フォト

加納新太

  • 職業は著述家・作家・脚本家。自称では「物語探偵」。

Twitter

カノウの本・既刊

  • : 君の名は。 Another Side:Earthbound

    君の名は。 Another Side:Earthbound
    新海誠監督の映画『君の名は。』の小説版です。新海監督執筆の『小説 君の名は。』が、映画と同じストーリーラインを追うのに対し、こちらでは、短編集形式で登場人物を掘り下げをしています。「これを読むと映画の内容がすんなり理解できる」と角川の玄人衆から高評価を受けました。リアル書店では見つけにくい本のようなので、取り寄せ等の対処をお勧めします。

  • : いなり、こんこん、恋いろは。

    いなり、こんこん、恋いろは。
    月刊ヤングエース(角川書店)連載中の漫画『いなり、こんこん、恋いろは。』(よしだもろへ)の小説化です。この作品に惚れ込みました。表紙はよしだ先生に描いていただけました。幸せです。

  • : アクエリアンエイジ 始まりの地球

    アクエリアンエイジ 始まりの地球
    カードゲーム「アクエリアンエイジ」のマンガ版です。短編形式で6編収録されています。月刊コンプティークで連載しました。全編の脚本を書いています。

  • : シャイニング・ブレイド 剣士たちの間奏曲

    シャイニング・ブレイド 剣士たちの間奏曲
    RPG「シャイニング・ブレイド」の小説版です。サイドストーリーを集めた短編集です。主人公レイジとヒロイン・ローゼリンデが初めて出会うエピソードも収録されています。

  • : アクエリアンエイジ フラグメンツ

    アクエリアンエイジ フラグメンツ
    トレーディングカードゲーム「アクエリアンエイジ」の小説版です。公式Webサイトでの連載に加筆修正したものです。

  • : 小説 劇場版ハヤテのごとく! HEAVEN IS A PLACE ON EARTH

    小説 劇場版ハヤテのごとく! HEAVEN IS A PLACE ON EARTH
    週刊少年サンデーで連載中、畑健二郎作「ハヤテのごとく!」が劇場アニメになりました。その小説版です。私はこの漫画が大好きで、書けて幸せでした。

  • : 秒速5センチメートル one more side

    秒速5センチメートル one more side
    映画『秒速5センチメートル』のノベライズです。新海監督版の内容を逆サイドから描いた物語になっています。第1話がアカリ視点、第2話がタカキ視点です。第3話は交互に入れ替わって展開します。

  • : シャイニング・ハーツ やさしいパンの薫る島

    シャイニング・ハーツ やさしいパンの薫る島
    RPG「シャイニング・ハーツ」の小説版です。原作の物語のサイドストーリー的な位置づけです。3人のヒロインは全員登場し、ゲームでは出番の少なかった海賊ミストラルも活躍します。牧歌的でやさしく、すべてが満ちたりた世界を書こうと思いました。満足しています。

  • : fortissimo//Ein wichtiges recollection

    fortissimo//Ein wichtiges recollection
    シナリオを担当しました。PCゲーム「fortissimo」のコミック版です。本編のサイドストーリーです。原作:La'cryma、漫画:こもだ。

  • : 世界めいわく劇場スペシャル

    世界めいわく劇場スペシャル
    全編ギャグのドラマCDです。シナリオを書きました。こういうのも書けます、というかこっちが得意技です。守銭奴の人魚姫、腐女子のマッチ売り少女、百合ハーレム状態の白雪姫、全ての言動が破滅的なシンデレラ、などが世界の名作童話をむちゃくちゃに解体します。役者さんにはほとんど無茶振りともいえる「一人最大9役」を演じていただいています。

  • : シャイニング・ウィンド -アナザーリンク- 鬼封じの剣士

    シャイニング・ウィンド -アナザーリンク- 鬼封じの剣士
    RPG「シャイニング・ウィンド」の小説版です。ゲーム本編のノベライズではなく、主人公たちの過去の物語を書きました。自分に伝奇小説が書けるか、ジェットコースター型の展開が書けるか、というのが、個人的なチャレンジでした。ありがたいことに、かなり好評を博しています。

  • : シャイニング・ティアーズ to ウィンド 姫君たちの冒険

    シャイニング・ティアーズ to ウィンド 姫君たちの冒険
    RPG「シャイニング・ティアーズ」「シャイニング・ウィンド」の短編集です。基本的に、原作の物語がスタートする前を舞台にしています。いわゆるプレ・ストーリーです。エルウィン、マオ、ヴォルグ、ブランネージュ、クララクランが登場します。

  • : ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる

    ほしのこえ あいのことば/ほしをこえる
    原作/新海誠。新海監督のデビュー作を小説化したものです。少女視点の「あいのことば」、少年視点の「ほしをこえる」の二部構成となっています。表紙はブルーの箔押しで、美しいデザインです。『雲のむこう、約束の場所』と並べてみると、帯込みで対比的になるようにデザインされています。

  • : シャイニング・ティアーズ 神竜の剣

    シャイニング・ティアーズ 神竜の剣
    RPG『シャイニング・ティアーズ』の小説版、続編です。単独の本としても読めるつくりになっています。作者としては、前作よりも納得のいく出来です。勇ましい物語です。

  • : 雲のむこう、約束の場所

    雲のむこう、約束の場所
    原作/新海誠。劇場アニメーション映画『雲のむこう、約束の場所』を小説化したものです。装丁がとても美しく、それで手に取った方も多いようです。

  • : シャイニング・ティアーズ 双竜の騎士

    シャイニング・ティアーズ 双竜の騎士
    セガのRPG『シャイニング・ティアーズ』をもとにしたヒロイック・ファンタジィ小説です。ノベライズです。

  • : タウンメモリー

    タウンメモリー
    架空の海辺の街(モデルは藤沢あたり)に暮らす女子高生が主人公の日常小説です。題材的に、少し恥ずかしいなという気分もありますが、気に入っている作品です。

  • : アクエリアンエイジ Girls a War War!

    アクエリアンエイジ Girls a War War!
    マンガです。トレーディングカードゲーム『アクエリアンエイジ』のキャラクターが毎話ドタバタ暴れて大変なことになります。もとはゲームの遊び方をチュートリアルするマンガだったのですが、いつのまにか趣旨が変わっていました。シナリオを担当しました。絵は『少年陰陽師』のあさぎ桜さん。

  • : 月姫 アンソロジーノベル〈2〉

    月姫 アンソロジーノベル〈2〉
    PCゲーム『月姫』を題材にしたアンソロジー短編集、第2巻です。第二話『天へと至る梯子』を執筆しています。琥珀が主人公です。

  • : 月姫 アンソロジーノベル〈1〉

    月姫 アンソロジーノベル〈1〉
    PCゲーム『月姫』を題材にしたアンソロジー短編集です。遠野秋葉が主人公の第一話『かわいい女』を執筆しました。

無料ブログはココログ

2025年11月26日 (水)

[ドラクエ2]DQ2はどうして竜退治なのか[ドラクエ10]

 ドラクエ2はドラゴンを退治する明確な場面がないのに、どうして「ドラゴンクエスト」だと言えるの? という疑問に答える記事です。ちょっとだけHD-2D版の話もします。
(原則的に、特別な記述のない限り、FC版のことだと思って下さい)

 初代ドラゴンクエストは、竜王を倒しにいく物語でした。dragonは竜、questは探求ですから、竜の探求、意訳して竜退治というタイトルは、実を表していました。

 ドラクエ3は竜の女王からひかりのたまを託され、闇の王にそれをつきつける物語です。どこにいるともしれない竜の女王を見つけ出す探求があり、そして竜の女王から託されたクエストを達成しにいくのですから、「ドラゴンのクエスト」はタイトル通りです。
(ちなみに我々日本人にとっては、「八岐大蛇を退治してスサノオのミコトになる」という、重大なドラゴンのクエスト要素があります)

 ドラクエ4と5には天空城のマスタードラゴンがいて、これに会うことが重要な要素となります。ドラクエ6のドラゴンクエスト要素については「ドラクエ6が本当に目指したもの」という記事を順繰りにごらんいただくと全部書いてあります。

 ではドラクエ2は?

