐報酬が「竜のうろこ」というのも、しびれるポイントだ。FC版のドラクエ1では、はじまりのラダトームの町で店売りされている。使うとみのまもりが2ポイント上がる。効果があるのは1回だけ。「竜のうろこを使ったか、使っていないか」がフラグ管理されていて、ふっかつのじゅもんにも記述されている。

 ラダトームを旅立つ若者たちは、必ずこいつを20ゴールドで買ったはずだ。みのまもり2ポイントは正直、誤差の範囲だが、これひとつがぎりぎり生死を分けるかもしれないと思ってにぎりしめ、胸にしのばせる。
 旅立ちの不安が仮託されたアイテムだから、強く印象に残る。早く竜のうろこを心臓の上あたりにしのばせたいよ。たまらない。

 ステータス的にはほぼ誤差に近い、この竜のうろこが、イベントフラグとしてきちんと管理された形で実装されているのは、ちょっと不思議だ。
 ひょっとしたら、もっと大きなイベントの一部だったものが、ボツになり、部分的に残っているとか、そんなことかもしれない。

 でもそうじゃないかもしれない。

 ドラクエ1の主人公は、「竜王を倒してこい」といわれている人だ。「竜と同等の存在になってこい」。これは象徴的な意味で、「おまえは竜になるのだ」といわれているようなものだ。

 そんな若者が、竜のうろこをひとひら、肌に貼り付けて、まもののいる荒野に旅立つ。

 お話のはじめにささやかな竜の力を手にして、お話のおわりにいる竜の王様とたたかうのだ。

 竜のうろこを王様やら賢者やらから手渡される「のではない」ところが、しびれる。竜のうろこはは店売りの品物で、買うも買わぬも本人の自由だ。
 ドラクエ1をていねいにプレイしていれば、しぜんに竜のうろこを買うことになる。主人公は、誰から押し付けられるのでもなく、自分の意志で、旅のまもりとしてそれを求めることになる。

 おれは竜の力を身に宿して、竜とたたかうのだ。
 そういう「物語」が、「まったくコトバを使うことなく」自然発生する。

(竜の力を借り受けて、竜と同等の存在になっていく……という趣向は、天空シリーズにてより明確な形でリフレインされていく)

 もうひとつ。
 竜のうろこが流通しているということは、私たち主人公の旅立ち以前に、竜と一戦まじえたり、財宝を求めて竜の巣に忍び込んだりした者がたくさんいたということだ。

 力と勇気を備えた者は主人公ひとりではない。見えないところにも物語があり、竜のうろこはそれを示しており、そのことでアレフガルドの世界は広がりと奥行きをもったものになる。

 ドラクエ1は一人で戦うゲームだが、そのような意味で、主人公は一人ではなかった。

 

2019年5月 9日 (木)

[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(8・終)

※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 外伝等は参照しておりません。

●第1回からお読みください
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(1)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(2)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(3)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(4)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(5)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(6)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(7)

こちらもどうぞ→[ドラクエ10]女神ルティアナ、あなたはだあれ

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 今回最終回です。
 いつにもまして、「私だったらこんなふうに書くのになー! 書くのになー!」というのがあふれだしていますが、ご容赦ねがいます。
 ふわっと読んでもらえたら、いいと思います。

 

●不思議な旅人・再び

 何度も繰り返しますが、初期設定版のアンルシアは、
「自分を犠牲にして、無限に世界を救い続けろ」
 という運命を強要されている女の子です。

 そんな彼女は、せめてもの慰めに、「自分が何の責務も負っていないただの女子である村」を創造しました。そこでは彼女は何の力もない少女であり、何度も化け物にさらわれては、英雄たちに救い出してもらうという役どころなのです。

 ですから彼女の真意は明らかです。
「誰か、助けて」

 化け物にさらわれるピンチからは、ザンクローネが助けてくれます。それは、せめてもの慰めにはなりました。
 でも、
「あまりにも不当な運命を強要されている」
 という根本的なピンチから、彼女を救い出してくれる人は誰もいません。

 世界を救う者アンルシアが絶望するのは、アンルシアを救う者が誰もいないからです。

 勇者は世のすべての人々を救う者。
 だとしたら、勇者は誰が救ってくれるのか。

 そんな者は誰もいない。だから、アンルシアは架空世界に永遠に閉じこもる。

 ……いえ、いないはずでした。
 ところが現れたのです。

 ザンクローネとともに彼女を助けに来る不思議な旅人として、私たちが。

 

●アンルシアに何を差し出せばいいのか

 不思議な旅人である私たちは、ザンクローネと違って、メルサンディ以外の都市の状況も見てきていますし、グランゼドーラにも訪れていて、さまざまな冒険の結果、アンルシアの境遇を知り尽くすことになります。

「誰か助けて」

 声にならない彼女の本心を、私たちは感じ取ることができます。

 そんな彼女に私たちが差し出せるものは、こんな言葉です。

「私があなたを救う」

 あなたが剣を取って戦うときは、私も隣で剣を振るおう。
 あなたの背中を私が守ろう。
 あなたが倒れそうになったら、必ず手をさしのべよう。
 あなたは今日から、孤独ではない

 あなたが世界を救ってくれるのなら、そんなあなたを私が救おう。

 

 それこそがアンルシアの求めているもので、希望そのものであり、だからアンルシアは目覚めることを選択できるのです。

 どのタイミングだったか忘れたのですが、現行版のストーリーで、アンルシアがこんなことを言い出したことがありました。
「私にとっての勇者は、あなたよ」
 このセリフは、上記の展開を想定するとき、より納得度が高くなります。なぜなら、私たちは、眠りの世界にとらわれていた姫君を果敢に助け出したヒーローだからです。

 

●アンルシアに救われた者たち

 しかし、なぜ、「私たち」はアンルシアに「私があなたを救う」と言うのでしょうか。
 それには理由があって、

 私たちはアンルシアに救われたからです。

 私たち全員は、冒険がはじまるときに、アンルシアに命を救われています。
 私たちが五種族の何であろうとも、初期村の近くで、あまりにも強すぎる怪物や、洪水のように迫り来る魔瘴に襲われました。
 そのまま何の助けもなければ、間違いなく死んでいました。
 しかしそのとき、文字通りの「救いの光」がおとずれました。レンダーシアから放たれた勇者覚醒の光が、たちまち魔瘴を退け、怪物から力をうばい、私たちはそれによって助かったのです。ですよね? 覚えてますか?

 アンルシアが覚醒の光を放たなかったら、私たちの冒険は、そこで終っていたのです。

 私たちはアンルシアの精神世界をくぐって、勇者覚醒の瞬間に行きます。そこで気づくのです。私の命はアンルシアに救われた。私がここにいるのはアンルシアのおかげだ。
 だからこのようになる。

 あなたが世界を救ってくれるのなら、そんなあなたを私が救おう。
 なぜなら私があなたに救われたからだ。

 そういう意味のストーリーが、初期設定版では語られる予定だったんじゃないのかな、というのが、私(筆者)の復元案なんです。ドラクエでは主人公がしゃべることはないから、これをどう語るのかについてはちょいと工夫が必要。しかし、こういう「形」が目指される予定だったというのが私の想像なんですね。

 何度も繰り返しますが、勇者は「一人で世界を支えろ」と言われている人です。

 だとすると、私たちの言葉は、こう言い換えることもできる。

「世界のはんぶんを、私が支えよう」

 

●ザンクローネ再び・勇気の力

 現行のバージョン2では、

盟友、という運命的存在がある」
「勇者には盟友が寄り添うものと決まっている」
「私たち(あなた)がそれである」

 ということがのちに明らかになり、上記の初期設定版ストーリー(加納式の)とほぼ同型になります。

 違いはどこかというと、現行版では、「盟友というロール」が前面に強く出ているのに対して、(加納式の)初期設定版ストーリーでは、「私がアンルシアの友となろう」という内発的動機がクローズアップされることです。

「アンルシアが私を救ってくれたから、今度は私がアンルシアを救う」

 これとほぼ同じ形が、メルサンディの村人とザンクローネとの間に発生しています。
 ザンクローネはメルサンディの村を何度も救い、村人たちから絶対の信頼を寄せられています。
 魂しかないザンクローネの力の源は、メルサンディの村人たちの「信じる心」です。それが注入されるかぎり、ザンクローネは倒れても倒れても、必ず立ち上がることができます。
「オマエが信じてくれるなら、オレは何度でも立ち上がる」
 メルサンディの村人は、村を救ってくれたザンクローネへの恩返しとして、絶対の信頼という無敵のパワーを差し出しているのです。そういう形で、村人たちはザンクローネとともに戦っているのです。

 そして今ここに、眠るのをやめて剣の力で魔王に立ち向かいはじめた勇者姫と私たちがいます。
 勇者姫と私たちは、人々を救います。

 救われた人々の中から、こういう人が出てくるかも知れない。
「私は彼女たちに救われた。私も、誰かを救えるようになりたい

 たとえばアンルシアはこう言うのかもしれない。
「元気のある者は、まず自分自身を救えるようになりなさい。余力のある者は、他人を助けてあげなさい」
「それはどんな小さなことでもいい。自分が倒れそうになっているとき、目の前に転んだ子供がいたら、そこに手をさしのべてあげるだけでもりっぱな救いの行為である」
「何の力もない者は、声を出すだけでもいい。『がんばって! 私がついてるから!』と。それもりっぱな、ひとつの戦いである」

