「申される」は正しゅうござる
氷室冴子さんへの追悼と、告別式についての記事はこちらです。
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氷室冴子さんのご逝去に驚き、告別式に出て、そのことについてのメモをまとめて、一段落したところで、じんわりと、氷室さんの文章に触れたくなり、「ジャパネスク・アンコール」を手にとってみた。ぼくは短めの番外編という形式がわりに好きです。
気持ちよく読んでいたところ、「申される」という文章が出てきて、おおっとお、と軽くひっかかった。敬語の誤用、という話題になると、まっさきに例に出てくるあれですね。謙譲語の「申す」に、尊敬の助動詞「れる」がつくのは間違いだ、というやつです。
ほほう、あの名文家氷室冴子にして、こんなケアレスミスをおかすものであるか。と、意外に思いながら読み進めていくと、その後も「申される」「申された」が何度も出てくる。さすがに、これはおかしい、と本格的に首をかしげた。おかしいというのは、氷室先生がおかしいのではなくて、自分の認識が何か間違っているのではないか。
というのも、いま、手元にある「ジャパネスク」は、最初のバージョンではなくて、1999年に改稿され、イラストも一新された改訂版なのだ。もし、これが間違いであるのなら、ベストセラー作品だ、どこかのタイミングで誰かが指摘したはずだし、何十回と版を重ねたうちに直されなかったはずがない。
手近なところで、「申される 誤用」でグーグル検索してみたところ、どんぴしゃり、一番に求める答えが出てきた(便利な世の中ですよね)。
tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃)
「申される」 をめぐる冒険
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/07/post_7a44.html
大修館書店「問題な日本語」からの孫引き的言及になるのだが(注:追記あり)、上記のブログによると、「申す」は古典的には「言う」の丁寧語として使われてきたのであって、「申される」は正当である。平家物語をはじめ、古典に「申される」の用法はいくらでも出てくる。とのことだ。
ためしに「申されたり」「申されけり」を検索してみると、いや、もう、いくらでも出てくる。太平記とか徒然草とか枕草子とか義経記とか。
あわわ、軽く天を仰ぎました。たとえば太平記なんて、大学のゼミ形式の講義で読んだはずだ。だから、本来ならその時点で気づいていなければならないことだ。
もちろん、古典文学に造詣の深い氷室冴子さんであるから、わかっていて、息をするように、あたりまえの用法として「申された」と書いたのだろう。彼女は大学は国文学科で、古典は原文で読んだだろうし、そのことば遣いやリズムは体にしみこんでいたはずだ。後年はどうだったかわからないが、学生時代はたぶんくずし字も読めただろう。おそらくリクツ以前に、
「だって、皆さんそう書いてらっしゃるじゃないの」
という感じではなかったか。
「ジャパネスク」は平安朝を舞台にした物語であるから、「おっしゃった」くらいの意味で「申された」と書くのは、これは百パーセント正しい用法ということになる。
おお、ひとつ知識があらたまった。少なくとも、今後時代劇などを見ていて、「殿が申されるには……」といったセリフをきいたとき、
「このシナリオライター、基礎的な尊敬語もわきまえてないね」
などとしたり顔でいってかえって恥をかく心配が、ひとつ、減った。それだけでも、ありがたいことである。こうした積み重ねが、言語感覚を磨く。というか、それ以外に磨く方法はない。
さて、ここでまとめとして、教訓めいたフレーズでも掲げておくと格好がつくのですが、どうしようか。「他人の不備をつく前に、自分が常識と思いこんでいることを疑え」かな? どうもありきたりだし、リズムがよくないですね。
こういう方向かな?
「残されたひとつの作品から、無限に学ぶ余地を見いだすことができる。
●追記(090409)
「申される」で検索していらっしゃる方が多いので、参考として、「問題な日本語」の該当の文章を以下に引用しておきます。孫引きではなく本文にあたりました。強調部も原典ママです。
「申す」は「言う」の謙譲語だから、それに尊敬の「れる」を付けるのは誤りだという意見がある。が、「新大納言成親卿も平に申されけり(平家物語)」を始め、「号を見山と申される(中里介山)」「何と申される(司馬遼太郎)」など、古典や時代小説における使用例は幾らでもある。古くから使われてきた言い方だ。ただ、「部長が申されますように」など、現代語で使われているものは誤用とすべきであろう。
(「問題な日本語」北原保雄編 大修館書店)
この本の著者は、現代語においては誤りだろうと言っているが、歴史的に正当に使われてきたものを、「現代では誤用」とするのは、少し乱暴ではないかなと気がする。誤用とする根拠はなんだろう?
本文でも取り上げたブログ「tak shonai's "Today's Crack"(今日の一撃)」にも、
「単純に否定するのは、日本語の豊かさを損なうことのように思える」
と書かれているが、同感です。
さらに参考として、Google検索の結果を貼り付けておきます。
申されけり(Google検索)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLJ_ja&q=%e7%94%b3%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%91%e3%82%8a
申されたり(Google検索)
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&rlz=1T4GGLJ_ja&num=100&q=%22%E7%94%B3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%8A%22&lr=
申され候(Google検索)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLJ_ja&q=%22%e7%94%b3%e3%81%95%e3%82%8c%e5%80%99%22
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