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2008年6月14日 (土)

氷室冴子先生の告別式のこと

 氷室冴子先生の告別式に行ってきました。

     *

 氷室冴子さんが亡くなったことを、ウェブニュースで知ったとき、最初に思ったのは、
「なんということだ、心づもりが完全に破綻してしまった」
 ということだった。

 心づもりというのは、なんのことはない一方的な話なのだが、いつか機会をみつけて氷室さんご本人にお会いして、
「氷室さんの影響を受けて小説を書いています。あなたを目標にして小説家になりました」
 とご挨拶するのだ、と心にきめていたからだ。この仕事を続けていれば、その機会は必ずある、と、根拠もなく確信めいたものがあった。その身勝手な予定が、ひどくあっさりと消え去ってしまった。しばらく実感がもてずに、ぼんやりとしてしまい、何時間かたってから、じわじわと力が抜けていった。

 ご葬儀に出てよいものだろうか、かなり考えた。
 おくやみの記事には葬儀の日程と場所がかかれており、すぐに行ける場所だった。お葬式は原則的に、弔う気持ちがあれば誰でも行ってもいいものだとは思うけれど、そうだとしても、ご家族、ご親族や、親しい方々のなかに、一面識もない身で紛れ込むのはいかがなものか、空気を壊さないか。手をあわせにうかがいたいが、ご迷惑もおかけしたくない。

 お葬式までの数日の間、いろいろ考えて、それでも参列させていただこう、と決心した。どうしても、最後に一度、挨拶をしたかった。会場の端でおとなしくしていて、故人との関係を訊ねられたら、実のところ面識がなかったのですが、それでもお願いします、と正直にいって、お別れをさせてもらおう。遠慮してくださいといわれたら、お寺の前で手を合わせて帰ってこよう。

 6月だというのに、その日は日差しが強く照りつけていて、暑かった。
 心配は杞憂で、受付には読者の参列のための専門の受付係のかたがいらしたし、何の問題もなく、お寺に入れていただけた。ぼく以外にも読者の方々がたくさん集まっていた。もちろん、多くは女性だったが、男性ファンもいて、少し安心できた。

 葬儀委員長を菊地秀行さんが務めておられた。
 その弔辞をきいていて、ぼくは何度もうなずいたり、驚いたりした。菊地さんは、
「もう氷室さんがどこにもいないのだということが、まだ信じられない。いまにも戸を開けて、あのさびのある声で、『どーもどーも』と言ってそこから現れるような気がしてならない」
 というようなことを、おっしゃっていた。
 ぼくは氷室さんとは一面識もないのに、その『どーもどーも』のさばけたニュアンスを、ありありとイメージできてしまって、驚くような、腑に落ちるような気分がした。
 そうだ、そんなふうに現れそうな人だ、と、お会いしたこともないのにうなずいてしまう感じが、なんだか不思議で、しんみりとした。

 菊地さんが、ごく先日、氷室さんからひさしぶりに電話をもらったが、その用件がご自分の葬儀についてだったそうだ。
 氷室さんは、遠くない将来にこうなることがわかると、ご自分のお墓をたて、葬儀の手配を自分で進め、戒名まできめて、ご友人たちに挨拶をし、それから亡くなられたとのこと。
 自分の人生は、最後の最後まで自分自身の手にホールドしておきたいという意志。他人への甘えを当然のものと思いたくないという誇りの高さ。それがなんとも氷室冴子さんらしくて、凄いと思った。まるで、氷室作品の主人公がしそうなことじゃないか。
 一度さだめた自分の筋は曲げず、断固として押し通り、恋と誇りとが天秤にかけられたときには、かならず誇りのほうをとる主人公たち。
 そういう鮮やかさに、まさに通じている。氷室さんご本人が、あの主人公たちのような人だったのだ。

 最初にご訃報に接したとき、半日くらいたってから、ぼくが思ったのは、
「ああ、もう野枝編の新作も、あのシリーズの続きも、出ることはないんだな……」
 という悔しさだった。熱心な読者なら、みんなそれは考えると思う。
 けれど、ご焼香の列に並んでいるうちに、その気持ちは、なくなりはしないけれどすうっと背後にしりぞいていくようだった。
 新作がこの先ひとつも出なくてもいいから、氷室冴子さんに生きていてほしかった。
 お会いしたこともないのだけれど、そう思う。今後お会いできるような機会がなくてもいいから、亡くならないでほしかった。
 あのすぐれた、心をゆさぶる作品をうみだした人が、自分と同じ時間にどこかで生きている、そう思えるだけでも、とても心強いことだったのだ。それだけでもじゅうぶんな恩恵だったのだ。そんなことに、いまさら気づかされた。