 人は自分自身を救うことができるし、だれかを救うことができる。
 そうして救われた者は、今度は自分がだれかを救おうと思うことができる。

 そういう意志のことを、私はこう呼びたいのです。
「勇気」

 ドラクエ10において、人間は「勇気の民」だそうです。
 人間の中からたまにもの凄く強い勇者が現れて、その勇者が魔王をやっつけて帰ってくる、というのなら、人間は本当に「勇気の民」だろうか。

 そうではなくて、勇者は、人々に勇気をふるいおこさせる旗印のようなもの。
 そう考えたいのです。

 自分が泣きたいとき、泣いている子供に手をさしのべる。そのときあなたは小さな勇者なのであるということを(私は個人的に)言いたい。
 何度でも立ち上がる、外見はちょっと頼りない勇者姫。その姿に触発されて、勇気の機運が人々のなかに広がっていく。

 そうして一人一人が小さな勇気をふりしぼり、それが結集してひとつになり、一人の代表闘士にそそぎ込まれて偉大な達成をする。
 そのとき人間はまさに勇気の民である
 勇気をふるいおこして立ち上がったから、魔王を倒すことができるのである。重要なのは力ではなく勇気である。

 私はアンルシアに救われたから、私が今度はアンルシアを救おう。
 という一人の人物の決意が、レンダーシアじゅうにひろがり、メルサンディとザンクローネのような関係が、アンルシアと全レンダーシアのあいだで実現されていく……。

 ……あの、ときどき忘れかけますが、この一連の投稿は、私の個人的なファンタジーをのべているのです。初期設定のメモに触発されて、私だったらこういう勇者のありかたを描くのにな、ということを語っているわけです。

 

●偽アンルシア登場

 初期設定版では、アンルシアが世界創造をやめて目覚めると、大魔王マデサゴーラも活動を再開します。「セカンドリリース構想文書」にそう書いてあります。

 このボスは本来、勇者覚醒時にダメージを受けるなり、封印されるなりしていたのだが、PCの介入で過去が変わったことで、それがなかったこととして上書きされてしまったのだった。

(c)2018 SQUARE ENIX CO.,LTD.All Rights Reserved.
『セカンドリリース・シナリオ構想』
2018年7月29日開催の「ドラゴンクエスト夏祭り2018 EAST」ステージイベントより
※これ以降の引用も同じです

 

 復活したマデサゴーラが何をするかというと、アンルシアの世界創造能力を奪い取るか悪用するかして、「ワシ好みの新たな世界」を生み出すということです。「セカンドリリース構想文書」にそう書いてあります。

 一方で、ネルゲルと呼応し、グランゼドーラを襲撃した今回のボスは、勇者の世界を創りだす能力に目をつけており、それを自分のために利用することを企んでいた。
(中略)
 勇者姫をさらったボスは姫に暗黒の魔力を送り込み、自分好みの暗黒世界を生み出そうとする。ボスの思惑通りに暗黒世界は創りだされ、このままではこの新たな世界が現実として、世界を覆ってしまうかもしれない。

 

 ここでおおむね、現行のバージョン2と合流するわけですね。
 単なる想像ですけど、「アンルシアが作った偽レンダーシアも、マデサゴーラに乗っ取られた」くらいにしておくと、いろいろお話がはかどりそうです。マデサゴーラが偽セレドや偽メルサンディに嫌がらせをし始めたので、それを阻止しに行く、みたいなお話が作りやすい。

 偽レンダーシアが維持されているのに、アンルシアが昏倒していないのは、「マデサゴーラの魔力によって偽レンダーシアが維持されるようになったから」くらいに考えればすみます。「姫に暗黒の魔力を送り込み」って書いてありますしね。

 さて、現行のストーリーでは、この前後でとても印象的なキャラクターが登場します。
 それは偽アンルシア。紫色の服を着た人。DQMSLなどでは「魔勇者アンルシア姫」と呼ばれているようです。
 現行では、彼女はマデサゴーラが作った人形みたいなもので、偽物であることにコンプレックスを持っている感じになっています。
 なぜ偽アンルシアが必要なのかというと、「勇者じゃないと開けられない扉」が、レンダーシアにはいくつかあるからです。なのでマデサゴーラは、勇者姫そっくりのホムンクルス(的なもの)を作り、
「うまくしたらコイツに勇者パワーが宿らんだろうかな?」
 みたいなことを期待した。

 初期設定版でも、上記のかたちで登場して何の問題もありません。
 が、せっかく「世界創造能力はアンルシアが持っているのだ」という魅力的な設定があるのですから、こんなふうにいじってみるのはどうでしょう。

「偽アンルシアはアンルシアが作った」
「偽アンルシアはアンルシアの第二人格である」

 第二人格、という言葉が適切かどうかわかりませんが、アンルシアが「私って、こんなだったら良かったのにな」と思う理想の姿が偽アンルシアである、と言いたいのです。

 アンルシアは、「おまえが勇者である」と宣告されて、
「そんな、ひどい……」
 と、尻込みしてしまうキャラクターです(この想定では)。
(そういう人物が、しいて立ち上がるから「勇気」なのですね)

「私には、とても無理」
 だけど、
もし私が、こんな人間だったら、みんなも納得して、安心したのかな……?」

 ということで、アンルシアは想像をふくらませる。
 理想の私は、りりしく、強く、誰に対しても物怖じせず、いつも自信たっぷりで、常に求められている結果を出して帰ってくる。
 かっこいい勇者姫。
 私って、こんなだったらよかったなぁ……。

 さて、時は流れてマデサゴーラは、アンルシアの頭の中に手を突っ込んで世界創造能力を悪用しようというとき、
「ほう、これはこれは……」
 アンルシアの中に設定されていた偽アンルシアを見つけて、ひょいと引っ張り出し、世界創造能力を使って具現化する
「こいつを、我がしもべとして使ってやろう」

 偽アンルシアは、「アンルシアより強い」という設定なので、一騎打ちをしたらアンルシアに勝つ力を持っているのです。
 しかも、アンルシアが「もう一人の私」として想像した存在なので、勇者の力を備えているのです。つまり、古き神の遺跡の封印や、奈落の門を開ける能力を持っている。
 この想定のストーリーでは、
「洗脳され、先代勇者の指輪を手に入れ、一時的に勇者パワーを手にれたトーマ」
 みたいなややこしい存在を必要としない。

 そしてこの想定では、人間側は大ピンチです。絶対に魔族に明け渡してはならないものが、カッパカパと開け放題になってしまう。
 やばいぞやばい。ということで偽アンルシアを追いかけて倒すというチェイスサスペンスが発生する。

 

●わたしにかえりなさい……

 今回のエントリは、(なにせ最終回なので)、私の個人的なドリームがてんこもりです。
(最初からそうだったという説もある)
 せっかくですから、終わりもドリームで結びたいと思います。

 

 アンルシアと主人公(私たち)は、偽アンルシアと決着をつけます。

 偽アンルシアは、「一人で世界を支えられる理想のアンルシア」というコンセプトなので、「一人で何でもできるぜ」と思っています。なので、自分一人で、アンルシアだろうと盟友だろうと蹴散らすつもりでいます。実際にそれだけの力があるのです。

 が、アンルシアと主人公によって、彼女は敗北させられます。
「私はおまえたちより強いはずなのになぜだ」

 それは、ザンクローネがそうであるようにアンルシアが、盟友や人々の勇気の力を背に受けているから。
 という感じに持っていくと、ザンクローネのエピソードがものすごく生きる。

 この想定の場合、「本物が偽物に勝った」というアングルにはならない。この想定では偽アンルシアも「本物の勇者」だからです。勝敗を分けたのは、「一人で戦い抜く者」と、「みんなの勇気をエネルギーに変えて戦う者」の差

 ここでアンルシアには、敵に対してぜひともこういうセリフを言ってもらいたい。
「あなたも私の力になってほしい」

 破れた偽アンルシアは、元の場所……つまりアンルシアの中に還ってゆきます

 そのときですね、還ってゆく偽アンルシアがこんなことを言おうものなら、これはもう超絶に私好みです。

「おまえの心がくじけるようなら、私がいつでも取って代わるぞ」

 それでもって、アンルシアはこう返す。
「でも、そうはならないと思うわ」

     *

「セカンドリリース構想文書」に触発されて、私の中で復元された初期構想のストーリーは、こんな感じです。
 あなたも何か考えてみませんか?

