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加納新太

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2011年1月23日 (日)

弁天堂はなぜ島・中州に建てられるのか

 このあいだは「ゼットン女性説」を提唱したけれども、今度は女神さまの話をする。

 見たい展覧会があったりして、たまに上野の美術館に行くと、そのついでに不忍池周辺を散策する。不忍池には中州があって、弁天堂が建っている。あるときふとこう思ったわけだ。
「おや、われわれ日本人は、島があるとそこに弁財天を祀りたがるクセがあるらしいぞ」

 たとえば琵琶湖。竹生島が浮いている。そこには竹生島弁才天社がある。
 ぼくの故郷には竹島という島があって、そこにはやはり竹島弁天というのがある。
 井の頭公園には井の頭弁才天があるが、これは井の頭池の中にある。
 淡路島にも弁天さんがありますね。
 浜名湖。弁天島がある。
 そして江ノ島。これも弁天信仰。ここで育った不良少年が、のちに弁天小僧とよばれたりした。

 島とか中州とかいった、水に囲われた場所があると、そこには、かなりの確率で弁才天をまつる寺か社があるなあ、しかしそれはなんでだ?
 という疑問がたったわけだ。

 それで、ネットで関連キーワードをてあたりしだい検索してみたところ、なんとなく、その「理由」が見えてきたので、ここに紹介する。あらかじめ言っておくけれども、ぼくは民俗学や宗教学といった知識はさっぱりないのであって、そういう人間が想像でもって説明するのだから、何か間違っていてもあまり厳しく言わないで下さい。



 さて、調べ物となれば、とりあえずウィキペディアだ。いいかげんなことが書いてあることも多いけれど、ざっとアウトラインを知るにはやっぱり便利なのである。
 弁才天が、元はインドのサラスヴァティーという女神であることは知っていた。
 ウィキペディア情報によると、サラスヴァティーは川の女神、つまり水神であるらしい。
 それで水に関係あるところで祀られるのか、というのが、まずひとつ。

 けれども、いろいろ調べてみたけれども、インドのサラスヴァティーが、「島」「中州」でとくに祀られる、という話はみつからなかった。ただ水神であるのなら、日本でも、川沿いとか、池のほとりで祀ればいいので、「島」との関連がやけに深いという観測との整合が、どうもとれない。
「インドでもこの女神は島で祀られている」という現象があれば、問題はない。でも、とりあえずそういう情報はみつからない。ということは、単に水の神だったサラスヴァテイーが、日本に来て弁才天になったとき、なぜか「島の神」になった。その理由かきっかけが、何かあるはずだ。

 ここで、ウィキペディアにもうひとつ、重要そうな情報が書いてあった。弁才天・サラスヴァティーは、日本では市杵嶋姫神(イチキシマヒメ)と習合して、同一視されたそうだ。
 市杵嶋姫神(イチキシマヒメ)というのは、ヒメであるからには女神であって、シマというからにはやはり水神で、あの有名な宮島の厳島神社でまつられている神様だ。
 宮島、厳島、イチキシマヒメ……。

 ここで、弁才天と「島」がつながる。インドの水の女神は、日本の島の女神のイメージと重なることによって、「島で祀られる女神」という形質を獲得したわけだ。



     ☆



 さて、それで考え込んでしまったのは、
「イチキシマヒメというのはいったい何者?」
 ということだった。

 というのも、
「島の女神と合体したせいで、弁才天は、島や中州で祀られるのだ」
 という結論を採用するのなら、
「日本には元から、女神さまを島や中州で祀るという習慣があった」
 のでないと、理屈が通らない。
 島の神様が、男神ではなく、女神でなければならなかった理由。
 今のままでは、「なぜ島に弁才天を祀るのか」が「なぜ島にイチキシマヒメを祀るのか」にスライドしただけだ。

 なぜ、「島の神様」は女神様なのか。

 なので、どうして日本人は島があったら弁天堂を作りたがるのか、という疑問に答えるには、
「なぜ、日本には島の女神イチキシマヒメなる信仰があるのか」
 ということを考えねばならない。



     ☆



 このへんから、ロマンチックな想像が入ってきますから、そのへんを割り引いて読んで下さい。だいたいこの文章は、学術的正確さをもとめるものではないので、あなたもそれを、ここにもとめてはいけません。雑文家が想像の翼をむやみにばっさばさとふりまわしている、そういうものだと思って下さい。



『神名の「イチキシマ」は「斎き島」のことで、「イチキシマヒメ」は神に斎く島の女性(女神)という意味になる』
 と、これまたウィキペディアに書いてある。

「いつく(斎く)」というのは、辞書をひいたら、「心身の汚れを去り神に仕える」という意味だ。
 イチキシマ=斎き島というのは、「身を清めて神に仕える島」という意味になる。