 ドラクエ2において竜らしき者は竜王のひ孫くらいです。HD-2D版ではめちゃくちゃ存在感が増していますが、オリジナル版では「ハーゴンを倒したいなら5つの紋章を探せ」という情報をくれる程度の存在感です。オリジナル版では彼とは戦いません。
 この人がいるから本作はドラゴンクエストなのである、という考えは、どうも割に合いません。

 結論から先に言ってしまえば、なんと! ドラクエ2には、考え得る限り最大級に大物の「ドラゴン」を退治するシーンがあります。ドラクエ2は、初代ドラクエと並んで、「ドラゴンクエスト」というタイトルが最も似つかわしい作品だと言えます。

 なぜそう言えるのかについて、今から説明します。

 それを説明すると、そのついでに、ドラクエ10の「レクスルクスの禊」で、なぜドラクエ2のほこらの曲が流れるのか、なぜそこで戦うボス戦の曲がシドー戦の曲になっているのかがポロポロわかっていくという趣向になっています。


※注:「ドラゴンクエスト」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、情報のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますというニュアンスです。小説版、外伝等は参照しておりません。
 
※ご注意:当ブログの内容を紹介する際は、URLを示し、出典を明らかにして下さい。どこかの誰かが言っていた風説としての紹介・言い回しを変えての自説としての流布をお断りいたします。

※ゲームの画面写真の利用については、著作権法第32条および正当な慣行に基づく引用です。


自己犠牲の宗教者

 まず「ハーゴンとは何者か」という話をします。

 繰り返しますが、これはFC版ドラクエ2の話です。HD-2D版ドラクエ2では、ハーゴンのバックグラウンドがはちゃめちゃに厚塗りされていてもはや別物ですが(私はちょっと納得がいってないのですが)、それはあくまで後世の増補であって、ここで取り上げるのはオリジナルの時代に何が想定されていたかという話です。

 ハーゴンは邪教の大神官です。

 ハーゴン教(暫定的にそう呼びます)は、信者かそうでないかを区別するために、邪神の像を用います。邪神の像がないと、重要な施設に入れないようになっています。
 つまりは邪神を信仰しているという表現になっています。

 またハーゴンは、シドーのことを、「わが破壊の神」と呼びます。わが神と呼ぶものが信仰対象でないわけがないので、ハーゴン教は破壊神シドーを信仰していると受け取れます。「ハーゴンが真に信仰していたのは竜の女王だった」というHD-2D版の提示は後付けの新設定であって、オリジナルの時代にはそういう物語はなかった。

 まとめると、ハーゴンは破壊衝動の権化のような怪物を信仰しており、この世を破壊することを良しとする教義をもっている。町を破壊し、人を殺しまくれば、破壊神シドーをこの世に呼び寄せられると考えている。その活動の一環としてムーンブルクを滅ぼした。

 余談ですが、ハーゴン教の持つ、このスケールの大きさを私は好んでいたので、HD-2D版の「愛と信仰に狂った悲しい男」というハーゴン解釈は、キャラクターを厚くしたつもりで、かえって小さくしてしまったかなあという印象がちょっとあります。

 さて、ここまではまあ、細かい異同はあるにせよ、おおむねの人が「ハーゴンってそんな感じ」と許容できそうなイメージでしょう。

 ところで。

 ハーゴンの神殿の一階の奥には、十字架をかたどったような巨大な空間があります。この十字架の中央で邪神の像を使うと二階に上がれるという謎解きになっています(ノーヒントなのでえぐい)。

8
▲玉座の背後、十字しかない空間(スクウェア・エニックス FC版『ドラゴンクエスト2 悪霊の神々』 次の画像も同)

 この十字架の空間は、玉座の真後ろに位置しますので、ここがいわば、ハーゴン教のご神体に相当するものと見て良いでしょう。

 十字架がご神体?

 なお、ハーゴンの神殿七階の、ハーゴンの居場所(たぶん祈りの間)にも、十字架のシンボルがあります。

13
▲ハーゴンの背後に十字架がある

 そしてハーゴンは、敗れて死ぬきわ、こういうセリフをのべます。

*「お おのれ くちおしや……。
  このハーゴンさまが
  おまえらごときに やられるとは。
*「しかし わたしをたおしても
  もはや せかいを すくえまい!
*「わが はかいの かみ シドーよ!
  いまここに いけにえを ささぐ!
  ぐふっ!