 

(了)

2019年5月 7日 (火)

[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(7)

※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 外伝等は参照しておりません。

 

●第1回からお読みください
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(1)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(2)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(3)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(4)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(5)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(6)

こちらもどうぞ→[ドラクエ10]女神ルティアナ、あなたはだあれ

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●前回までのおさらい

(私が脳内で勝手に復元した)初期設定版のストーリーでは、プレイヤーは、
「3つの蝶を使ってアンルシアの精神世界に入ったときに」
 眠り姫アンルシアこそが勇者であるという事実を知ることになります。
 そして同時に、「勇者の力とは、自分を人身御供にして、魔物のいない世界再創造するというものだ」という事実を知ります。

 しかし、私たちプレイヤーは、3つの蝶を見つけ出す過程で、
「世界を再創造して、魔物を消し去るという方法論は正しいのか? アンルシアが人柱になることなく世界を平和にする方法を考えるべきじゃないのか?」
 という問題意識をニギっています。

 私たち主人公は、冒険のすえ、
「眠り姫アンルシアは、目覚めるべきだ」
 という信念を持ったので、アンルシアを起こそうと試みます。

 

●時間遡行

 アンルシアを目覚めさせるためには、私たち主人公は「アンルシアが勇者として覚醒した現場」に行かないといけません。なぜなら「セカンドリリース構想文書」にそう書いてあるからです。

 やがて、PCは姫こそが勇者であり、その能力がどういうものかを知ることになる。
 平和なグランゼドーラが世界に定着できるように、勇者覚醒の現場に時を越えて、行くことになる。

(c)2018 SQUARE ENIX CO.,LTD.All Rights Reserved.
『セカンドリリース・シナリオ構想』
2018年7月29日開催の「ドラゴンクエスト夏祭り2018 EAST」ステージイベントより
※傍線は引用者による

 

「アンルシアの精神世界を奥底まで潜っていくと、時間を超えて勇者覚醒の現場にアクセスできる」と考えることにします。

 なんでかというと、現行のストーリーでも、「アンルシアの精神世界の奥底に行く」ことで、アンルシアは勇者覚醒の光を放ち始めるからです。
 初期設定版ストーリーでも、現行のストーリーと全く同じタイミングで我々は勇者覚醒の光を目撃する、というふうに想定すると綺麗です。

 なんで精神世界に潜ると時間を超えられるのか。「《世界創造》を行なった瞬間から、アンルシアの時間は止まった」と考えれば良い。世界創造の瞬間から、アンルシアは精神も肉体も停止し、世界維持エネルギーを放出するための装置になる。アンルシアはその瞬間から一切、歳を取らない。……と想定する。
 この想定の場合、アンルシアの存在は「世界創造を行なった瞬間」に固定されているので、アンルシアの精神世界には、「勇者として覚醒し、世界創造をした瞬間」がそのまま内包されているのです。
 だから、アンルシアの精神に入り込んだ私たちは、アンルシアの覚醒の瞬間にアクセスすることができる。
 ……とまあ、こんな感じで考えておけば、タイムマシンみたいなものを用意する必要もなく、盛り上がったままなめらかにストーリーが進行する。

 そうして精神世界の奥底に着地した私たち主人公は、アンルシアが勇者として覚醒し、「勇者覚醒の光」をぶわあーっと放出する瞬間を目の当たりにします。

 続いてアンルシアは、今手に入れたばかりの巨大なエネルギーを使って、「世界そのものを書き換える」という作業を(命とひきかえに)始めようとします。

 私たちはそこにやってきて、アンルシアの肩に手を置き、
「待って」
 と言う。
 ……いえ、ドラクエ語法に従うと、「待って」という台詞を言うことはできないのだけど(プレイヤーキャラクターは自発的に喋らないというルールがある)、とにかくそういう意味合いの行為をする。

 そこで最終的な説得が行なわれ、アンルシアは偽レンダーシアを維持するためのエネルギーを放出することをやめる。するとアンルシアは、自分を維持するためにエネルギーを使えるようになるので、意識を保つことができるようになる。
 するとアンルシアは目覚める

 

●「時間のズレ」の正体

 おわかりかと思いますが、上記の流れをOKとすると、現行のバージョン2において「もの凄くぎこちないポイント」が一点、解消されます。

「五大陸に勇者覚醒の光が届いたタイミングと、グランゼドーラ城でアンルシアが勇者覚醒の光を放ったタイミングが、あまりにもずれている」

 我々が五大陸で光を見たのはネルゲルを倒す前ですし、我々がグランゼドーラで光を見るのはネルゲルを倒した後です。この二つの光は同じものであり、同時に放たれたものだっていう謎設定があります。
 私たちは、たった今放たれたばかりの光を、だいぶ前にもうすでに見ているという状況になってます。以下軽くまとめます。

 

★現行のストーリー

初期村で勇者覚醒の光を見る(A)
  ↓
キーエンブレム集める
  ↓
ネルゲル倒す
  ↓
レンダーシアに渡る
  ↓
3つの蝶を集める
  ↓
アンルシア覚醒、勇者覚醒の光、放出(B)
(しかしAとBは同時である)

 

 これは明らかにおかしなことになっており、現行のバージョン2では、
「ネルゲルがレンダーシアを五大陸から切り離したとき、時間のずれ(断層みたいなものか)ができた」
「レンダーシアに流れている時間と、五大陸に流れている時間はずれているので、レンダーシアで今起こった光は、過去の五大陸に届いてしまった
 という説明がなされています。

 私は、これ聞いた瞬間、「変なのー」と思いました。
「時間の断層のせいで、事象が過去の五大陸に届く」
 という設定を利用した面白いストーリー展開がこのあとにあるのなら、伏線として機能するでしょうけれど、現在のところその気配はないですし。

 ぶっちゃけると、「なんか制作がトラブった結果でしょ」と思ってました。
 そこに「セカンドリリース構想文書」が公開され、瞬時に私は「ああ! それでか!」

 

★初期設定版のストーリー(筆者による想定)

主人公(我々)、未来から時間遡行してくる(A)
  ↓
未来から来た主人公(我々)、アンルシアの勇者覚醒の光を見る
過去の主人公(過去の我々)、五大陸で勇者覚醒の光を見る(同時)
  ↓
覚醒アンルシア、世界創造し、眠りにつく
  ↓
過去の主人公、キーエンブレム集める
  ↓
過去の主人公、ネルゲル倒す
  ↓
(ここから現在とする)
主人公、レンダーシアに渡る
  ↓
主人公、3つの蝶を集める
  ↓
主人公、時間遡行し過去へ(Aに戻る)

 

 この想定の場合、我々は「時間をさかのぼって、勇者覚醒の光を見た」ので、時間のズレは発生しません
 よって、少々苦しい説明を必要としません。

 当初はこういうプランだった。
 バージョン1を作っているとき、制作スタッフがニギっているプランはこれだった。
 だから「初期村でピンチに陥った主人公を、勇者覚醒の光が救う」というストーリーを作って実装した。

 ところがその後、堀井さんのちゃぶ台返しがあり、「アンルシアが世界を創造する」という設定がボツになってしまった。

 その時点で、バージョン2のかなりの部分を旧設定で作ってしまっていたので、大きな変更はできない。

「アンルシアの心の中に入って封印を解くと、アンルシアが勇者覚醒する」という大きな流れはもう動かせない。

 なので、アンルシアは「いま」勇者覚醒するということになった。

 勇者覚醒の光も、「いま」放たれるということに(やむをえず)なった。

 すると、「いま」放たれた光を、「だいぶ前に」五大陸で見たよなあ……という、おかしなことになってしまった。
 だからといってどうしようもないので、「時間がズレてとどいた」という説明がつくりだされた。

 たぶん……そんな感じだろうと思います。

 

●アンルシアは目覚めたくない

 私の想定する初期設定版ストーリーでは、私たち主人公は時間をさかのぼって、アンルシアが世界の再創造をする瞬間にゆき、「ちょっと待って」と言います。

 偽レンダーシアを維持するためのエネルギーの蛇口をちょっと閉めてみよう。目覚めて現実世界で話をしよう。私たちはそういうことを訴えます。
 が。

 アンルシアさんがそう簡単にうんと言うはずはありません

 だって、アンルシアは(この想定では)「勇者であることを受け止めきれない女の子」であるからです。
 この設定における勇者は、「世界に対してたった一人で無限の責任を負わされる人物」です。
「そんなの私には無理」
 って、言わない人がいたらお目にかかりたい。

 中途半端に世界創造をして、その副作用としてさめない眠りにつく、という現在の状態は、実質上、勇者としての責務からのドロップアウトであり、アンルシアにとっては心地よいのです。

 眠りの中で、農村のお姫様になり、怪物にさらわれては、熱血ヒーローに助けてもらう……という、最高に気持ちよい役どころを無限に楽しむこともできるのですし。

 この状態が、私にとってのベストだ。だから、あえて目覚めなきゃならないなんて、イミがわからない

 はい、そろそろ起きましょうね、と言われて、おいそれと目覚められるような境遇じゃないのです。
 アンルシアは本当に辛い思いをした結果、ようやく眠り姫のこの境遇を手に入れたのです。そんなアンルシアに、逃げるな、現実に立ち向かえ、とにかくがんばれ死ぬ気でやれ、なんて言うのは、まるきりサディストのスパルタ体育教師です。アンルシアを苦しめる者が一人増えただけのことになっちまいます。

 そんなアンルシアに、私たちは何を差し出せばよいのでしょうか……。
 というのを、次回語ります。

 

 続き(最終回)→[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(8)

2019年5月 4日 (土)

[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(6)

※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 外伝等は参照しておりません。

●第1回からお読みください
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(1)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(2)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(3)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(4)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(5)

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●メルサンディで見つかる目覚めのカギ

 童話作家パンパニーニには、アイリという孫娘がいました。
 アイリは生まれつきの不治の病で、長くは生きられない運命です。
 だからアイリは世をはかなんでおり、前向きにものごとをなしとげることをしない女の子です。

「小さな英雄ザンクローネの物語」は、そんなアイリに、
「生きるというのは、そういうことではないんだよ」
 ということを伝えたくて、パンパニーニが書いた物語です。
(と、現行のストーリーで語られています)

「小さな英雄ザンクローネの物語」は、身体のすべてを奪われて魂だけになり、握ったらつぶれるような一寸法師サイズになった剣士が、それでもくじけず、不敵に笑い、自分を信じることをやめなければどんな苦難も絶対に打倒できるのだと言い続けてそれを実行する物語です。

 つまりザンクローネは、考え得るかぎり最大級のハンディキャップを抱えたヒーローが、ハンディキャップをものともせず、自分の運命と戦う話だ。

 パンパニーニは、
「果敢に生きよ」
 とアイリに伝えたかったのです。

「強く生きなさい。ハンディキャップを抱えていることは、果敢に生きない理由にはならない。苦難が襲いかかってきても、はねのけて進む意志を持ちなさい」

 そういうメッセージが、「小さな英雄ザンクローネの物語」には含まれています。
 物語の第3話、ミシュアが腕怪物にさらわれるストーリーで、そのことが一気に顕在化するのです。

 そしてここには。
「勇者として、命とひきかえに平和をもたらすべしという運命を強制されている」最悪のハンディキャップを生まれつき抱え込んだ勇者姫アンルシアが、小さな楽園世界の中でひきこもっているのです。

 アンルシアのその運命は、本当にはねのけられないものなのか? 夢の中で慰めを得ること以外の良い方法を、勇気を持って探すべきではないのか?