 神に仕えるのは「人」です。
「身を清めて神に仕える人たちがいる島」がある。
 そしてそこには女神が祀られている……。

 つまり、端的にいってしまうと、「イチキシマ=斎き島」というのは、
「巫女さんの島」
 という意味ではないの? と思うのです。

 斎き島の神様が、男神ではなくて女神である理由は、その島で「身を清めて神に仕える人々」が女性だったからじゃないのかな。
 潔斎精進する人=すなわち巫女さんの島の神様だから、イツキのシマのヒメなのじゃないかと思う。
 島があって、イツキをして神に仕える人がいるから、この島はイツキ島。その神様は、女の人ばかりがお仕えしているからきっと女神。だからこの神はイツキ島ヒメ。

 アマテラス大御神は、男神だったのか、女神だったのかという問題があるそうです。現在では女神説が主流だと聞いています。アマテラスはなぜ女神なのか。それは、アマテラスに仕える巫女と、アマテラス自身が、いつのまにか同一視されるようになったからだ、という説を聞いたことがあります。

 それとおんなじことが起こったんじゃないかと想像するわけだ。

 神に仕える巫女たちが住む島がある。女たちがよってたかって崇める神様だから、当然女神だろうということになる。もしくは、巫女たちは神そのものである、というように見なされたりする。

 その結果、斎きの巫女たちの島に住まう神は斎島女神、つまりイチキシマヒメである、という信仰が生まれる。
 そう思うと面白いですね。神がいるから、それに仕える巫女がいるのではなく、巫女がいるからには、仕える神様がいるのだろうという逆転現象なのですね。



     ☆



 さて。
 かりに、この想像をOKだとする。
 とすると、もう一個、前提が必要になってくる。

 というのは、この場合、

「島があったら、そこには神に仕える巫女が住むようになる」
 もしくは、
「島があったら、そこに巫女を送り込んで住まわせ、神に仕えさせる」

 という習慣(現象)が元からないかぎり、島の巫女の女神イチキシマヒメは発生できないことになるのです。
 そうでしょう? 「斎く(いつく)」人がいた結果、「イツク島姫」が発生できるのですからね。たぶんその逆ではないわけなのです。

 で、長くなってきたので結論から先に言ってしまいますが、
「古代日本人には、島があったら、そこに神様への捧げ物として女性を送り込む習慣があったのだろう」
 ということを、言ってみたいわけです。

 日本神話に、ヤマタノオロチのお話がある。クシナダヒメが蛇の生贄にされそうになってるところに、スサノオ神が通りかかる。
 スサノオはオロチを退治して、クシナダヒメをめとる。

 もちろん、オロチに美女が捧げられようとしていたのだから、生贄的な風習が日本にはあった。スサノオ神のおかげで、その蛮習から解放された……良かった良かった、というふうに読めるわけだけれども。
 けれども、オロチ退治の報酬として、クシナダヒメはスサノオ神のものになって連れ去られてしまう。

 どっちみち、クシナダヒメは元のコミュニティからはいなくなる運命なのだ。

 ドラゴンのものになるか、カミサマのものになるか。どっちみち、人間の手を離れて、異界の超越者のものになる、という現象自体はかわらない。

 オロチの狼藉を止めるために、女の生贄を必要とした。生贄という習慣を廃すために、女を神に捧げる必要があった。
 どっちにしても、何らかの超自然的加護を得るために、女性が一人、コミュニティから消失する。
「美女が、“この場所”からいなくなる」
 という現象はどうしても必要だったみたいなのです、古代の日本人には。

 だから、やっぱり、スサノオにクシナダを差し出したのと同様、根強い願望として、

「超自然の加護を得るために、女性を神に差し出したい」

 という思いが、むかしの日本人たちには、かなり根深くあったのだろうと想像されるわけだ。



 さて、そういう願望を抱いた古代人たち。
 ハタと考え込む。
 はて……この娘を神様のもとに届けるには、どうしたら良いんだろう。どうしたら「神様に差し出した」ことになるだろう。

 そこでこう考える。
 神様というのは、目には見えない。
 神様というのは、ここにはいないものである。
 神様は、異界にいらっしゃるものである。

 つまり、「この場所」に女がいるかぎり、神に差し出したことにはならない。神はここではない場所にいるのだから、「ここではない場所」に女を置かなければならない。
 しかも、なるべく異界に近い場所がよろしい。

