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加納新太

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    君の名は。 Another Side:Earthbound
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    小説 劇場版ハヤテのごとく! HEAVEN IS A PLACE ON EARTH
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    秒速5センチメートル one more side
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    シャイニング・ハーツ やさしいパンの薫る島
    RPG「シャイニング・ハーツ」の小説版です。原作の物語のサイドストーリー的な位置づけです。3人のヒロインは全員登場し、ゲームでは出番の少なかった海賊ミストラルも活躍します。牧歌的でやさしく、すべてが満ちたりた世界を書こうと思いました。満足しています。

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    fortissimo//Ein wichtiges recollection
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    世界めいわく劇場スペシャル
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  • : シャイニング・ウィンド -アナザーリンク- 鬼封じの剣士

    シャイニング・ウィンド -アナザーリンク- 鬼封じの剣士
    RPG「シャイニング・ウィンド」の小説版です。ゲーム本編のノベライズではなく、主人公たちの過去の物語を書きました。自分に伝奇小説が書けるか、ジェットコースター型の展開が書けるか、というのが、個人的なチャレンジでした。ありがたいことに、かなり好評を博しています。

  • : シャイニング・ティアーズ to ウィンド 姫君たちの冒険

    シャイニング・ティアーズ to ウィンド 姫君たちの冒険
    RPG「シャイニング・ティアーズ」「シャイニング・ウィンド」の短編集です。基本的に、原作の物語がスタートする前を舞台にしています。いわゆるプレ・ストーリーです。エルウィン、マオ、ヴォルグ、ブランネージュ、クララクランが登場します。

  • : ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる

    ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる
    原作/新海誠。新海監督のデビュー作を小説化したものです。少女視点の「あいのことば」、少年視点の「ほしをこえる」の二部構成となっています。表紙はブルーの箔押しで、美しいデザインです。『雲のむこう、約束の場所』と並べてみると、帯込みで対比的になるようにデザインされています。

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    シャイニング・ティアーズ 神竜の剣
    RPG『シャイニング・ティアーズ』の小説版、続編です。単独の本としても読めるつくりになっています。作者としては、前作よりも納得のいく出来です。勇ましい物語です。

  • : 雲のむこう、約束の場所

    雲のむこう、約束の場所
    原作/新海誠。劇場アニメーション映画『雲のむこう、約束の場所』を小説化したものです。装丁がとても美しく、それで手に取った方も多いようです。

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    シャイニング・ティアーズ 双竜の騎士
    セガのRPG『シャイニング・ティアーズ』をもとにしたヒロイック・ファンタジィ小説です。ノベライズです。

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    タウンメモリー
    架空の海辺の街(モデルは藤沢あたり)に暮らす女子高生が主人公の日常小説です。題材的に、少し恥ずかしいなという気分もありますが、気に入っている作品です。

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    アクエリアンエイジ Girls a War War!
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    月姫 アンソロジーノベル〈2〉
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    月姫 アンソロジーノベル〈1〉
    PCゲーム『月姫』を題材にしたアンソロジー短編集です。遠野秋葉が主人公の第一話『かわいい女』を執筆しました。

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2011年11月

2011年11月18日 (金)

水曜どうでしょうのミスターが着けていた腕時計

 またユーズドの腕時計を買ってしまった。オレンジ色のなかなか派手なやつ。製造番号から、製造年をわりだしてみると、97年に作られたものらしいので、14年前のものですね。そのくらいのものになると、ヴィンテージというのでもないし、ソーラーも電波もついてないしで、「中古としても微妙なもの」という扱いになるので、安く買えますね。遊びとして買うには手頃で、おもしろいのです。

 こんなの。

K3200006_2

 これは、狙って探して購入しました。というのも、HTB北海道テレビの『水曜どうでしょう』で、“ミスター”鈴井貴之さんが着けていたのと同じ時計なのです。鈴井さんは番組後半では、ロレックスとか、ブルガリを身につけているらしいのですが、ごく初期にはこのオレンジのやつをはめていました。サイコロ2、オーストラリア縦断、カントリーサイン1で確認できました。
 ほら、これ。ね?

