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2008年6月18日 (水)

「申される」は正しゅうござる

 氷室冴子さんへの追悼と、告別式についての記事はこちらです。

   *

 氷室冴子さんのご逝去に驚き、告別式に出て、そのことについてのメモをまとめて、一段落したところで、じんわりと、氷室さんの文章に触れたくなり、「ジャパネスク・アンコール」を手にとってみた。ぼくは短めの番外編という形式がわりに好きです。

 気持ちよく読んでいたところ、「申される」という文章が出てきて、おおっとお、と軽くひっかかった。敬語の誤用、という話題になると、まっさきに例に出てくるあれですね。謙譲語の「申す」に、尊敬の助動詞「れる」がつくのは間違いだ、というやつです。

 ほほう、あの名文家氷室冴子にして、こんなケアレスミスをおかすものであるか。と、意外に思いながら読み進めていくと、その後も「申される」「申された」が何度も出てくる。さすがに、これはおかしい、と本格的に首をかしげた。おかしいというのは、氷室先生がおかしいのではなくて、自分の認識が何か間違っているのではないか。

 というのも、いま、手元にある「ジャパネスク」は、最初のバージョンではなくて、1999年に改稿され、イラストも一新された改訂版なのだ。もし、これが間違いであるのなら、ベストセラー作品だ、どこかのタイミングで誰かが指摘したはずだし、何十回と版を重ねたうちに直されなかったはずがない。

 手近なところで、「申される 誤用」でグーグル検索してみたところ、どんぴしゃり、一番に求める答えが出てきた(便利な世の中ですよね)。

 tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃)
 「申される」 をめぐる冒険
 http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/07/post_7a44.html

 大修館書店「問題な日本語」からの孫引き的言及になるのだが(注:追記あり)、上記のブログによると、「申す」は古典的には「言う」の丁寧語として使われてきたのであって、「申される」は正当である。平家物語をはじめ、古典に「申される」の用法はいくらでも出てくる。とのことだ。

 ためしに「申されたり」「申されけり」を検索してみると、いや、もう、いくらでも出てくる。太平記とか徒然草とか枕草子とか義経記とか。
 あわわ、軽く天を仰ぎました。たとえば太平記なんて、大学のゼミ形式の講義で読んだはずだ。だから、本来ならその時点で気づいていなければならないことだ。

 もちろん、古典文学に造詣の深い氷室冴子さんであるから、わかっていて、息をするように、あたりまえの用法として「申された」と書いたのだろう。彼女は大学は国文学科で、古典は原文で読んだだろうし、そのことば遣いやリズムは体にしみこんでいたはずだ。後年はどうだったかわからないが、学生時代はたぶんくずし字も読めただろう。おそらくリクツ以前に、
「だって、皆さんそう書いてらっしゃるじゃないの」
 という感じではなかったか。
「ジャパネスク」は平安朝を舞台にした物語であるから、「おっしゃった」くらいの意味で「申された」と書くのは、これは百パーセント正しい用法ということになる。

 おお、ひとつ知識があらたまった。少なくとも、今後時代劇などを見ていて、「殿が申されるには……」といったセリフをきいたとき、
「このシナリオライター、基礎的な尊敬語もわきまえてないね」
 などとしたり顔でいってかえって恥をかく心配が、ひとつ、減った。それだけでも、ありがたいことである。こうした積み重ねが、言語感覚を磨く。というか、それ以外に磨く方法はない。

 さて、ここでまとめとして、教訓めいたフレーズでも掲げておくと格好がつくのですが、どうしようか。「他人の不備をつく前に、自分が常識と思いこんでいることを疑え」かな? どうもありきたりだし、リズムがよくないですね。
 こういう方向かな?
「残されたひとつの作品から、無限に学ぶ余地を見いだすことができる。

●追記(090409)

「申される」で検索していらっしゃる方が多いので、参考として、「問題な日本語」の該当の文章を以下に引用しておきます。孫引きではなく本文にあたりました。強調部も原典ママです。