 お寺の前庭に出て、ご出棺を待った。献花台には、参列したファンからの花束と、お別れの言葉を書き付けた手紙の封筒がたくさん捧げられていた。
 その中に、黄色のレモンがいくつか、置かれていた。離れた場所に別々に置かれていたから、別の人がそれぞれ持ってきたものらしい。
 知らなかったけど、レモンを捧げる風習がどこかにあるのかな、としばらく首をかしげていて、あっと気づいた。「恋する女たち」だ。初期の小説。友達の葬儀に、花だとありきたりだからと、レモン一個を捧げに行く、というシーンがある。
 さすが、気の利いた人がいる。自分もそれを思いついて持ってきたらよかった。気づかなかった自分がかなり悔しい。
 たくさんの白い花々のなか、レモンの色はすがすがしくて、強く印象に残った。

 式の途中、何度も顔の奥が水っぽくなって、それを我慢する局面があった。そのひとつが、誰かの献花に差し込まれていたメッセージカードの、「先生の作品は私の青春でした」というとても素直な文面を見たとき。
 もうひとつは、棺をのせた黒い自動車が走り出すそのときに、集まっていたファンの誰かが涙声で「先生ありがとうございました」と言ったとき。
 何か、自分の気持ちが、他人の手と口を借りて、目の前にあらわれたような気持ちがした。ここにいる大勢の人は、みんな氷室さんの物語を共有して、人生の一部にしている人たちなんだな。
 一人の人間がつくりだし、世に送りだしたものが、それに触れた別の誰かの人生を大きく変えるということは確実にある。
 たとえば人生のある時期に氷室冴子さんの小説を読んで、自分もこんな小説を書いてみたいと思ったりするようなことだ。

 少なくとも、ぼくが今の仕事をしている理由のひとつは、それです。氷室さんのことを恩人と思っています。
 先生、ありがとうございました。

 加納新太

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コメント

始めまして、私も葬儀に参列した者の一人です。
やはり葬儀に行っていいものなのか悩み、
お寺さんの方へ電話を入れてみました。
対応してくれた方は親切に「確認してみます」
っと電話を保留にしたまま、
しらばく戻って来ず、
いまにして思えば、
ご家族の方に聞きにいかれてたんでしょうね。
忙しい中、手間を掛けさせてしまいました。
しかし本当に参列して、よかったと思います。
いままで沢山のモノを頂いてたのに、
なにも返す事が出来ないまま、
遠く旅立たれてしまった氷室先生に、
せめてもの恩返しと、感謝の気持ちを伝えたくって。
同じ気持ちの方々がこんなに居たんだと、
改めて実感も出来ましたし。
いまは悲しみが多いですが、氷室先生は、
幸せな方だったんだと思います。
そしてそのファンである私達も、
氷室先生の作品に出会えて、幸せだったと言いたいです。

投稿: RINKO | 2008年6月15日 (日) 02時07分

>RINKOさん

 mixiのコミュニティに投稿なさった文章を読みました。ぼくは控えの間では入り口すぐの下座あたり、男性陣が固まっていたところで、部屋の中央に背を向けるかたちで座っていました。
 ぼくも実は、お寺に問い合わせをしようかしまいかと思ったのですが、ご遠慮くださいといわれるのがこわかったので、黙って行ってつるりと紛れ込んでしまえという津村知沙的発想で、そのまま行ってしまいました。ちょっと根性がずるかったかもしれません。

 ご出棺をお見送りするとき、集まった人々の、なんともいえない、無言の連帯感のようなものが、強く思い起こされます。
 それと、ご遺影が、とてもかわいらしかった。
 それがとても心に残っています。かわいらしいといういい方は、失礼なのかもしれないんですけれど。

投稿: カノウアラタ | 2008年6月15日 (日) 20時11分

crying初めまして、HINAKAと申します。

カノウ様

心身上の都合もあり、氷室先生の御葬儀には顔出しすらできませんでした。
こちらで、その様子を拝見し、まるで自分が参加したような気持ちにさせていただき、思わず手を合わせ、御悲報をお聞きした時以来2度目の、涙が流れるに任せました。

すべて、仰る通りです。
もはや読めなくなった続編や、物語の続きがということ以上に、もう「氷室冴子さん」がいないのだという現実が、その喪失感が堪りません。おそらく氷室先生のファン全てが、そう思っているのではないでしょうか?
続きが読めなくても、新作が出なくてもいい!そこ氷室先生がいらっしゃれば……!