Mr02b_2

 だけど、実物を手に入れてみると、誰のゆかりのものだとかはどうでもよくなりました。質感が良くて、きれいなんですよ。文字盤が鮮やかで、風防はレンズっぽくふくらんでいて、宝石っぽいニュアンスがある。このきらきら感は、デジカメではどうしても伝わらないのが残念。
 電池を入れに行った時計屋のおばちゃんも「まぁ、きれいな時計!」って感嘆していましたね。でもその時計屋は裏蓋を開けることができず、結局ヨドバシで電池交換しましたけど。「店の外壁に動く巨大時計を掲げている時計屋は信頼できる時計屋だ」っていうジンクスを聞いたことがあるんだけど、あれ嘘でっせ。

 そういうわけで、腕時計のローテーションに新たな一本が加わりました。これはクオーツ式だから、自動巻時計を優先して身につけることにしているから、週に1回くらい身につけるレアポケモンみたいな出現頻度になりそうです。

 ちなみに、どうでしょう関係では、ジャングルリベンジで大泉さんが着けていた時計の型番は判明していて、DIESELのDZ2054というそうです。でも、これはもう手に入らないらしい。
 カントリーサイン2以降に出てくる緑色の時計や、アラスカ前夜の打ち合わせシーンで身につけられているモノトーンの時計の正体は、ネット上でもまだ不明みたいです。私も軽く調べてみたんだけれど、わかりませんでした。DIESELのやつは、私には似合わなさそうだけれど(といいつつDIESELの黒革のデジタル時計を一本持ってるけど)、緑色のきらきらした時計はちょっと欲しいかなって思っています。国内メーカーだったらカシオかオリエントっぽいかなあって推測したんだけれども……。

2011年11月16日 (水)

大人になってからプレイするドラクエ4(下)

 第1回はこちら。
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-abe9.html
 第2回はこちら。
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b169.html

 ドラクエ4には、わかりやすく、美しい対比が、いくつも仕込まれていて、それがここちよい。

 RPGの文脈では、「魔王と勇者」が対比されやすい。魔王を勇者がやっつけるお話だから、それは当然なのだけれど、ドラクエで厳密に考えると、ちょっと変かなと思えるところがある。

 というのは、ドラクエは、お城の王様に会って「魔王を倒してこい」と言われるところから始まることが多いからだ。
 お城の王様の謁見場から話は始まって、海を渡った向こうに見える、あの魔王の城に行って、魔王をどついてきたら終わり、というお話だ。

 人間の王様の前から始まって、魔界の王様の前でおわる。
 そしたら、魔王と対置するべきものは、人間の王、いわば「人王」とするのが筋なんじゃないだろうか。
 ヤクザの抗争に例えれば、魔王は魔界組の親分、人王は人間組の親分だ。この2つの組はナワバリをめぐって対立している。人間組の人王親分が、あいつのタマぁ取ってこい、といって、ドス持った鉄砲玉を差し向ける。それが勇者だ。

 そういうことで、魔王と鏡うつしになるのは人王だとする。
 となると、勇者は何と対比させたらいいんだろう。
 勇者と対置するものが魔王でないとするなら、何だろう。
 たとえば、魔界側にも、勇者のような存在があって、魔王から「あの城にいる人間の王を始末してこい」なんて言われていたりするんじゃないだろうか。

 といったことを、堀井雄二さんが考えたか考えなかったかは定かではないけれども、ドラクエ4では、魔界の勇者ピサロというキャラクターがいて、すごい存在感をはなっている。

 じっさいに、ピサロとその手下は、人間の王様を何人か、片付けたりさらったりしている。
 その一方で、プレイヤーが操る人間側の「勇者」は、魔界の王エスタークを、物語中盤で倒してしまう。本来なら、最後の最後でやっと倒すような大物を、ストーリー半ばで片付けてしまう。
 魔界側の勇者は人間界の王を仕留め、人間側の勇者も魔界の王を仕留めて、抗争は一進一退、といったかたちを見ることができる。互いの組の鉄砲玉が、大物のタマを取り合って痛み分けといったところだ。

 そして物語は最終的に、ピサロと勇者が相打って、はたしてどちらが勝利するのか、というクライマックスになだれこむ。魔王vs.勇者、という、従来のドラクエの不均衡な対決ではなく、魔界の勇者vs.人類の勇者、という最終決戦をドラクエ4は提示する。