「本当にそれでいいのか?」
 という、アンルシアを根本から揺さぶるクリティカルな疑問を、不思議な旅人である我々は、眠れる彼女の枕元に持って行くことになります。

 

●なぜ蝶々はカギになるのか

 現行のバージョン2では、「蝶のかたちをした細工物を3つ見つけてアンルシアの寝室に持って行く」というクエストが提示されます。

 委細は問わずにとにかく世界のどっかからチョウチョを3匹見つけてきなさい、そしたら何もかもうまくいく、みたいな適当なことを、謎の男クロウズに言われて、我々は実際にそうします。
 蝶々の細工物は、セレドのストーリーをクリアしたとき、アラハギーロのストーリーをクリアしたとき、メルサンディのストーリーをクリアしたときに手に入ります。
 どうして、あつらえたように蝶の飾り物がそこにあるのかは不明です。

 3つの蝶の細工物は、封印されたミシュア(=アンルシア)の記憶を開放するためのカギでした。記憶喪失を治すためのアイテムだってことです。

 メルサンディはともかく、セレドやアラハギーロの事件は、アンルシアの記憶とは何の関係もないので、そこで手に入れた蝶の細工がアンルシアの記憶のカギであるというのは、じつはうまく筋が通っていません。

 ちょっと厳しい言い方をすれば、「何でかわからないけど3つの町を回らされて、どういうわけか手に入ったチョウチョの細工物は、たまたまアンルシアの記憶を開放するカギだった」。

 現行のストーリーにおいて、私たちプレイヤーは、3つの蝶の魔力を使ってアンルシアの心の中に入っていきます。アンルシアの精神世界に入ってみると、そこにはアンルシアの寝室が広がっています。ベッドにはこんこんと眠るアンルシアがいます。
 現行のバージョン2では、ここで「眠り姫であるアンルシア」というイメージが現れるわけです。おそらくこのあたりも、初期設定で構想されていたものが流用されているのでしょう。
 現行のバージョン2ではこのあたりは、「アンルシアの過去になにがあったのか、どうして記憶をなくして村娘をやっていたのか」を知るためのエピソードになっています。
 アンルシアの心の中で、断片的なエピソードを見ると、そのたびに「アンルシアの思い出の品」が手に入り、それを眠れるアンルシアの枕元に捧げていくごとに、記憶のロックが外れていくという趣向になっていました。

 さて、このあたり、初期設定をふまえるとどうなるか。

 

●アンルシアを揺さぶる3つの問い

「アンルシアが世界を創造する」という初期設定版でも、「各町のストーリーをクリアすると、蝶の細工物が手に入る」ということにしておきましょう。(蝶じゃなくても、何でも良いのですが)

 初期設定版での蝶々は、「意味はわからないけどとりあえず手に入れた細工物」では「ありません」

 セレドの町をクリアしたということは、
「願いは《世界変更》という形で手に入るものなのだろうか? セレドの子供たちのように、魔法に頼らず、自分で勝ち取るしかないものがあるんじゃないか?」
 という問題提起を手に入れている。蝶はこの問題提起を形にしたものです。

 アラハギーロをクリアしたということは、
「魔物とだって、心が通うことはあるはずだ。《世界変更》で魔物を消し去ることは正しいことなのか?」
 という問題提起を手に入れたということ。蝶はそれを形にしたものです。

 メルサンディをクリアしたということは、
「アンルシアは、嫌でしかたないその運命にあらがうということをしたのか? 本当に貴女に必要なのはそれではないのか?」
 という問題提起を手に入れたということであり、蝶はそれを形にしたもの。

 その3つの問題提起が、
「魔物のいない平和な世界という目標を」
「《世界変更》という魔法的手段で手に入れようとし」
「嫌でたまらない運命を押しつけられたのにそれに抗おうともせずひきこもっている」
 眠れるアンルシアの枕元にドン! ドン! ドン! と置かれることになるのです。

 すべてが、アンルシアに対して、
「貴女が勇者としてなしとげたこと、本当に正しかったのだろうか。いったん目覚めて、もう一度、いろんなことを考え直してみないか」
 ということを示唆するものになっている。
「目覚めようよ。そして、べつのやり方を試してみようよ」

 初期設定のこの構成でいけば、「眠り姫を目覚めさせる方法を探しすため、3つの町を訪ねた主人公は、目覚めのカギを見つけて戻ってきた」が成立する。
 この場合、「3つの蝶に、アンルシアを目覚めさせる能力があるのは納得」なのです。

 

●アンルシアの心の中にあるもの

 アンルシアの心の中に入って、彼女の過去を知るというくだりが、現行のストーリーにあります。これは初期設定版でも存在しただろうと思います。
 前述のとおり、「眠れるアンルシア」というイメージが共通しているからです。

 現行版では、「現実を拒否して記憶喪失になっているアンルシアを現実に引き戻す」というクエストであり、初期設定版では「現実を拒否して眠りについているアンルシアを目覚めさせる」というクエストであっただろうということです。意味はほとんど同じ。

 たとえば、現行版では、「幼少アンルシアが勇者アルヴァンの絵本を読んでもらう」というくだりがあります(彼女の心の中に入った主人公が、そのシーンを目撃する)。
 この絵本が「小さな英雄ザンクローネの物語」であったりするといい。
 このシーンで、「この物語はきっと、ハンディキャップがあっても果敢に生きるのですよ、ということを教えているのだね」ということが、誰かの口から解説される
 心の中で、その言葉が力を持って、眠れるアンルシアをはっとさせる。

 そんなような展開が繰り返されればよい。

 唯一の友達だった踊り子ジャンナが魔物に襲われて死ぬ(その知らせを聞いて泣き崩れる)というシーンは、初期設定版にも存在したかもしれません。

 ジャンナは魔物に襲われて死んだので、「魔物がいない世界を作ろう」という動線は、アンルシアの中に発生はするでしょう。

 しかし、アンルシアが守りたいジャンナはもういません。
を守るために魔物を消すの?」

 もし、ジャンナが死ななかったとしたらどうでしょう。魔物に襲われて大けがをしたけれど、生き延びたとしたら。
 アンルシアは、ジャンナが安心して生きられる世界を作るために、よろこんで「完全に魔物が淘汰された世界」を創造し、ひきかえに命を失ったかも知れない。

 でも、ジャンナは死んだので、「誰のために?」という根本的な疑問を抱いたまま世界を変更することになり、そのせいで世界創造は中途半端に終わり、そのかわりアンルシアは命を失わずにすんだ……というような想定はできそうです。

 現行版では、この精神世界編のラストで、主人公(わたしたち)は巨大な勇者像と戦闘することになります。
 現行版ではこの巨大な像は、「アンルシアの、記憶を取り戻したくない、現実に直面したくないという気持ちが形になったもの」くらいの感じです。巨大な石像のくせにアンルシアの声で喋り、「悲しい記憶をもう見たくない」という意味のことを叫ぶのです。
 アンルシアの記憶の蓋を開けようとする主人公を阻止するために、「アンルシアの意をくんで」勇者像は戦闘をしかけてきます。

 私は、ここもちょっとぎこちない気がしています。なぜ巨大勇者像のかたちをしているのかがよくわからない。

 勇者像を使うなら、「勇者の使命があまりにも重すぎる。その重圧の寓意」というふうに使うのが筋だと思うのです。
 しかし、現行版では、この勇者像は、「現実から目をそらしたいアンルシアが、目覚めないでいるための重たい蓋」という役割なのです。現実から逃げたいアンルシアの味方なのです。

「勇者としての使命を果たせ」というプレッシャーの寓意なら、勇者像は「アンルシアを覚醒させる」方向に動くべきです。
 だって記憶喪失だったら勇者として働けませんからね。勇者像は「記憶を取り戻して、働け」というふうに、アンルシアを引きこもり場所から「押し出す」方向に動くべきだと思うのです。そういう使い方をしないなら、勇者像である必要がない。

 これもまた、初期設定版では解消されます。
 アンルシアが眠っているのは、おそらく偽の世界を維持するためです。偽レンダーシアを維持するためには、アンルシアから勇者力が常に放出され、供給されていなければならない。そのために全力を費やしているので、意識を保っていられない、と考える。

 この想定の場合、アンルシアが目覚め、世界維持エネルギーを放出しなくなってはいけない。そんなことになったら世界が消えてしまう。

 だからアンルシアの「意識の出口」に石の巨人がいて、門番をしており、彼女が眠りから絶対出て行かないよう通せんぼをしている。と考えればよい。

 この場合、「出て行くな。エネルギー放出というつとめを果たせ」というのは、「勇者としての役目を果たせ」という意味になります。ですから、この門番が勇者のかたちをしているのは納得がいくのです。

 そして、わたしたち主人公は、この石の門番をブッこわします。巨大勇者像は、「かわいそうなアンルシアを、勇者という役割にしばりつけている重石」です。
 そういう重荷からアンルシアを解放してあげたくてこの冒険をやっているんだ。