スクウェア・エニックス FC版『ドラゴンクエスト2 悪霊の神々』

 初めてこのシーンを見たとき、私は未熟だったので、
「シドーよ、ここにいる三人の主人公を生け贄として捧げるので、食べに来て下さい」
 という意味として受け取りました。

 でもそうではないんですよね。

「私は今から死ぬ。この死を、すなわち我が身が破壊されることを供物として捧げるので、破壊神シドーよ来て下さい」

 ハーゴンは死と破壊を良しとする大神官だ。そして、その破壊にはなんと、自分自身が破壊されることすら含まれる。それすらも良しとする。
 自分自身の破壊すら是とする姿を見せるから、それに応えて破壊神シドーが現れる。

 この狂信こそがハーゴンを際立たせているものであって、ここが猊下のすばらしいところ。スケールが大きく、信仰が本物。

 さて、この話の流れでいうと、ハーゴンは「自己犠牲の者」ということになります。と、これで今回の話の全体像がわかった方もいそうだ。


●反キリストとしてのハーゴン

 われわれの実在の歴史において、自己犠牲の逸話を持っている、いちばん有名な宗教者はイエス・キリストです。

 キリストは、人類の罪を自分ひとりで一身に引き受けて、自ら十字架にかかって刑死したとされています。私が罰を受けて死ぬから、神よ、人々の罪をお許し下さいということですね。

 この逸話があるので、自己犠牲はキリスト教において重要な要素となっています。キリスト教が十字架をシンボルとするのはまさにこのことがあるからです。

 ところで、前述したとおり、ハーゴンの神殿には十字架の間があります。神殿最上階の祈りの間にも十字架が立っています。そして自己犠牲によって神に呼びかけました。

 となると、こういう想像をするほかないと思うのです。「ハーゴンのモデルはイエス・キリストだ」

 ……という言い方をすると気分を悪くするキリスト者がいるかもしれないから、こういう言い方に変えてみます。

「ハーゴンは、キリストを反転させた者、悪の世界のジーザス・クライスト、反キリストというコンセプトでデザインされたキャラクターだ」

 ハーゴンとハーゴン教は、キリスト教のパロディというコンセプトでできている。キリスト教を正反対の邪悪な方向に振りきったらどうなるかという形になっている。

 どこかで読みかじった話なのですが(出展忘れました)、反キリスト思想とか、悪魔崇拝といったものが、かつてあったり、今もあったりするそうです。そういった人々が行う宗教儀式というものは、キリスト教の儀式を醜悪な方向にパロディ化したような表現で行われがちなのだそうで。
 ようするに、キリスト教を馬鹿にするために、キリスト教のモノマネをするという方法論なのでしょうね。
「黒ミサ」なんて言葉は、そういうことを端的に表しています。ミサというのはキリスト教の祭礼のこと。それを黒い方向にゆがめたものだから黒ミサ。

 ハーゴンとハーゴン教は、そういうチューニングになっている。だから、キリスト教では美しいものとされる自己犠牲の行為が、邪神を召喚するために行われる。「悪の世界のキリストである」というコンセプトを明確にするために、ハーゴンの神殿には十字架の間が設定される。

 そしてハーゴンが召喚した悪霊の神々のうち、ベリアルは中世以降のヨーロッパ悪魔学のメジャーな悪魔だし(新約聖書にも名前が出てくる)、パズズは小説および映画『エクソシスト』で少女にとりついた悪魔として有名。
(アトラスだけちょっと毛色が違いますね)

 そのようなことで、ハーゴンがキリストを戯画化したもの、悪のキリストである。ここまでのことはいいとしましょう。

 悪のキリスト・大神官ハーゴンが命とひきかえに呼び出す破壊神シドーとは何でしょう。


●竜の登場

 キリストは人々の罪をすすぐために自ら死刑になり、神はキリストを天に召し上げました。
 ハーゴンは自らの命とひきかえに、シドーをこの世に呼び寄せました。

 ハーゴンが反キリストつまり「悪魔の世界のキリスト」だとしたら、彼が信仰しているシドーとは、キリスト教の何に相当するだろう。

 それは自然な連想の働きとして、悪魔の首領、サタンである、となるでしょう。

 つまりシドーというのはサタンの言い換えだ。反キリストであるハーゴンが、キリストのパロディのように死刑になって、命と引き換えに呼び出すものである以上、これをサタン以外のものに擬すのは難しい。

 というか、シドーは別次元の別世界から呼び出されるものと見えますので、なんならシドーは「サタンさんご本人である」と考えてもそうおかしくないくらい。
 異世界の狂信者が、
「サタンよ、キリストが神に命を捧げたように、私は命をあなたに捧げます。だからここに来て下さい」
 と言えば、サタンさんは喜んでホイホイ次元を超えてやってきそうです。

 ということで、ドラクエ2の物語は、
「悪魔の世界のキリスト(ハーゴン)が、自己犠牲によって、サタン(シドー)をこの世に呼び寄せる。主人公はこれを退治する」
 という形に意訳ができるのです。