 しかも……これはやった人が誰しも気づいていると思うけれど、ドラクエ4は、ピサロと勇者に、まったく同じ心の傷を与えている。
 勇者には、シンシアという恋人がいたが、彼女はピサロに殺される。
 ピサロには、ロザリーという恋人がいたが、彼女は人間に殺される。

 同じ境遇をあたえて、鏡うつしのようにする。相手を憎めば、それだけ相手のことがわかってしまう。同じ境遇だから。
 そんな2人が、最後に打ちあう。どちらが勝っても、片方の復讐は果たされることになる。

 そういう、ちょっと苦いお話が語られて、その苦さがまたいいんだけれども。

     ☆

 リメイクされたPS版では、第6章ピサロ編というのが追加された。
 これは、メインストーリーが終わったあと、勇者とピサロが仲間同士になって、本当の黒幕であるエビルプリーストをやっつける、めでたしめでたし、というお話でした。ロザリーが殺されたのはエビルプリーストの陰謀であって、それはピサロに絶望を与えて魔王化させるためだったのです。
 これは、少年ジャンプ的な高揚する展開で、楽しく遊んだんだけれども。

 あとになって、やっぱりちょっと、うーん……と思ったのだった。

 もし私がシナリオライターだったら、勇者とピサロが同行するのはよいとして、エビルプリーストを倒したあと、もう一度、勇者とピサロを対決させてしまうと思う。
 そんな簡単にわだかまりを払拭できるもんか、と考えて、そうしてしまうような気がする。たとえば以下のような感じ。

 ……いちばん悪いのはエビルプリーストだ。それはピサロにはわかっているし、勇者にもわかっている。
 それはわかっているのだけれども、それでも、ロザリーを殺したのは人間なのだし、シンシアを殺したのはピサロなのだ。
 そこをのみこんで、手をとることなどできない。
 目の前の相手がいちばん悪いわけではないし、相手にも悲しい事情があったことはわかっている。わかっているどころか、その気持ちをいちばん身にしみて理解できるのはこの自分だ。
 それでも。
 それでもやはり、こいつと手を取り合うことはできない。

 そういうふうにして、もういちどこのふたりで決戦させてしまいそうだ。

 FC版のクライマックスで、勇者の前にあらわれるピサロは、憎しみのあまり、怪物化して、自我をほとんど失い、ただの戦う機械のようになってしまっている。
 それは、「どんなに感情移入できても、もうピサロは倒すしか方法がない」という状態にすることで、プレイヤーがわだかまりなく、迷いなくラスボスと戦えるようにするためだと思います。(ドラゴンボールでも、わりとそういう処理が頻出しますね)

 本編ラストがそうういう感じなのだから、追加シナリオである第6章では、自我を保持した、知性のあるピサロとあえて戦い、ついに決着をつける……そういう展開を見たかったなという気持ちが、けっこう強くあります。自分だったらそういうふうに書いてしまうだろうと思う。
 第6章は、進化しすぎてもはや自我を無くしたピサロを怪物としてやっつけるのではなく、自分自身を取りもどしたピサロを、一人の人物として扱い、それでもなおピサロと決着をつけねばならない物語であってほしかった、と、思うのです。
 そうは思うのだけど。

 でも、PS版ドラクエ4が、そうならなかった理由は、よくわかる。
 一言で言うと、私が言ってるのはこれは、ファイナルファンタジーの方法論だ。

 そんなような、めんどくさい場所にプレイヤーを連れて行ってジレンマで立ち止まらせたりはしない。そこが良くて、ドラクエは愛されているのですね。
 悪い奴を気持ちよくやっつける、というわかりやすさを、時々ふらつきながらも決して外さないところが、ドラクエのドラクエたるゆえんなのです。ドラクエ4は、そのスタンスがかなりふらついている(あえてふらつかせている)けれど、最後の最後で、ぴしっとその一線はまもる。
 堀井雄二さんは、前3作で王道すぎるほどの王道をやった結果、そこから少しズレたくなった、その気持ちの反映がドラクエ4の物語であり、またピサロという「人として気持ちを理解できる」悪役の存在なのだと思うのだけど、それでもドラクエ4は、「やっつけるべき敵を、迷いなくやっつける」というラインを外してはこない。

 それは実に凄いことであって、ちょっと私なんかは永久に真似できないかもしれない。堀井雄二さんの書くものには、明らかな屈折が感じられると常々思っているのだけど、そういう物語の大きなところでどうして屈折せずにいられるのかなということを不思議に思っています。
 でかいな。