 現行版の勇者像との戦いは「アンルシアが見せたくないと思っているものを暴くために、その障害をとりのぞく」です(ちょっと意地悪な言い方ですが)。

 それに対し、初期設定版の(私の想像込みの)勇者像との戦いは、「アンルシアを不幸な状態に縛り付けているものをブッこわして取り除く」です。

 エンタメとして高揚感があるのは、後者だと思う。そして、当初は後者がプランニングされていたはずだと私は考えるのです。

 

●紅蓮の大宝石と神の緋石

 この案では、
「完全に世界を創造したらアンルシアは死ぬんでしょう? 死んだらエネルギーも放出できないよね? つまり世界維持エネルギーを放出しつづけなきゃいけないという案はおかしくない?」
 という疑問が生じます。
 でも、こう考えればよろしい。
 完全に世界創造をなしとげた勇者は、人々からは「死んだ」と認識されるが、実際は肉体を失って「魂のかたまり」みたいなものとなり、神の座みたいなところに安置される。

 その神の座で、「世界を維持するエネルギーを放出するための装置」……いわば世界の心臓として、次の勇者が次の世界創造をするまで、ずうっとエネルギーを搾取されつづける。

 この「魂のかたまり」というイメージは、私が急に取り出してきたものではなくて、ザンクローネのエピソードを下敷きにしています。

 ザンクローネは魂だけの存在でした。そしてザンクローネは、自分を巨大な赤い宝石(紅蓮の大宝石)に変えて、「眠りにつく」ということができました。「村人たちは、ザンクローネは死んだ」と思いこんでいましたが、宝石になって休んでいただけだったのです。
 そんな、魂だけ、赤い石だけの存在であるザンクローネは、自分の身体をなんとかして取り戻したいと思っていました。

 ザンクローネの話の延長上に、もし、
「身体を失い、魂のかたまりになってしまうアンルシア。そんな彼女が身体を取り戻したいと願う」
 みたいなことを想定できるのなら。
 これは構造が完全に同型であって、フラクタルの関係になります。

(眠り姫になる→目覚める)
(魂だけになる→体を取り戻す)
(体の各部を奪われ一寸法師になる→体を取り戻す)

 そういうことが(ザンクローネ物語において)企図されていた、と考えてみるのも、おもしろい。

 もうひとつ。
 現行版のバージョン2では、レンダーシア各地に「神の緋石」があることになってます。これあるかぎり、マデサゴーラは、現実世界の上に自分が作った偽世界を上書きすることができない。

 この「神の緋石」。
 これこそが「魂のかたまり」……すなわち「歴代勇者が世界創造の力を使ったなれの果て」だったんだと考えてみるのも面白い。初期設定の時点では、そういう設定だったと想像してみるわけですね。
 この想定なら、「神の緋石のあるかぎり、マデサゴーラは世界を自分好みに書き換えることができない」は大納得なのです。世界に世界維持エネルギーが供給されつづけているので、存在が強固であり、容易に乗っ取ることができない。
 初期設定ではそうだったが、「勇者の世界創造」という設定がまるまるなくなったので、「グランゼニスが置いていったもの」という簡単な設定に置き換えられた。

 

●トーマはいなくてもよい

 この流れでストーリーを見ていくと、なんと、トーマはいなくてもお話は成立します。
 もちろん、いてもいいです。いればドラマチックになります。
 でも、いなくても成り立つ。
 たぶんですけど、初期案ではトーマはいなかったんじゃないかな、と私は想像してます。初期案がボツになって、大幅な修正が必要になったとき、

「あれ、アンルシアが命とひきかえに世界創造しなくてよくなった。ということは、アンルシアの絶望感が足りない。アンルシアをメルサンディで引きこもらせるための絶望エピソード足さないと……」

 みたいな感じで付け足されたのかも知れないなあと思っています。

 

 さて、次回は「勇者覚醒の光」のシーンについて。

 

 続き→[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(7)

2019年5月 3日 (金)

[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(5)

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●メルサンディの村とは

 まずは例のごとく、実装された現行のメルサンディ村のエピソードをご紹介します。
 今回ちょっと前置きが長いので、覚悟して読んで下さい。

 メルサンディの村は、いちめんの小麦畑のなかにぽつりと存在するのどかな農村です。

 この村はなぞめいた怪物におびやかされていました。手だけの怪物やら、足だけの怪物やらがとつぜん村に現れて、家をつぶしたり、人をさらっては去っていくということが繰り返されていました。

 しかし、この村には、「英雄ザンクローネ」という熱血漢の剣士がいます。ザンクローネも神出鬼没で、怪物があらわれるところ彼も必ず現れ、ザクーッ、メコメコーッと悪を退治してくれます。ザンクローネは村中の人々から愛され、尊敬され、頼りにされています。

 しかし、ある時ザンクローネは巨大な怪物と戦い、深い傷を負って、死んでしまいます

 あとあとわかることですが、実はザンクローネは、一寸法師ほどのサイズしかありません。こびとの英雄なのです。
 かれは元々は、人間サイズだったのですが、魔女によって身体を奪われ、魂だけの存在になりました。ひとかたまりの魂を、むりやり人の姿に変えているので、サイズがちっこいのです。
 奪われた身体はどうなったかというと、バラバラにされて、怪物に変えられました。村を襲う、手だけとか足だけとか顔だけの怪物の正体は奪われたザンクローネの身体です。

 しかし、魂だけの存在になったのには、メリットもありました。魂だけの存在は、そう簡単には滅びないのです。死ぬような手傷を負っても、自分を真っ赤な宝石のかたまりに変えて、長い時間休めば、元通りになるのです。ただし、宝石の状態では何の活動もできませんし、宝石を怪物に奪われ、どこかに捨てられてしまうかも知れません。

 そんなおり、不思議な旅人(プレイヤー。つまりわたしたち)がこの村を訪れ、冒険のすえ、失われていた宝石をみつけだして彼を復活させることに成功します。

 時を同じくして、村娘ミシュアが巨大な腕の怪物にさらわれるという事件が起きます。不思議な旅人(プレイヤー・わたしたち)とザンクローネは、地下水路に連れ去られたミシュアを救い、怪物を退治します。

 ミシュアの正体は、じつは記憶を失った勇者姫アンルシアだったのである……ということが、のちに明らかになります。

 以上が表面的なメルサンディの状況。

 

●童話の村にて

 上記のメルサンディ村は、じつはまるごと「つくりもの」でした。

 真のメルサンディ村は、「童話の村」と呼ばれて有名です。なぜなら、世界的な童話作家パンパニーニが住んでいるからです。
 パンパニーニはいくつかのヒット作をものした後、メルサンディ村を舞台にした「小さな英雄ザンクローネの物語」という連作童話を発表しました。

「小さな英雄ザンクローネの物語」は、メルサンディ村を舞台にしていますが、村人など登場人物の全員が架空です。架空の人々が住むメルサンディ村で、一寸法師のヒーロー・ザンクローネと怪物の戦いが描かれていきました。
 たとえば、ミシュアが腕怪物にさらわれるのは、「小さな英雄ザンクローネの物語 第3話」のエピソードです。

 つまり、クワガタおじさんマデサゴーラは、
「このメルサンディという小さな村も、ワシ好みに改造してやろう」
 と思ったとき、何を思ったか、「小さな英雄ザンクローネの物語」の舞台と登場人物をまるまる再現するという酔狂に出たことになります。

 マデサゴーラ製の偽メルサンディには、真のメルサンディに生きている人々は、一人もいません。
 そのかわり、童話に出てくる架空の村人たちが村に住んでいるのです。
 そして、マデサゴーラ製のメルサンディには、一寸法師のヒーロー・ザンクローネが実在します。
 ザンクローネの敵たちも存在します。

 マデサゴーラの作ったメルサンディは、童話の世界をそのまま再現したテーマパークのような村なのです。

 以上が、ちょっとややこしい偽メルサンディ村の状況です。忘れている人も多そうなので、まとめておきました。

 

●マデサゴーラはなぜ童話を再現するのか

 童話作家パンパニーニは、「小さな英雄ザンクローネの物語 第4話」で、ザンクローネの死(消滅)を描きました。そうしておいて、第5話で復活する姿を描こうとしたのです。
 が、パンパニーニは第5話を書く前に急死してしまいました。ですから、ザンクローネの復活は永久に書かれないことになりました。
 つまり、ザンクローネはいずれ必ず死ぬ運命にあり、その死が撤回されることは絶対にないということになります。

 偽メルサンディ村(マデサゴーラが作った村)には、パニーノという吟遊詩人がいます。この人は童話作家パンパニーニの分身のような存在です。

 パニーノは、
「マデサゴーラは、救いの英雄が決して生き返らないという悲劇がさぞ気に入ったのだろう」(だから物語上のメルサンディ村を再現するという酔狂に出たのだろう)
 と推測しています。マデサゴーラは英雄の死によって絶望した人々の顔が見たいからこの村を作ったのだろう、というのですね。

 でも私は個人的に、パニーノの推測はしっくりきませんでした。

 むしろ、マデサゴーラはアーティストなので、童話作家に対してシンパシーを持っている、と見るほうがしっくりくるんじゃないかと思いました。マデサゴーラは「パンパニーニ、いいじゃん」と思った。だからパンパニーニ・テーマパークを作ってしまった。こっちのほうが私は納得がいきます。

 この場合、マデサゴーラは、「自分以外のアーティストに対してリスペクトがある人」というプロファイリングになります。クワおじ、ますますナイスおじ

 