氷室先生は仰っていたではないですか、個人的に最も好きな作品の、そのタイトルで『少女小説家は死なない!』と……山内直実さんを始め、多くの少女マンガ家の手により、先生の作品はこれからも新しいキャラクターで描かれる続けると、信じています。
そして、『マリア様は見てる』シリーズに代表される、明らかに氷室先生の切り開かれた道を、これからも続々と、若い作家達が歩んで行くに違いありません。
その向こうには、燦然と先生の微笑みと、厳しいながらも優しい目があると、信じています。

本当に、あらゆる意味で、氷室冴子先生の御冥福を、心からお祈り致します。
同時に、その存在は作品とその作品を愛する人々と共に、不滅だと信じます!

長文、失礼致しました。

投稿: HINAKA | 2008年6月16日 (月) 01時10分

お返事ありがとうございます。
私は時間より少し前にお邪魔したので、
ドア側のテーブル席の奥に座りました。
出来たら周りの方とお話したかったのですが、
みなさん無言で俯いていらしたので、
話し掛ける事が出来ませんでした。
今回のお葬式は密葬とはなかったので、
思い切って電話してみました。
本堂には入れないとの事でしたが、
ほんと外からでもいいから、
お見送り出来たならという思いで。
私は仕事の都合で、最後まで居れなかったのですが、
加納さんはじめ、
多くの方がお別れ出来たのですね。
きっと先生も喜ばれたでしょう。

投稿: RINKO | 2008年6月17日 (火) 22時44分

>HINAKAさま

「マリア様がみてる」については、告別式の弔辞で、菊地秀行さんも言及なさっていました。今野緒雪さんは、氷室さんが審査員としてお選びになり、賞を与えられた方だということです。ぼくも「マリみて」は、氷室冴子直系の後継者だと感じます。氷室ファンで、しかしマリみては嫌い、という人って、けっこう多そうですから、ちょっと大声で言い切るのは怖い感じですけれど。
 おっしゃるとおりで、作品というのは、死ぬことがありません。特にジャパネスクなどは、もとの素材に加えて、きちんと改稿されたこともあって、もう古くなりようがないという、素晴らしく堅牢な作品と思います。各中学・高校の学校図書室にひとそろいずつ、きちんと置かれるといいなと思うのですが、今の学校とか、どうなってるのかな……。


>RINKOさま

 あ、あのあたりにいたのだな……と、イメージできます。ぼくは、あのあたりに座っていらっしゃるのは、おつきあいのあった後進の作家の方々かな? と思って見ていました。読経のあいだ、幾人かのかたは、テーブルの下で、手を合わせておいででした。

 ご遺影前でのお焼香がおわってしまって、ご出棺をまつ間にも、時間をつくってなんとしても駆けつけたというように、次々と何人ものファンの方がいらしていました。持参したお花を係の方にお渡ししたり(棺に入れるお花の回収が終わってしまっていたので、あとから駆けつけでお願いする形)、前庭のほうでお焼香をされたりしていました。最終的には、お見送りの人はもっと増えていたんです。
 あの、お寺の車寄せの両側に皆が並んで棺を見送ったときというのは、なんというべきか、感動的というのもへんだし、単に厳粛というのもそぐわない、ある物語を全員で共有した、氷室冴子というひとつの神話を背後に背負った人々の、無言のコーラスのようでした。
 本当に、先生が喜んでくださっているといいですね。天国にインターネットが通じていたら、こういう文章をお読みになって、こそばゆがっていらっしゃるかもしれません。

投稿: カノウアラタ | 2008年6月18日 (水) 02時21分

前後の方々もファンの方だったと思います。
受け付けが一緒だったので。
そうですか、さらに大勢の方々が、
お見送りにいらしゃったんですね。
私自身は、立ち会えなかったですが、
お話聞けてよかったです。


投稿: RINKO | 2008年6月19日 (木) 00時04分

初めまして。
私も葬儀に参加したかったです。

どうしても仕事の都合がつかず、さんざん悩んだ末、せめてお寺の前ででもいいから手を合わせたくて当日の朝行きました。
ただの一ファンの私なのですが、本当に悩んだのですがせめてお香典だけでもと思い、受付にいらした方にお渡ししたところ、中にいらした遺族の方がご案内してくださり、お焼香させて下さいました。
エレベーターにお姉さま方と乗り、非礼をお詫びしたところ、
「そんなことないよ。忙しいなか来てくれて。小恵子も喜んでるよ」と言ってくださいました。
私がただの一面識もない一ファンということをご承知の上で氷室先生に似たお顔立ちのお姉さまがご霊前で
「良かったね~、小恵子。来てくれたよ。あんた幸せものだね~」と言ってくださいました。