追記
 ドラクエが第4作めで「魔王というのは、いったいどういう存在なのだ?」ということを描くことになったのは、「ウィザードリィ4」のオマージュ的な意味があったのでは、という考え方もできるかもしれない。ウィザードリィ4は、前3作とは趣向が異なり、プレイヤーが魔王になって地上を征服しにゆく物語です。ドラクエ4を作るとき、「Wizは4で何を描いていただろうか?」というリサーチがあった、という想像はそれほど難しくない。

2011年11月15日 (火)

大人になってからプレイするドラクエ4(中)

 ドラクエ4に感動した話の、つづき。

 前回はこちら。
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-abe9.html

     ☆

 とくにすごいと思ったのは、ドラクエ4は、かなり壮大な物語であるのに、「ことばで物語を語る」割合が少ない。
「ことばではないもので物語られている」部分が、とても多くて、そういうところにとても心打たれた。

 ことばでないなら、何で語っているのか。
 それは、「ゲームで」語っているのです。

     ☆

 まず前提として、ドラクエ4の主人公は、ドラクエシリーズ初の「制度としての勇者」であるというお話をします。

 ドラクエ1から3までの主人公は、とくべつ、神がかったような設定はありません。

 先祖や父親がひとかどの人間で、その血をついでいる、といった設定はあるものの、基本的に、
「君たちは腕っ節がつよいんだから、世界のこまりごとをなんとかしてくれまいか」
 と王様から頼まれて、それで冒険して、結果的に世界を救うことになる。
 人間社会の中で、強いやつが、その強さを見込まれて、それで実際に成果を出す。そういうお話になっている。

 このときの、「世界のこまりごと」は共通していて、「魔王がこの世を支配しようとしている」というもの。
 魔王について詳しいことは、とりたてて、語られない。どこから来たのかわからないし、なんでまた世界を暗闇に閉ざしたいのか、その動機も、ユーザーにはわからない。そういったことはまるっきりとっぱらって、「とにかく人類社会を深刻におびやかす巨大な悪そのもの」というふうに位置づけられて、ゲームの中の最終地点にどかっと存在する。
 ドラクエ1~3の魔王とは、「そういう役割としてそこに置かれているもの」。いわば、「制度」としてとにかくそこにあるものなのです。
 ドラクエ初期3部作のラスボスは、「制度としての魔王」である、という言い方ができます。
 そういう制度的な魔王を、人類社会の中から見込まれた若者が、少しずつ力をつけて、冒険に冒険を重ねて、何度も死ぬ目にあって、さまざまなドラマがあって、いろんなことがあってついにやっつける。
 そういう形になっていました。

 ドラクエ4は、その逆です。

 魔王……というかラスボス(最終的な敵)、ピサロのドラマが、語られていきます。魔界の首領ピサロはどういう者なのか。どうして人間を憎み、どうして人を滅ぼしたいのか。その事情が、理解できるかたちで、共感さえ呼ぶようなかたちで、語られていく。
 それまでのドラクエが、「理屈ぬきにしてとにかく魔王」だったのに対して、ドラクエ4のデスピサロは、「いろんな事情があり、ドラマがあり、感情があって、もう魔王になるしかなかったから魔王」なのでした。

 そのいっぽうで、ドラクエ4の主人公「勇者」は、「もう理屈はぬきにしてとにかくアンタは世界を救う運命を帯びた勇者」と決めつけられるところから始まります。
 勇者を育てた村の人は、「おまえはやがて世界を救う勇者なんだよ」と口でいいますし、世界各地の街の人々は、「どこかで世界を救う伝説の勇者が育っているらしい」などという予言を口にします。
 勇者という制度がアプリオリにあって、それにあてはまる人物がそのワクにカパっとはめ込まれる。そういったかたちで、プレイヤーは問答無用で勇者業をいとなむことになります。
 まるで、従来のドラクエの魔王が、制度的に魔王業をやってたのと同じノリで、制度として勇者というクラスが存在しています。

 これは意図的に堀井雄二さんが、「それまでのドラクエを反転してみよう」と思ってそうしたはずです。
 ドラクエ初期三部作で、言い方はちょっとあれですが「テンプレート的な魔王と勇者」をたて続けにやった結果、
「魔王って、なんなんだ? 勇者って、どういうことだ?」
 そういうことを考えざるをえなくなった。それで、「これまでやってきたことを、反転させてみよう」ということになった。その産物がドラクエ4だろうと思います。