 と、これが冒頭の問題設定、「ドラクエ2はどうしてドラゴンのクエストだと言えるのか」の答えです。

 なぜなら、サタンというのは竜だからです。
 だって新約聖書にそう書いてある。


 そのとき私は、底なしの穴のかぎと太い鎖を手にした天使が、天から下って来るのを見ました。彼は、悪魔とかサタンとか呼ばれている、あの古い蛇である竜をつかまえ、鎖で縛って、千年の間、底なしの穴に閉じ込めてしまいました。

『リビングバイブル』ヨハネの黙示録 20(傍線は引用者による)


 破壊神シドーがサタンをモデルとして創造されたもの、ひょっとしたらサタン本人であってもおかしくないものだとしたら、シドーの本質は竜です。
 姿形も、ウロコを持ち、尻尾は蛇ですしね。

 そうすると、ドラクエ2というのは物語の最終地点で竜と出会い、竜を倒す物語ということになる。


 おそらく、ドラクエ2を構想するとき、堀井さんはこう考えた。

 初代ドラクエはシンプルな竜退治のお話だった。だからタイトルは『ドラゴンクエスト』でよかった。
 さて、今から『ドラゴンクエスト2』を作る。

 そういうタイトルである以上、今回もドラゴン退治のお話でないといけないだろうか?

 たとえば、竜王よりすごい新たな竜のボスが来ました、という話にする? それって、全然意外性がないよね。単にエスカレーションしただけ。

 でも、題名を『ドラゴンクエスト2』にする以上、なんかの形で竜退治にしないといけないなとは思う。

 とりあえず何か手がかりが必要なので、幻獣辞典とか、モンスター大百科とか、TRPGのモンスターリストみたいなものを手当たり次第読みまくる。すると、「サタンというのは竜である」という知識につきあたる。

 これは使えるんじゃないか。サタンというのはラスボスのスケール感として申し分ない。「今回もまたラスボスはドラゴンなの?」というガッカリ感を遠ざけつつ、ドラゴン退治というコンセプトを維持できる。

 ラスボスを「サタンとして読めるもの」と設定し、その周辺をキリスト教系のオカルティズムでまとめるのがいいんじゃないか。

 なので、中ボスにキリスト教系オカルティズムの怪物を入れる。ベリアルとかだ。フィールドモンスターにアークデーモン。小悪魔としてベビル(ベビーデビル)。
 サタンの信仰者として、悪のキリストみたいな人物を設定する。この人物をラスボスだと思わせておいて、実は真のラスボスがいるという二段構えにすれば意表が突ける。
 ついでにキリスト教の死の天使ザラキエルをもじって、ザラキという即死呪文も入れときましょう。
(ザラキの語源がザラキエルって話、気づいた人すごいよねぇ)

 こんな感じにまとめれば、サタンの三文字を直接使わなくとも、これはサタンですねという形にできる。サタンは竜なのでドラゴンクエストになる。

 こんなの気づかない人が大半だろうけど、わからなくても別にいい。なんかわからないけど、このへんにフワッと何かあるのを感じる、というのが「物語のふくらみ」というものである。

 ……というような成り立ちでドラクエ2は出来ている、というのが私の想像です。


●レクスルクスの禊

 ところでこの件にダイレクトに関係ある話として、ドラクエ10の「深淵の咎人」の話をします。

 ドラクエ10の世界には、天星郷という、天使の住む場所があります。空の上にあります。
 その天星郷には、「レクスルクスの禊」という謎の部屋があって、そこは存在自体が秘匿されていて、限られた天使と我々プレイヤーしか知らない場所となっています。
 ゲーム的には、エンドコンテンツ的なボス戦を行うための控え室です。

 ここで戦えるボス群は「深淵の咎人たち」と呼ばれており、最近明らかになった情報では、これらボスキャラは、何らかの理由で(たぶん罪を犯して)モンスター化した元天使だとのことです。

(ただこれは、第一弾ボスモンスターが「天使の輪のような攻撃」をしてくるので、ほぼしょっぱなからめくれている情報でした)

 罪を犯してモンスター化した元天使が、ここに幽閉されている。しかし、彼らは定期的に力を取り戻して暴れ出すので、定期的に討伐して力をそぎ、おとなしくさせる……というのが、このコンテンツの立て付けです。

 かいつまんで言えば、レクスルクスの禊にいる深淵の咎人たちの正体は、堕天使だということですね。
 堕天使。

 キリスト教において、最も有名な堕天使といえばルシファー
 彼は神の次に偉い天使だったのですが、神に対して反乱を起こし、天を追放されました。ルシファーとサタンは同一人物だとされます。呼び方が二つあるだけで、同じ人。
 ダンテの『神曲』によれば、ルシファー=サタンは地獄の最下層で幽閉刑になってるみたいです。幽閉刑?