●いくつかのぎこちない点

 実際のゲームに実装された現行メルサンディ村ストーリーでは、「村娘ミシュア」の役を、なぜかアンルシアが務めています。
 アンルシアは、兄王子トーマが自分をかばって死に、「実は自分こそが勇者だったんだ」と知らされたとき、絶望のあまり、勇者としての運命を拒否し、自分の記憶を封印して記憶喪失になってしまいます。
 天馬ファルシオンは、心を閉ざしたアンルシアを安全な場所に保護するため、不思議な力で偽メルサンディ村にアンルシアを送りました。

 記憶喪失のアンルシアは童話の村人たちに発見され、村に受け入れられます。記憶喪失の彼女は、「ミシュア」という名前を与えられて村長の養女となるのです。
(つまり、メルサンディ村のストーリーにおいて、腕の怪物にさらわれるのは、ミシュアと呼ばれているアンルシアです)

 ……この一連の展開には、いくつかぎこちないところがあります。
 まず、天馬ファルシオンが勇者姫をかくまうための場所が、「大魔王マデサゴーラが創造した偽の村」であること。
 マデサゴーラが、どんな影響を及ぼしてくるかわからないし、そうでなくとも、日常的に怪物に襲われている場所です。

 もう一つ。アンルシアがミシュアになってしまったことで、「本来のミシュア」はどこかに消えてしまいました。ミシュアは童話の主要人物なので、マデサゴーラは当然、「童話に出てくる本当のミシュア」を村に配置したはずです。
 ミシュアの役をアンルシアが奪ったので、本来のミシュアは消えてしましました。「人をひとり消す」というのを、誰がどういう能力でやったのか。

 アンルシアがメルサンディから立ち去ると、村人全員の記憶の中からアンルシアに関する思い出が消えます。そして、「本来のミシュア」がどこからともなく現れて、アンルシアがいた位置に存在し始めるのです。ちなみに本来のミシュアさんはおさげ髪で、田舎なまりがきつい、たいへんイモっぽい娘さんでした。この娘さんは、必要ないときには舞台の外へ取り除かれ、必要となったらまた舞台の上に置かれました。

 

●偽メルサンディをアンルシアが作ったのなら

 さて、ここまでが長い長い前置きでした。「セカンドリリース構想文書」によれば、初期設定では偽レンダーシア世界を作る能力を持っているのはクワおじではなくアンルシアだったのです。

 上記のメルサンディを「アンルシアが作った」とする場合、どういうストーリーが流れるのか。

 アンルシアが、「ザンクローネのいるメルサンディ村」を創造したというのなら、アンルシアは「小さな英雄ザンクローネの物語」を読んだことになります。
「小さな英雄ザンクローネの物語」はベストセラーです。アンルシアは幼少時、ご本を読んで貰うのが大好きな女の子でした(という描写があります)。

 そんなアンルシアが、ハイティーンくらいの年齢で、「自分は世界を一身に背負うために生まれた勇者である」ということを知らされます。彼女はその運命を受け止めきれない、というのが、アンルシアの基本人物設定です。
 しかも、(今ここで検討している)初期設定では、
「勇者の能力とは、命とひきかえに、世界そのものを創造することである。その創造能力によって、モンスターがいない世界を創造することが求められている」
 ということになっています。
 これ人身御供ですよね。

 けなげなアンルシアは、未熟な状態でその能力を使い、なんとかグランゼドーラ周辺だけ、モンスターのいない世界を作ることに成功します。
 また、優しい彼女は同時にセレドの子供たちの命を救おうとし、また、アラハギーロのベルムドの絶望に心を寄り添わせたりします。

 グランゼドーラを救い、セレドの子供たちを救い、ベルムドを憐れんだアンルシアは、そこまでの素晴らしいことを行なったあとで、
「どうして私は、こんな重いさだめを背負ってしまったのだろう。どうして私は、世界のすべてに対して責任を持たねばならないのだろう。どうして私は、世界のために人身御供にならねばならないのだろう」
 と、自分に対して憐れをもよおします。これは誰でも納得できる感覚でしょう。

「セカンドリリース構想文書」によれば、勇者の力が完全に機能した場合、世界創造とひきかえに勇者は死ぬのです。文書によれば、アンルシアはたまたま未熟だったために「目覚めない眠りに落ちた」で済んだようなのですが、それは結果論であって、アンルシアは自分の命を投げ出すつもりで世界を救う行為に取り組んだのです。

 そんな彼女が、こう思ったところで誰も責められないでしょう。
「私だって、救われたい」

 だから彼女は、「ザンクローネのいる、童話のメルサンディ」を創造し、そこに自分自身を「ミシュア」の役で置くのです。

 勇者などでなかったらよかった。もしも私がただの娘だったら、こんな苦しみを味わわずにすんだ。
 だから自分を、村娘として配役する。

 私は勇者はなくなるので、誰か他の人が英雄となって、世界の困りごとを一手に解決してほしい。
 誰かって、誰?
 そう、不敵な顔つきで、どんな苦難も蹴散らしてしまう、不屈の英雄ザンクローネみたいな人がいればいい。
 ザンクローネが私の代わりに戦ってくれるなら、どんなにいいだろう……。

 だから、アンルシアは世界を再創造するとき、ザンクローネを存在させる。ザンクローネが活躍する舞台として物語のメルサンディも創造する。そして、自分は「そこに住む村娘」になる。

 勇者は、自分のすべてを消費して、無限に人々を救わなければならない運命の人だ。
 私は……アンルシアは、実際に自分のすべてをなげうって、そうした。

 けれど、その逆の可能性もあっていいはず。
 そんな夢を見ても許されるはず。

 勇者の役目は、他の誰かがやってほしい。
 私は、そんな勇者に救われるお姫様を味わってみたい。

 

●私はあなたに助けられたい

 だからアンルシアは、ミシュアという人物の立場をまるごと乗っ取るのです。

 前述のとおり、ミシュアは「ザンクローネと不思議な旅人に助けてもらえるお姫様役」です。

 偽メルサンディを作ったのは(この前提では)アンルシアなので、配役をいじるのは思いのままです。オリジナルのミシュアを創造せず、空席にしておいて、そこに自分がおさまるだけでよかった。アンルシア創造主説では、本来のミシュア(イモミシュア)を取り除いたり置き直したりという「小さな世界変更」を全く必要としません。

 一人で世界を救わなければならなかった勇者姫アンルシアは、自分の世界に、自分のかわりに戦ってくれる代理闘士ザンクローネを置き、自分を何の責務もない立場にし、「自分がただ一方的に救われる」という物語を導くことで、代償行為としたのです。

 現実の世界では、アンルシアの身体は、人柱の眠り姫としてベッドで昏睡しつづけます
 の世界では、アンルシアの魂は、何度でも化け物にさらわれては、ザンクローネに救われます
 重すぎる責務と、夢の中での代償行為が、ぎりぎりバランスを取った状態になります。
 もし偽の世界で、何か困りごとが起こったら、あの絶対にくじけない無敵のザンクローネが出張っていってなんとかしてくれるでしょう(という想定だったはず)。

「セカンドリリース構想文書」によれば、初期構想での大魔王は、アンルシアが世界創造能力を使ったときに、その余波で(たぶん覚醒の光で)大ダメージを受けて行動不能状態に陥っています。ですから、このアンルシアの世界は大魔王に脅かされることはないのです。
 アンルシアは夢の中で、好きなだけザンクローネに助けられ続けることができます。無限にそれを続けることも、不可能ではない……はずでした

 ところが。

 

●不思議な旅人

 そんなアンルシアの慰安を揺さぶる、ふたつの要素が顕在化してきます。

 アンルシアは、おそらく「小さな英雄ザンクローネの物語」を、誤読していました。この物語の中には、「そんなふうに自己停止していてもいいの?」と問いかけるような内容が含まれていたのです。これがひとつ。

 もうひとつは。
 賢者ホーローに「レンダーシアを救ってくれんか」と頼まれた五大陸の若い旅人が、グランゼドーラの眠り姫の噂を聞き、彼女を目覚めさせてあげようと考え、その方法を探す過程でメルサンディ村を訪れたことです。

 この旅人は……つまりわたしたちプレイヤーは、「不思議な旅人さん」という役どころになぜかすっぽりおさまって、ザンクローネと一緒にミシュア=アンルシアを助け出しました

 眠り姫(=アンルシア)を救おうとしてやってきた旅人が、ミシュア(=アンルシア)を救う。

 この符合が、
「アンルシアにとっての本当の救いとは何なのか」
「その救いをアンルシアに与えてあげられるのは、誰なのか」
 ということを暗示しはじめるのです。

 

 次回、アンルシアの精神世界に入ります。

 

 続き→[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(6)

2019年4月13日 (土)

[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(4)

※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 外伝等は参照しておりません。

●第1回からお読みください
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(1)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(2)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(3)

こちらもどうぞ→[ドラクエ10]女神ルティアナ、あなたはだあれ

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●魔物の王国アラハギーロ

 実際にゲームに採用されたアラハギーロのストーリーは以下のようなものです。

 砂漠の国アラハギーロは、なぜか住民の全員が名前と記憶を失っているという、謎めいた都です。『THEビッグオー』のパラダイムシティに似ています。
 アラハギーロにはモンスター格闘場があります。住民たちは、格闘場でモンスターたちが殺し合う姿に熱狂することで、記憶がない不安をまぎらわせています。
 格闘場では、負けたモンスターは容赦なくその場で死刑になります。その死刑の瞬間を見ることに、人々は熱狂しているのです。