 さて、堀井雄二さんは、
「この人はもうとにかく理屈抜きで勇者なの。超すごいの」
 ということを、ユーザーに認めさせ、納得させる必要に迫られたことになります。

 制度的魔王の場合は、最後にちょろっとしか出てこないのですから、ハッタリひとつで何とかなりました。けれど、こんどは勇者です。ユーザーの分身です。常に画面に出ている人です。いったいどうすればいいのか。「あなたは勇者ですから」と村人に連呼させれば良いのか?

     ☆

 村人のセリフを使って、ことばで説得してもいい。けれども、これはゲームなんだ。ゲームならではの説得のしかたがあるはずだ。

 第4章は、殺された父親のかたきを探し求める姉妹が主人公。「モンバーバラの姉妹」と呼ばれている。
 この挿話で、姉妹は「やがて運命の勇者に出会うだろう」と予言されるのだけど、それは、どうでもいい。

 この第4章は、とても難易度が高いエピソードです。モンバーバラの姉妹はあまり強くないし、なのに、登場する敵が強い。
 コーミズ西の洞窟、という迷宮があって、姉妹は低レベルのうちから、そこに入って行かなくてはならない。この洞窟は、3章までに出てきた初期迷宮と比べて、段違いに敵が強いし、内部も広い。そしてモンバーバラの姉妹はあまり強い防具を装備できないので、やたらダメージを食らう。
 姉妹は弱いのに、迷宮はすごくタフ。
 あきらめて途中で引き返し、何度も出直して挑戦しなければならない。全滅してしまうことも珍しくない。
 さんざん苦労する。
 ものすごく、クリアしにくく作ってある。

 そうして、洞窟の最深部に、息も絶え絶え到達すると、姉妹はオーリンという知人に再会する。
 この人は、姉妹の父親の弟子だった人で、かたきうちに協力してくれる。
 オーリンは腕っ節がつよくて、装甲も固く、すばらしく頼もしい。

 どのくらい強いかというと、モンバーバラの姉妹が必死になって抜けてきた洞窟は、オーリンひとりが仲間になったとたん、やすやすと通行できるようになる。敵の攻撃はオーリンが装甲でうけとめるし、さえぎるモンスターを、鉄の槍でどんどん蹴散らしてしまう。
 世界が広がる。どこへでも行けて、何でもできそうに思える。
 あの悪魔じみたタフな洞窟が、うそみたいに簡単な場所になる。

 もう、オーリンさえいれば大丈夫だ。
 姉妹は、頼もしい仲間を得て、父のかたきキングレオに戦いをいどむ。

 けれど、あんなに強いオーリンがいても、それでもなお、キングレオに勝つことはできないのです。
 あのオーリンがいてくれても、だめなのか。

 そして。
 オーリンを失った姉妹は、失意のうちに、別の国へと逃げます。
 そしてその地で、旅だったばかりの、レベル1の勇者に出会うわけです。

 モンバーバラの姉妹は強いキャラクターではないのですが、いくつかの迷宮をくぐりぬけ、魔法の呪文もおぼえ、武器も充実して、そのころにはけっこう戦えるように成長しています。
 それに対して、出会った勇者らしき子は、レベル1のもやしっ子。
 ひょろひょろの、へろへろ。
 後列に置いて、姉妹が守ってあげないと、ばたばたと死にます。
 あの力強いオーリンのかわりに入ってきたのが勇者なのですが、なんというか、たよりないったらない。

 けれども。
 オーリンがいて、それでも倒せなかったキングレオは、この勇者となら倒すことができるのです。
 姉妹とオーリンで倒せなかったキングレオは、姉妹と勇者でなら打ち砕ける。
 最初からあんなに強かったのにオーリンではだめで、最初からあんなに弱かったのにこの子とならできる。

 その体験をしたとき、ただ腕っ節が強いだけではない、それに加えて特別な「何か」を備えた存在……「運命の勇者」というポジションが、無言のうちに、浮かび上がってくる。
 そういう仕掛けなのです。