「申す」は「言う」の謙譲語だから、それに尊敬の「れる」を付けるのは誤りだという意見がある。が、「新大納言成親卿も平に申されけり(平家物語)」を始め、「号を見山と申される(中里介山)」「何と申される(司馬遼太郎)」など、古典や時代小説における使用例は幾らでもある。古くから使われてきた言い方だ。ただ、「部長が申されますように」など、現代語で使われているものは誤用とすべきであろう。

(「問題な日本語」北原保雄編 大修館書店)

 この本の著者は、現代語においては誤りだろうと言っているが、歴史的に正当に使われてきたものを、「現代では誤用」とするのは、少し乱暴ではないかなと気がする。誤用とする根拠はなんだろう?
 本文でも取り上げたブログ「tak shonai's "Today's Crack"(今日の一撃)」にも、
「単純に否定するのは、日本語の豊かさを損なうことのように思える」
 と書かれているが、同感です。

 さらに参考として、Google検索の結果を貼り付けておきます。

 申されけり(Google検索)
 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLJ_ja&q=%e7%94%b3%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%91%e3%82%8a

 申されたり(Google検索)
 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&safe=off&rlz=1T4GGLJ_ja&num=100&q=%22%E7%94%B3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%8A%22&lr=

 申され候(Google検索)
 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGLJ_ja&q=%22%e7%94%b3%e3%81%95%e3%82%8c%e5%80%99%22

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2008年6月14日 (土)

氷室冴子先生の告別式のこと

 氷室冴子先生の告別式に行ってきました。

     *

 氷室冴子さんが亡くなったことを、ウェブニュースで知ったとき、最初に思ったのは、
「なんということだ、心づもりが完全に破綻してしまった」
 ということだった。

 心づもりというのは、なんのことはない一方的な話なのだが、いつか機会をみつけて氷室さんご本人にお会いして、
「氷室さんの影響を受けて小説を書いています。あなたを目標にして小説家になりました」
 とご挨拶するのだ、と心にきめていたからだ。この仕事を続けていれば、その機会は必ずある、と、根拠もなく確信めいたものがあった。その身勝手な予定が、ひどくあっさりと消え去ってしまった。しばらく実感がもてずに、ぼんやりとしてしまい、何時間かたってから、じわじわと力が抜けていった。

 ご葬儀に出てよいものだろうか、かなり考えた。
 おくやみの記事には葬儀の日程と場所がかかれており、すぐに行ける場所だった。お葬式は原則的に、弔う気持ちがあれば誰でも行ってもいいものだとは思うけれど、そうだとしても、ご家族、ご親族や、親しい方々のなかに、一面識もない身で紛れ込むのはいかがなものか、空気を壊さないか。手をあわせにうかがいたいが、ご迷惑もおかけしたくない。

 お葬式までの数日の間、いろいろ考えて、それでも参列させていただこう、と決心した。どうしても、最後に一度、挨拶をしたかった。会場の端でおとなしくしていて、故人との関係を訊ねられたら、実のところ面識がなかったのですが、それでもお願いします、と正直にいって、お別れをさせてもらおう。遠慮してくださいといわれたら、お寺の前で手を合わせて帰ってこよう。

 6月だというのに、その日は日差しが強く照りつけていて、暑かった。
 心配は杞憂で、受付には読者の参列のための専門の受付係のかたがいらしたし、何の問題もなく、お寺に入れていただけた。ぼく以外にも読者の方々がたくさん集まっていた。もちろん、多くは女性だったが、男性ファンもいて、少し安心できた。

 葬儀委員長を菊地秀行さんが務めておられた。
 その弔辞をきいていて、ぼくは何度もうなずいたり、驚いたりした。菊地さんは、
「もう氷室さんがどこにもいないのだということが、まだ信じられない。いまにも戸を開けて、あのさびのある声で、『どーもどーも』と言ってそこから現れるような気がしてならない」
 というようなことを、おっしゃっていた。
 ぼくは氷室さんとは一面識もないのに、その『どーもどーも』のさばけたニュアンスを、ありありとイメージできてしまって、驚くような、腑に落ちるような気分がした。
 そうだ、そんなふうに現れそうな人だ、と、お会いしたこともないのにうなずいてしまう感じが、なんだか不思議で、しんみりとした。