私はご遺影を見て、「ああ、ほんとに亡くなってしまったんだ」と思い、涙が溢れ止りませんでした。
やっぱりかなり応えました。

先生の作品は私の学生時代といっても過言ではありません。
だんだん大人になり、少しずつ日々の忙しさの中で離れてはいましたが、訃報を聞いた瞬間のショックはとても大きかったです。
心はあっという間に高校時代の私に戻っていました。

いわゆる有名人の葬儀というものに行った事は一度もないのですが、最後のお別れに行くことが出来て、本当によかったです。


先生が亡くなってしまい今でもほんとに悲しいです。
言葉ではうまく言い表せません。

似たような文章を書く方はいらしても、
でもそれは氷室先生ではないんですよね。。。

投稿: つきじ はるみ | 2008年6月27日 (金) 20時39分

>つきじはるみさん
 こんにちは。お返事が遅くなりました。 お姉様とのやりとり、いいお話を聞かせていただきました。ぼくもお寺に行きましたので、場面がなんだか、ありありと想像できてしまいます。いいコメント、ありがとうございます。きっとあの日、たくさんの心が、それぞれの青春時代に戻っていたのでしょう。
 氷室先生は亡くなられたけれど、氷室作品が消えるわけではない、それがひとつ大事なことだと思います。ぼくらが読み継いでいくことで、ある意味において、作家というのは不死になるのだと思います。ちょうど一月ほどがたって、ぼくは逆に、「お別れにはまだ早い」という気分になってきています。

投稿: カノウアラタ | 2008年7月 8日 (火) 21時59分

お返事ありがとうございます。

そうですね。
ほんとに早すぎると思います。
私もレモンをうっかり忘れていました。
なぜ気がつかなかったんだろう。
後悔先に立たず、です。

先生が生きてさえいてくだされば。。
ほんとに皆様のおっしゃるとおりです。

お姉さまのお話では、氷室先生はタバコはもうずっと病気になるまで吸っていらしたそうです。

タバコは良くないと知りつつも、私も量が増えてしまいました。

最近娘(小学生)がお友達から借りて、「マリみて」のマンガ版を読んでいます。
もう少ししたら娘に「こういうのもあるよ。お母さん大好きだったの。読んでみる?」ととりあえず「クララ白書」辺りを勧めてみようと思ってます。
「ジャパネスク」を読んだらきっとよいきっかけとなって古典も好きになるのではないでしょうか?
きっとモノクロの古典の世界(失礼!)がフルカラーの生き生きとした世界に見えて来ることでしょう。
氷室先生の世界を見せたいと思います。
まだまだ先ですが、先生の作品への思いを娘と共有できたらと考えています。

話は変わりますが、
加納様のブログに投稿しようかどうしようかということ。
かなり迷いました。
図々しくも葬儀前にお焼香させて頂いた事をやはり自分でも気後れがしていたので。。
mixiの日記にも詳しく書きたかったのですが、職場には内緒で行ったので詳しく書く訳にもいかず。
そんなときに加納様のブログを見つけました。
同じことを感じ、考えた方がいたこと。
本当に嬉しかったです。

ブログを読んで、葬儀の時の様子も「ああ、たぶんこんな感じだったのだろうな」と目の前に浮かんでくるようでした。
ありがとうございました。

取りとめもない長文、失礼致しました。


投稿: つきじ はるみ | 2008年7月18日 (金) 06時38分

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言葉は、ありません。 余りにも、作家として個人的に大き過ぎた方の、訃報です。 《氷室冴子さん》まさか、51歳という年齢で逝ってしまうとはッ! 本当に、悲しくて悔しくて、残念でなりません。 現在のライトノベルの隆盛には、それ以前の長い少年少女向け小説。いわゆるジュビナイル小説の、時代がありました。 その、女の子向け小説の大黒柱と言っても、過言ではないと思います。 世間的には、「何てステキにジャパネスク」シリーズが有名でしょうが、個人的には代表作として、「クララ白書」・「アグネス白書」、そして何と言... [続きを読む]

受信: 2008年6月16日 (月) 01時12分

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受信: 2008年6月16日 (月) 08時31分

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