 じつは、この都では、モンスターと人間とが入れ替わっていました。都の人々は、元は全員モンスターでした。記憶が封じられているのは、モンスターだった頃のことを思い出させてしまうと人間としての生活にさしさわるからです(たぶん)。
 そして、格闘場で戦わされているモンスターは、じつは姿を変えられてしまった人間でした。つまりここは、モンスターが支配し、人間たちがモンスターに変身させられて格闘場で死ぬまで戦わされているという町だったのです。

 元々のアラハギーロの格闘場は、ここまで血なまぐさいものではありませんでした。モンスターが格闘選手として、まもの使いがトレーナーとして、ともに手を取って強さを極めよう、という、現代の格闘スポーツに似た性格のものでした。ポケモンとポケモントレーナーの関係に近似です。

 アラハギーロに魔王軍が攻めてきて、劣勢に立たされたことが運命の岐路となりました。アラハギーロ軍は、格闘場のモンスターを最前線の捨て駒兵士として使うことを思いつき、格闘場責任者のまもの使いベルムドにそれを強要しました。

 ベルムドにとってモンスターは、苦難をともにした仲間です。サトシのところに軍隊がやってきて、「ピカチュウを兵器として使うことにしたから最前線で死ぬまで戦ってこい」と命令したようなものです。

 最前線においやられて、傷つき倒れていく自分の仲間モンスターを目の当たりにしたベルムドは、魔王軍ではなくアラハギーロに憎しみを向けます。

「人間とモンスターが今すぐ入れ替わればいい。捨て駒として死ぬまで戦わされる苦しみを人間自身が味わえばいい」

 皮肉めいた魔界の芸術家マデサゴーラは、これを面白いと思い、彼の願いを聞き届けたのでした……。

 物語のすじとしては、これは、「巨大な権力を持った魔王の悪趣味」と受け取るべきものなのでしょう。
 でも、ベルムドの叫びは、人として理解できるし、共感すら可能なものです。繰り返しになりますが、「人として理解も共感もできる」願望をかなえてやっている点で、マデサゴーラを邪悪の一言では断じきれない様相になっているわけです。

 

●アンルシアは「まもののいない世界」をつくる

 この、通称「偽アラハギーロ」の都を、アンルシアが作ったという場合、どうなるのか。

「セカンドリリース構想文書」にはこうあります。

 勇者の力はその生命力を代償として自分の理想の世界を創造するというもので、逞しく力を身につけた勇者ならば、魔物のいない平和な世界を創りだせるはずあった。
 しかし、不完全な覚醒で未成熟な力を使った勇者姫の造りだした世界は現実の世界と混在する非常に曖昧な状態で(後略)

(c)2018 SQUARE ENIX CO.,LTD.All Rights Reserved.
『セカンドリリース・シナリオ構想』
2018年7月29日開催の「ドラゴンクエスト夏祭り2018 EAST」ステージイベントより


 つまり、
・勇者の力とは、「自分の理想の世界を創造する」こと。
・その力の目的は、「魔物のいない平和な世界を創りだす」こと。
・しかしアンルシアは未熟なので、「曖昧な状態の世界を創ってしまう」

 前のエントリで提案したように、ここでは、「アンルシアは自分が勇者であるということを受け止めきれない」少女であるという人物理解をしています。
 だから、「自分はただの村娘だ」という世界を創ってしまおうとする。

 ただ、アンルシアは基本、良い子なので、「とにかく自分の責任を放り出せればそれでいい」とは考えない
 期待されている通り、魔物のいない世界を創ることができれば、勇者はお役御免となるので、ただの女の子として生きることが許されると考える。実際にそうする。現に「セカンドリリース構想文書」では、グランゼドーラ周辺を「魔物の存在しない世界」にすることには成功している(っぽい)。

 そんな「魔物不在の領域」をアラハギーロにも広げようとするのですが……。まさにその瞬間、

「人間とモンスターが今すぐ入れ替わればいい!」

 ベルムドの、呪いと憎しみにみちた絶叫を、魂の深いところで聞いてしまった……ということになります。

 アンルシアは、ベルムドのその強い欲求に影響されてしまうのだ、と考えることにしましょう。
 魔物のいない世界をつくりたいのだが、同時に、傷つききったベルムドの魂も救済してやりたい。捨て駒にされているモンスターを助けてやりたい

 一見、相反する願いのように見えるのですが、奇妙にねじれて一致してしまいます。

「モンスターが人間に変化した」という現象があれば、それは「モンスターがいない世界」につながる。
「人間をモンスターに変え」て格闘場で皆殺しにすれば、経過はどうあれそれは「モンスターがいない世界」だ……。

 そういうねじくれた実現方法を、アンルシア自身が望んだわけでは決してないけれど、世界創造に干渉してきたベルムドの怨念が強すぎて、とにかくそんなかたちが生まれてしまう。……というふうに考えることにします。

 このようにして、アンルシアは「呪われたアラハギーロ」をつくりだしてしまった。この呪いを、誰が、どう解くのか。アンルシアの身体はグランゼドーラの城で眠り姫をしているし、アンルシアの魂は、メルサンディの村で記憶をなくして村娘をやっている。

 眠り姫を目覚めさせる方法を探して、そんなアラハギーロに主人公(わたしたち)がやってきます

 

●アラハギーロで得られる目覚めのカギ

 アラハギーロにはセラフィという可愛らしい女の子がいて、格闘場でモンスターが殺されていくことに心を痛めていました。
 ベルムドは、格闘場の元人間モンスターを、最後の一匹が全滅するまで戦わせる死のバトルロイヤルを計画していました。
 主人公とセラフィは、協力して元人間のモンスターたちを逃がし、ベルムドと対決して、彼の暴挙を止めるのでした。

 このクライマックスの場面で、セラフィの正体がホイミスライム、つまりモンスターであることが明らかになります。セラフィは、まもの使いとの間に良い思い出を持っていて、人間のことが好きなのです。
 偽アラハギーロのストーリーは、人間が無残に殺されようとするのを、モンスターが阻止する物語です。

 だとしたら。
 魔物を消し去り、魔物のいない世界を創造するというのは正しいことなのか?

 魔物のいない世界とは、まもの使いとモンスターとの心の交流が存在しない世界であり、そして何より、心優しいセラフィが存在しない世界です。

 本当に、魔物を消し去っても良いのか? という、ラディカルな疑問を、わたしたち主人公は、眠れる勇者姫アンルシアの枕元に持ち帰ります。

 次回、メルサンディの村。


 続き→[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(5)

2019年4月11日 (木)

[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(3)

※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 外伝等は参照しておりません。

●第1回からお読みください
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(1)
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(2)

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●セレドの子供たち

 まずは、「採用されたほう」のセレドのストーリーから。

 現行のバージョン2では、偽セレドの町は、「子供しかいない子供王国」としてわたしたちの前に姿をあらわします。
 いちばん年上のリゼロッタも、せいぜいローティーンです。子供たちは、このリゼロッタを女王として、うるさい大人たちのいない世界でおもしろおかしくお菓子ばかり食べて暮らしています。

 その暮らしを支えているのは怪しげな使い魔ムッチーノで、かれは子供女王リゼロッタに忠誠をつくしています。ムッチーノはドラえもんよろしく魔法で何でも出してくれるので、何不自由なく暮らしていけるのです。

 ……じつはこの子供たちは、全員が死者でした。本当のセレド(真セレド)では、古い高台の教会が、崩落の危険性があるということで立ち入り禁止になっていました。子供たちはこの教会に忍び込んで遊んでいたところ、建物が崩落して全員が死亡したのです。
 つまり、偽セレドでは子供たちしかいない世界が生まれている一方で、真セレドでは「子供たちがいない」世界になっていて、親たちは町ぐるみで子供を失って悲しみにくれています。

 大魔王マデサゴーラは、偽レンダーシアの世界を創造するとき、たわむれに「子供たちだけ」を生き返らせるということをしたのでした。おそらくは、「子供たちだけの国を作ったらどんな愉快なことが起こるのだろう……」そこで起こる様々な事件やトラブルや感情の機微を、一種の「現代アート」として楽しもうとしたのです。(マデザゴーラは自称・魔界の芸術家です)

 セレドの町は、古代の召喚術の文化が残る町でした。子供たちは、古い魔人エンラージャを召喚して使い魔とし、生活の用に供しようと考えます。ムッチーノも子供たちが呼び出したものです。
 が、魔人たちの側からみればそれは、「子供たちをうまく利用して、この世に復活してやろう。そのあかつきには、子供たちはみんな奴隷にしてやろう」という企みでしかないのでした。

 

●偽セレドをアンルシアが作ったのなら

 このセレドの物語においては、マデサゴーラは、子供たちを人権無視で過酷な社会実験のモルモットにしようとした大悪党です。
 ですが、本来は死んで人生終了となるはずだった大勢の子供たちを、偽の世界で生存させることにした、という点だけを見れば、それは一種の救いだとも見なせます。死という「真にクリティカルな絶望」からは、子供たちを救っているのです。こういうポイントがあるので、「クワガタおじさんは弁護のしようもない悪の権化というほどではない、多少話がわかるヒゲおやじ」という評価が生まれています。

「セカンドリリース構想文書」で書かれた設定をふまえて考えると、ボツになった旧設定では、
「全滅したセレドの子供たちを偽セレドにて生かしたのはアンルシア」
 だったことになりそうです。