 この流れは、いっさい、「ことば」によって支えられてはいません。
 ほぼ、全てが、「ゲーム」そのものによって支えられています。

 死ぬ思いをさせられる洞窟。
 その洞窟をやすやすと渡らせてくれる強いオーリン。
 その体験。
 なのにオーリンでも勝てないキングレオ。
 そのキングレオを討ち取ることができる者。

 それだけの起伏、ドラマが、ことばによらず、「ゲームバランス」だけで描き出されている。
 こうして文章で説明すると、なんだ、そんなことかって感じもしそうなのですが、これには本当にびっくりしたのです。どうしてPS版では気づかなかったんだろう。

 ゲームが物語っている。

 ゲームの中のことばが物語っているのではなくて、ゲームが物語っている。ことばで物語を語ってしまうなら、ゲームである必要はない。小説でもなんでもいい。ゲームで物語るなら、ゲームでしかできない物語りかたがあるはずだ。
 それを見ました。

 ゲームバランスというものは、それがそのまま、物語として機能しうるものなのだ。
 ゲームシステムという土台の上に、物語がトッピングとして乗っかっているのではない、ゲームシステムがそのまま物語であることはできる。
「ゲームバランスが、物語をかたちづくっている」

(つづく)

2011年11月14日 (月)

大人になってからプレイするドラクエ4(上)

 ときどき思いだしたように語りたくなるドラクエ話。今回はドラクエ4編です。これまでのシリーズはこちら。

サマルトリアにいかづちの杖(1)
http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-622f.html
サマルトリアにいかづちの杖(2)
http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-e5b4.html
サマルトリアにいかづちの杖(3)
http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-bfd9.html
【ドラクエ3】さばきのつえが愛しい(その1)
http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-9301.html
【ドラクエ3】さばきのつえが愛しい(その2)
http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-6a26.html

     ☆

 ドラクエが好きだが、ちょっとした事情があって、ドラクエ4は発売当時にリアルタイムでプレイしなかった。初ドラクエ4はプレイステーションの移植版でした。第6章としてピサロ編が追加されているやつです。

 そのときは、ああやっぱり面白いなあと思って、それだけだったのだが、今からちょうど1年くらいまえ、ふと思い立って、オリジナルのファミコン版ドラクエ4をプレイしてみた。
 そしたら、むちゃくちゃに感動した。

 どうしてだかわからないのだが、いくつものディテールが、エッジのきいた状態で、ずんと胸にせまってきた。何が起こっているのか、何を想像すべきなのかが、ひとつひとつ、ありありとわかって、ひとつの体験として、質量をそなえて、体の中にどんと居座った感じだ。

 これを、「単純なドットの世界だから、そのぶん想像力が広がる」的な結論に落とし込むのは簡単なことだが、そしてそれはあながち間違いではないのだろうけれど、そこに拙速には飛びつかないことにしたい。
 ひとまず、「FC版のドラクエ4をやったら感動した」ということだけ、受けとめることにします。

 ひとつ印象的なのは、ドラクエ4は戦闘がおもしろいということ。3と比べても、一段階上のおもしろさがあると思う。これは、オムニバス形式で、RPGの序盤と中盤を、いろんな条件で何度も繰り返せることが良い方向に働いているからだと思う。
(ドラクエ4はたくさんの主人公がいて、それぞれの冒険が短編形式で語られたあと、全員が集結して仲間になる物語です)

 私は戦闘がいちばんおもしろいのはドラクエ1だと思っているのだが、4はそれと同じくらいおもしろかった。
 たとえば。
 第1章、戦士ライアン編は一人旅だ。
 この挿話には、キラースコップ1匹、ホイミスライム1匹という組み合わせの敵が出てくる。こいつの倒し方に悩まされるのが、とてもとても楽しかった。

 キラースコップは腕っ節がつよい。だから殴られるとかなり痛い(ダメージが大きい)。
 ホイミスライムは非力で、殴られても痛くない。だから恐くない。

 キラースコップは、剣で2回叩いてやると、やっつけることができる。
 ホイミスライムは、1回叩いてやればやっつけられる。

 だから本当は、まず、キラースコップを優先的に2回叩いてやっつけ、そのあとホイミスライムをぼこっと殴って倒したいところなのだ。

 ところが。ホイミスライムは、ホイミの魔法を使って、キラースコップの傷を治してしまう。
 ということは、キラースコップを1回殴っても、ホイミスライムが傷を治して、それをなかったことにしてしまう。そしてキラースコップは強い力でこっちを殴ってくる。ホイミスライムをやっつけないかぎり、キラースコップの傷は治りつづけるので、いつまでも倒せない、そして一方的に攻撃を受けることになる。