 そこで、
「海の向こう」
 という発想が得られる。

 海という、あきらかな境界線をこえた場所。そこは明らかに「ここではない」場所。此岸ではなく彼岸。そして人がいない、つまり人界ではない場所。

 つまり、それは島である。

 あそこに見える島に、この娘を置いてきたら、それは異界の神様に娘を捧げてきたということになるだろう。そういう論理が開発され、つまり、そういう「儀式形態」が発生する。

 コミュニティ内の女性が、神様への捧げ物として、あるいは神様に仕える巫女として、孤島に送り出される。
 いつしか、その風習がとだえたり、あるいは元になった論理が見失われる。
 残るのは、

「あそこに見えるのは、神に仕える女たちの島だ」

 という断片的な認識だけになる。

 神に仕える巫女たちがいるというのだから、当然、あの島には神が住まうのだろう。
 そういうことになる。
 あの島の神はなんという名前なのか。それは、「神に仕える巫女たちの島の神」すなわちイチキシマのヒメ神である、という、トートロジー的な名付けがなされる。
 島におられる神様は、女性神である、という枠組みが得られる。

 余談だが、そうした発想、そうした習慣が、中世にまで残っていたのが、斎宮、斎王という慣習であったわけだろう。
 天皇が代替わりするたびに、天皇家から未婚女性がひとり選ばれて、神に仕えるために伊勢神宮に送られる。未婚女性というのがポイントで、明らかに「神への輿入れ」が想定されている。斎宮は、任期が終わるまで、つまり天皇がまた代替わりするまで、「都に戻ってくることはできなかった」(つまり人間のコミュニティから離脱し、帰還をゆるされなかった)と聞きます。もちろん、天皇・天皇家というのは、人と神とをつなぐデバイスであった。



 そこで弁才天の話に戻る。弁天堂が建てられたとき、それを建てた人々の中に何があったのかという問題になる。

 当然のことながら「生贄の女性を島流しにしよう」という具体的な表現形態そのものは、古代期をすぎた日本人からは完全に消失しているはずだ。だってそんなこと考える人いないでしょう。

 けれども、神道的世界観、アニミズム的発想そのものは、人々のなかに色濃く残っている。
 つまり、古代日本人が「女の子を島に送ったらいいんじゃないか」と思いつくための「発想的バックボーン」。
 そのバックボーンはまだ日本人のなかに生きてる。

 それがときおり、無意識の中で、ふいっと寝返りを打つ。

 ある人がいて、島なり、中州なりを見る。

 水に隔てられている。
 水に隔てられた場所は異界ではないか。
 異界には何がいるのか。それは……。

 という発想そのものは、日本人という意識の中で「再現性」があるはずだ。

 その場所の「異界」性に対して、敬意を表したいという願望が生まれる。

 島とか中州だとかいった、水に囲まれた場所には、神が住まう。
 それは水神であろう。島神であろう。ならばイチキシマヒメであろう。その神は女神である。

 その神が女神であることに、そのときその人々は、無意識のうちに、非常に腑に落ちる、なぜか深く納得するようなものを感じ取ったかもしれない。

 本物の人間を人柱として据えるような古代人的発想は、すでに彼ら彼女らには存在していないけれども、
「中州があったら、女神様がいてくれたら、落ち着くわいなあ」
 という、いくぶんソフィスティケートされた感情は芽生えたかもしれない。

 そのようにして、古代的発想が、中世、近世において日本人の意識の中で「再現される」。

 さらに、本地垂迹説によって、イチキシマヒメと弁才天は同神とされている。どっちみち同じであるのなら、「幸運」や「金銭」や「恋愛」の神でもある弁才天を祀る方が景気がよかろう、そういう江戸っ子的発想も働いたのかもしれない。(別段、「水神」から直接弁才天につないでもかまわないが)

 このように「古代的願望の、近世的再現」がおこなわれ、離れ島、湖の小島などを見たとき、そこに女神の廟を配置するという表現がなされていく。
 それがいくつも続いた結果、元の発想が失われて表現だけが残り、
「島があったら、弁天堂を建てるもんだとむかしから決まってるもんなんだよ」
 というかたちで、現象だけがコピーされていくようになる。



 といったメカニズムを推理したのである。想像しすぎという人もいるかもしれないが、日本人にとって島は異界との窓口である、という発想はいい線いっているような気がしますね。
 そういえば、江戸時代の日本人は、「外の世界」との交流のデバイスとして「出島」というものをわざわざつくったのであった。



(付記:弁才天が技芸の女神であることに着目した別のアナロジーで、もう少し端的な別の説明もできるのだが、慎む。)

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