 菊地さんが、ごく先日、氷室さんからひさしぶりに電話をもらったが、その用件がご自分の葬儀についてだったそうだ。
 氷室さんは、遠くない将来にこうなることがわかると、ご自分のお墓をたて、葬儀の手配を自分で進め、戒名まできめて、ご友人たちに挨拶をし、それから亡くなられたとのこと。
 自分の人生は、最後の最後まで自分自身の手にホールドしておきたいという意志。他人への甘えを当然のものと思いたくないという誇りの高さ。それがなんとも氷室冴子さんらしくて、凄いと思った。まるで、氷室作品の主人公がしそうなことじゃないか。
 一度さだめた自分の筋は曲げず、断固として押し通り、恋と誇りとが天秤にかけられたときには、かならず誇りのほうをとる主人公たち。
 そういう鮮やかさに、まさに通じている。氷室さんご本人が、あの主人公たちのような人だったのだ。

 最初にご訃報に接したとき、半日くらいたってから、ぼくが思ったのは、
「ああ、もう野枝編の新作も、あのシリーズの続きも、出ることはないんだな……」
 という悔しさだった。熱心な読者なら、みんなそれは考えると思う。
 けれど、ご焼香の列に並んでいるうちに、その気持ちは、なくなりはしないけれどすうっと背後にしりぞいていくようだった。
 新作がこの先ひとつも出なくてもいいから、氷室冴子さんに生きていてほしかった。
 お会いしたこともないのだけれど、そう思う。今後お会いできるような機会がなくてもいいから、亡くならないでほしかった。
 あのすぐれた、心をゆさぶる作品をうみだした人が、自分と同じ時間にどこかで生きている、そう思えるだけでも、とても心強いことだったのだ。それだけでもじゅうぶんな恩恵だったのだ。そんなことに、いまさら気づかされた。

 お寺の前庭に出て、ご出棺を待った。献花台には、参列したファンからの花束と、お別れの言葉を書き付けた手紙の封筒がたくさん捧げられていた。
 その中に、黄色のレモンがいくつか、置かれていた。離れた場所に別々に置かれていたから、別の人がそれぞれ持ってきたものらしい。
 知らなかったけど、レモンを捧げる風習がどこかにあるのかな、としばらく首をかしげていて、あっと気づいた。「恋する女たち」だ。初期の小説。友達の葬儀に、花だとありきたりだからと、レモン一個を捧げに行く、というシーンがある。
 さすが、気の利いた人がいる。自分もそれを思いついて持ってきたらよかった。気づかなかった自分がかなり悔しい。
 たくさんの白い花々のなか、レモンの色はすがすがしくて、強く印象に残った。

 式の途中、何度も顔の奥が水っぽくなって、それを我慢する局面があった。そのひとつが、誰かの献花に差し込まれていたメッセージカードの、「先生の作品は私の青春でした」というとても素直な文面を見たとき。
 もうひとつは、棺をのせた黒い自動車が走り出すそのときに、集まっていたファンの誰かが涙声で「先生ありがとうございました」と言ったとき。
 何か、自分の気持ちが、他人の手と口を借りて、目の前にあらわれたような気持ちがした。ここにいる大勢の人は、みんな氷室さんの物語を共有して、人生の一部にしている人たちなんだな。
 一人の人間がつくりだし、世に送りだしたものが、それに触れた別の誰かの人生を大きく変えるということは確実にある。
 たとえば人生のある時期に氷室冴子さんの小説を読んで、自分もこんな小説を書いてみたいと思ったりするようなことだ。

 少なくとも、ぼくが今の仕事をしている理由のひとつは、それです。氷室さんのことを恩人と思っています。
 先生、ありがとうございました。

 加納新太

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