 だから、この組み合わせの敵が出てきたら、まずホイミスライムを先にやっつけなければならない。そのことにプレイヤーが気づくまでが、この戦闘ゲームの第一段階。

 そこに、次なるジレンマが襲ってくる。キラースコップは、ただでさえ攻撃力が高いのだが、1ターンめで必ず「ためる」という行動をとる。
 これは、力をためているわけだ。そして、「ためる」のあとの2ターンめに、すごく強烈な攻撃をしてくる。
 ためたあとの攻撃を食らうと、かなりのダメージを受けるので、これをなんとかして受けずにすませたい。

 キラースコップは1ターンめに「ためる」ので、強力な攻撃がくるのは必ず2ターンめだ。2回殴ればキラースコップを倒せるので、こいつを優先的に殴って、もし2ターンめに「先手」をとることができれば、まったくダメージを受けずに倒すことができる計算になる。そこを狙いたい。

 けれども、先述のようにホイミスライムがいる。だから、ホイミスライムを優先的に殴らなくてはならないので、キラースコップをしとめるのはどうしても3ターンめになる。ということは、絶対に「ため攻撃」を食らってしまう。

 そこを、なんとかならないのか!?

 もし「会心の一撃」(偶然に発生する大ダメージの攻撃)をこっちが出すことができれば、キラースコップを一撃でやっつけられる。けれど、めったに起こらないその偶然に期待すべきなのか?
 ホイミスライムは、たまにホイミの回復呪文を唱えないことがある。もしそうなった場合、キラースコップを順調に殴っていれば、2ターンめに先制攻撃で倒せるかもしれない。けれど、たまにそうなるという偶然を期待すべきか?
 それともやはり、一発いいのを食らってしまうことを覚悟で、ホイミスライムから順番に処理するのがいいんだろうか。

 それが、毎回頭の中でぐるぐるめぐることになる。メリットとデメリット。小さな順当と大きな賭け。これはまぎれもなくゲームだ、と強く実感する。

 そして、ドラクエはRPGだから、自分のキャラクターが成長していく、強くなっていくゲームだ。
 あるとき、ある瞬間、はたと気づいてしまう。あれから強くなった自分は、キラースコップを一撃で倒せるほどになっていることに。

 そうなれば、順序はまったく逆転する。一撃で倒せるのだから、2ターンめに必殺技を使ってくるキラースコップを、1ターンめでしとめない理由はない。「ためている」途中の(殴ってこない)キラースコップをまず処理して、そのあと、非力なホイミスライムをゆうゆうと片付ければよい。あんなに悩まされていた強敵を、あっさりと片付けることができるようになった。
 あんなに迷っていたのに、もう、蹴散らせるようになった。悠々と。なんというラクな敵だろう。

 それに気づいたとき、
「ああ、世界が広がった」
 と感じるのです。そういう感じ方をさせるものがある。どうしてそう感じるのか、わからないんだけれど、「俺はもっと先に行ける」という不思議な感動があるんだ。

 ドラクエ4には、そういった「ゲームな部分」がいっぱいあって、そこが「ああ、また広がった」な実感にむすびついていて、ひとつひとつ、じんわりする。

 例えば。第1章ライアン編の終盤で、「はじゃのつるぎ(破邪の剣)」という、とても珍しい、よく斬れる剣が手に入る。はじゃのつるぎを手に入れて、悪党をたおし、国の平和をとりもどしたところで、第1章はおわって、つぎの主人公の物語がはじまる。

 そうして何人かの主人公の物語があって、第3章トルネコ編というのが始まる。トルネコ編では、うまくすると序盤ではじゃのつるぎが手に入ることがある。
 トルネコは商売人で、道具を鑑定する能力を持っている。はじゃのつるぎを鑑定すると、実はこの剣は、炎の攻撃魔法を封じ込めた魔剣であることがわかる。
 ライアンが手に入れたあの剣は、そういうものだったのか! という驚き。戦士であるライアンにはわからなかった秘密が、商売人のトルネコにはわかる。そうして、のちの第5章には、まさにその破邪の剣をたずさえたライアンが合流してくれる。炎の剣で敵をうちやぶるたのもしい味方として……。