 この場合、アンルシアの意図は、
「いっぺんに死んでしまった子供たちも、子供たちをいっぺんに失った親たちも、不憫でならない。理想の世界をつくる力が私にあるというのなら、この悲劇を撤回させてやりたい。教会の事故を、なかったことにしてあげたい
 という、まことに自然かつ純粋なものです。
「大人たちも生きているし子供たちも生きている」という状況を作れなかったのは、彼女の世界創造者としての未熟、くらいに考えればよいでしょう。

 アンルシアは、世界創造という勇者の力を使って、「自分が勇者ではない世界」を作ろうとしました(という前提条件を置いています)。その際、世界に存在する悲劇をいくつかなかったことにしました。
「世界を救う勇者の能力とは世界創造である」というアイデアの根本は、「最初から救われている世界を作る能力があれば無敵だ」ということだと思われるので、アンルシアはきわめてただしく、「勇者の力でセレドを救った」ことになります。

 ところが。この「子供たちだけが生きている町セレド」の状況を、魔人エンラージャが利用しようとしました。エンラージャは、はるかな古代にこの土地に召喚され、古代都市リンジャハルを滅ぼした悪魔のひとりです。

 エンラージャとそのしもべたちは、子供たちをそそのかして召喚儀式をさせれば、偽セレドの世界に復活することができる、と考えます。そのために、「使い魔にお願いをすればなんでもかなえてもらえる」という状況を与えて、子供たちを意図的にスポイルします。
 ようするに、自分たちの生活を自分たち自身で支えよう、という意欲を奪い、使い魔たちに依存させ、「もっと強い使い魔たちがたくさんいればいいのに」としか考えないように誘導していったのです。
(注:このエンラージャのくだりは、現行のバージョン2の物語とほぼ同一です)

 つまり、「子供たちが救われている町を作ろう」と思ってアンルシアが作ったセレドの町は、邪悪な意図を持った古代の魔人の苗床にしかならなかったのでした。

 この偽セレドの町を、主人公(プレイヤー)が訪れます。主人公が必死で戦ったことと、子供たちが自分自身で意識変革をしたことで、魔人の勢力は排除され、偽セレドの子供王国に一定の救いがもたらされます。

 

●セレドから持ち帰る目覚めのカギ

「セカンドリリース構想文書」には、「プレイヤーは、眠れるアンルシアを目覚めさせるために、世界をめぐることになる」という意味のことが書いてあります。

 その世界をめぐる過程で、プレイヤーは偽セレドにやってきて、偽セレドのために戦います。
 その結果、子供たちは、リゼロッタを中心に、「使い魔の魔法に頼るのはやめよう、自分の生活は、自分の力で成り立たせよう」という決意をかためます。子供たちは、勇気をもって、自分自身を救うということをはじめた。

 願いは、理想は、「世界変更」という魔法的手段で本当に手に入れられるのだろうか? それらを手に入れたいなら結局、自分が血を流して勝ち取るしかないのではないか……?

 という強烈な問題提起を、プレイヤーはセレドの子供たちから手にいれ、自分の運命を拒否して眠るアンルシア姫の枕元に持ち帰ることになるのです。

 次回、アラハギーロ。

 

 続き→[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(4)

2019年4月10日 (水)

[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(2)

※注:「ドラクエ10」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、物語のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
 こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
 外伝等は参照しておりません。

●第1回からお読みください
[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(1)

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●ドロップアウトする「チャンピオン」

 ドラクエ10では、「勇者」というのは、「人類に危機が訪れたときにそれと戦う使命を神から与えられた代表闘士」くらいの意味です。たぶん英語では「Champion」(本来の意味での)が近そうです。
 ロマサガ1に「世界にいきるすべてのもののチャンピオンとして」という、とても印象的な台詞がありますが、その意味の「チャンピオン」です。
 これは神が選出するものなので、人間側が異議を唱えたりはできない感じです。

 現行のドラクエ10バージョン2では、《勇者姫アンルシア》は、自分が勇者であることを受け止めきれない少女として私たちの前に登場します。 アンルシアは、「勇者の妹」として育てられています。表向きには、「兄王子トーマが勇者である」ということになっていました。
「アンルシアが幼年のうちに魔物に命をねらわれたらまずい」
 ということで、トーマ王子が勇者だということにしてありました。アンルシアもそれを信じていたのです。

 勇者として人類を守り、戦うという重責は、トーマ王子が担ってくれていました。アンルシアも剣の達人に育っていきますが、本人は「勇者トーマのお手伝いができればいい」くらいの気楽な心づもりでいました。

 が、トーマ王子はアンルシアをかばって死にます。その際にトーマ王子から、「おまえが実は勇者なんだ」という驚愕の事実を知らされます。

 アンルシアにとっては、
「兄様を守るつもりでいたのに、できなかった」
 という、自分がもっとも無力感にさいなまれるタイミングで、
実はおまえが、人々の希望を一身に背負って戦う運命を課せられた人類の代理闘士なのである」
 ということを告知されたことになります。

「そんなこと私にできるわけない」

 アンルシアは絶望して、「この世から消える」ことを選びます。自分の記憶と能力を、自分で封印します。その結果、アンルシアは世界から消滅します。

 消滅してどうなったかというと、「記憶喪失の美少女ミシュア」として、「マデサゴーラが創った偽レンダーシアのメルサンディ村」に出現するのです。繰り返し念を押しておきますが、これは、実際に採用された「現行の」バージョン2の物語です。

「自分を自分で封印して、世界から姿を消す」
 ここまでは問題ありません。しかし、
「マデサゴーラの創った世界に転生する」
 というのは、奇妙に飛躍しています。もちろん、何やら理屈をつけようと思えば、いくらでもつけられます(私はいくらでも思いつきます)けれど、私にはいまひとつ腑に落ちないままでした。

 が、
「勇者とは、自分が願う理想の世界を創造する力を持った人間であり、アンルシアは、自分ごのみのもう一つの世界を生み出すことができるのだ」
 という初期設定を導入するのなら、これは飛躍ではなくなるのです。

「アンルシアは、自分が勇者であるという運命を拒否したかった。だから、《自分は勇者などではない、何の力も持たないただの村娘だ》という世界を《理想世界》としてみずから創りだしたのだ」

 と考えれば、これはだんぜん、腑に落ちやすいのです。
 腑に落ちやすいだけでなく、魅力がある。
 当初は、このような真相がプランされていた。だが、堀井さんのボツを食らって、「勇者姫は世界創造能力を持つ」という設定がお蔵入りになった。「世界創造能力を持つのは魔王のほうだ」ということに変更された。
 が、この時点ですでにメルサンディ村のストーリーは構想されていた。それがほぼそのまま流用されたので、「アンルシアがマデサゴーラの創った世界になぜか出現する」という、ちょっとぎこちない展開が出てくることになった。

 

●変更された世界

「セカンドリリース構想文書」には、
「勇者の能力は、命とひきかえに、魔物のいない平和な世界(理想世界)を発生させること」
 という意味のことが書いてあります。
 この能力を使ったとき、アンルシアは未熟だったので、中途半端に平和な世界が発生し、そのかわり命は失わずにすんだ、みたいな感じのようですね。

 初期案のアンルシアは、この能力を使い、その結果、我々がよく知る「偽レンダーシア」が誕生したのだと考えることにしましょう。
 我々が見てきた「マデサゴーラの創った偽レンダーシア」と、おおむね同じような感じのものを、「アンルシアが創った」というふうに考えるわけです。

 おそらく、「自分が勇者であることを受け止めきれない勇者姫」という構想は、初期案の段階でも存在しただろうと思います。

 初期アンルシアは、世界を創造するとき、「何の責務も負っていないただの村娘として、この世界に存在してみたい」と思った。それが実現した。
(その願いこそが「未熟」の正体と考えるのもおもしろい。その場合、「未熟こそが魅力」というかたちになる)

 けれど、アンルシアの気持ちとしては、自分だけが責務から逃れて楽になれればよいというわけでは、当然なかった。世界を変える能力が自分にあるのなら、「世界を変えることでしか救えない者たち」を同時に救いたい。
 アンルシアは無意識のうちにそう思い、無意識のうちに、レンダーシアの各町に、いくつかのクリティカルな変更を加えた。
 ……というふうに考えることにしましょう。

 たとえばそう、セレドの町に起こった悲劇を、なかったことにできないか、とか……。

 この、「初期設定アンルシア」は、誰も知らないところで、「起こってしまった悲劇から人々を救っている」のです。
 だから実は、本来期待されている「勇者らしい」世界創造をしている。勇者でありたくない、という気持ちから作った彼女の世界は、とても優しく、誰かを救おうという気持ちに満ちている
 そこに魅力があり、だから腑に落ちるのです。

 繰り返しになりますが、現行のドラクエ10では、その変更を「マデサゴーラが行なった」ことにしたので、「不思議にヒューマンな魔王」という、味のある敵役が生まれた。

 そして、現行のバージョン2には、「勇者の力があれば、偽レンダーシアと真レンダーシアを自在に行き来できる」という設定があり、実際にそれが、世界間移動システムとして機能しています。
 なぜ勇者の力があれば、マデサゴーラの作った世界に行ったり帰ったりできるのかについては、「勇者の力はすごいから」以上の説明はなされていません。

 これも、「旧設定では、偽レンダーシアはアンルシアが勇者の力で作った」という補助線をひけば、違和感はなくなります。偽レンダーシアは勇者姫アンルシアが作ったものだったので、勇者の力で移動できるのは当然なのです。

 次回から、偽レンダーシア3都市の各論。まずはセレドの町に向かいます。


 続き→[ドラクエ10]姫が夢見たオルタナティブ・ワールド(3)

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