 ライアンが最後に手にした武器と同じものを、鑑定者トルネコも入手する。それはまちがいなく、この流れが意図されているはずです。
 気付き、発見、秘密の解明、世界のひろがり……。

(つづく)

2011年11月 2日 (水)

逆回転時計、その他シャレで買ったもの

 新しい腕時計欲しい病の発作が出て、ソーラー電波のダイバーウォッチ欲しいなーとか、ダイバーでもないくせに思ったりして、いろいろカタログを眺めたあげく、結局購入を断念した。予算範囲内で欲しいものがあまり見あたらなかった。結局その予算は、手持ちのセイコーキネティック(自動巻発電時計)のオーバーホールにまわすことにしました。有楽町のセイコーオフィスに持ち込んだので、現在その時計は入院中です。時計の分解清掃ってけっこう高いんだよね。

 新しい腕時計欲しい欲しい病は、やっすいしょうもないオモチャみたいな時計を買ってごまかすことにした。それで買ったのが写真の二品。

K3200003


 左は、数字が逆回しについていて、針も逆回しにまわる、いわゆる逆回転時計。むかしTBSの「テレビ探偵団」を、クイズひらめきパスワードとワンセットで見ていた人は、逆回転時計が視聴者プレゼントされていたのを覚えているかもしれません。「時間を巻き戻して昔のテレビ番組をいまの視点で見てみる」という趣向の番組で、時間を逆回しするような時計がプレゼントされるというのは、たいへん気が利いていました。

 ようは、テレビ探偵団の逆回転時計は私のあこがれのアイテムで、昔から欲しかった。じつは番組にハガキを出したりもしたんだけども、当然あたらない。そのことをなにげなく思いだして、もしかして似たようなの売ってるんじゃないかと思ってしらべたら、数社から発売されているのを見つけた。それでいちばんデザインが近そうなものを買ってみたという次第です。ねだんは1700円。安い。

 おもしろいことに、逆回転する秒針をじっと見ていると、なぜだか頭のてっぺんをきゅーっと押されるような感触がしてくる。脳が違和感を処理しようとしているらしいです。どれだけ右回りの動きに頭が慣れきってしまっているか、ということが、実感できる。頭の中をストレッチしている気分になれます。
 これがなかなか気持ち良くて、普通回りの時計と逆回りの時計をわざと交互に見たりして、意図的に頭をくらくらさせる遊びをしました。酔っぱらってこれをやると軽くラリラリ状態になりますね。

 広い世の中には、逆回転時計にもいろいろあって(ほんとに世の中は広いな)、文字盤の数字を鏡文字に(つまり反転に)したものもあるようです。鏡に映したら、ちょうど普通の時計のように読める。けれども、それはもう、裏返した正回転であって、逆回転しているとはいえないと思う。鏡時計というのは、床屋さんなどで、お客さんが鏡越しに見たときちゃんと読めるようにした裏返し時計として、ちゃんと実用品として売ってる。世間の逆を張ったつもりが、世間の実用品とおなじになってしまってるわけです。このように、裏をかきすぎて元の位置に戻ってしまっているという例が、ときおり散見されるので、自分はそれに陥らないよう気をつけたいものです。

 写真右に写っているのは、ドン・キホーテで見つけた、J-AXISという雑貨ウォッチ会社の時計で、これも1700円くらい。雑貨ウォッチというのは、時計メーカーではない雑貨製造の会社が、中身の機械だけどこかから買ってきて、じぶんで作った外側にはめ込んで売るという、そういう成り立ちの時計。

 これは見つけた瞬間に笑ってしまって、シャレで買いました。ロレックス・エクスプローラーを丸パクリしたデザインなのですが、これをコピーと呼んだらかえってエクスプローラーに失礼だ、というくらいやる気のない仕上げ。その絶妙な「やすっぽすぎてコピーですらない」感がすてき。
 J-AXISは、安いなりにちゃんとしてるものを作るメーカーだと思うので、この縁日のガラクタみたいな仕上げは、わざとかもしれないです。「ブランド名だけ差し替えた、そっくりなロレックスコピー品」を作るメーカーが、国内にいくつかあるけど、そんなものよりずっと身につける気が起きるものね。だって少なくとも偽物とはいえないもの。

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