 ルシファーというのはラテン語で、明けの明星=金星を表す言葉だそうで、しばしばルシファーと金星は同一視されます。太陽と月を除けば、金星はいちばん明るい星なので、「天にある強大なもの」というイメージが、金星に仮託されている。

 ところでレクスルクスの禊には四匹のドラゴスライム(ドラゴン属性のスライム)がいます。この四匹には、ラテン語の星座の名前がつけられています。深淵の咎人たちは、罪を償い終えると、善良なドラゴスライムになるようです。堕天使は禊を終えると、翼のある、ドラゴン属性の、星の名前の生き物になるってことです。

 そしてレクスルクスのレクスはラテン語で王。ルクスはラテン語で光。これはたぶん明けの明星・金星のイメージ。

 ということで、レクスルクスの禊というのは、「金星に象徴されるような光の王であった堕天使ルシファー=サタンが、罪を洗い流す場所」というイメージで名付けられた場所ということになります。そしてそこに湧き出してくるモンスターは堕落した天使である。ようするにこの場所は、堕天使=悪魔が懲役刑を受けてる地獄の入り口だという話です。

 で、冒頭にも述べましたが、レクスルクスの禊で流れるBGMは、ドラクエ2の「聖なるほこら」
 そしてボス戦、深淵の咎人戦で流れる曲は、ドラクエ2のシドー戦のBGM「死を賭して」なのです。

 ルシファーとその堕天のイメージをこれでもかとちりばめた空間に、サタンとキリスト教系オカルティズムでまとめられたドラクエ2の曲が流れる。これが意図されていないとはどうしても考えられない。

 おそらくドラクエ10の制作陣は、「シドーというのはルシファー=サタンと同一視できるものなんだ」というドラクエ2の裏設定(推定)を、堀井さんから聞いて、知っていた。

 ドラクエ10の物語のフィールドが天界(天星郷)に移り、そこで「罪を犯して怪物と化した天使が世界を壊しに来る」というコンセプトのエンドコンテンツボス戦を企画することになったとき、自然にシドーとルシファー=サタンの関係を思い出した。

 今作ろうとしているコンテンツの本質は、シドーのあり方と極めて類似するものだ。だって今回のボスはルシファーに類似するものだし、シドーはサタンに類似するものだからだ。

 ということがあったので、自然とBGMにドラクエ2のものを選曲することになった……というお話。ドラクエ2的には、ドラクエ10のレクスルクスの表現からも、シドーはサタンに類する者かそのものだ、という結論は導けるということになる。


●HD-2D版のハーゴン教は何のパロディか

 本論としてはここまでで、ここからは余談としてHD-2D版の話をします。

 反キリスト思想者や悪魔崇拝者はキリスト教のパロディ表現をするという話をしました。その話をもとに、ハーゴンは十字架をあつらえ、自分を犠牲にして悪魔を呼び出すという究極のキリスト教パロディを行ったという解釈でした。

 FC版にはあからさまに十字架が出てきていたのですが、現代には、宗教のシンボルの扱いは慎重でなければならないという規範がありますから、いつしかドラクエには、十字架のシンボルは用いられなくなりました。HD-2D版ドラクエ2にも十字架表現はありません。

 でも、「ハーゴンはまともな宗教のパロディ表現を行う」というコンセプトはHD-2D版でも踏襲され、新しい形で提示されています。

 たとえば。
 HD-2D版には、「十字架の間の中央で邪神の像を使う」という表現はなくなったのですが、十字架の間のかわりに、「精霊ルビスの祭壇を邪悪な方向にアレンジした部屋」が設定されました。

Img20251119013252
▲スクウェア・エニックス HD-2D版『ドラゴンクエスト1・2』(以下の画像も同)

 上記の写真が、FC版における十字架の間に相当する場所です。中央に巨大な邪神の像があり、その周辺に五つの台座があり、光がともるという形です(五つ目の台座は邪神の像の背後になっていて、見えませんが、おそらく五つの台座のはずです)。

 これは、以下に示すルビスのほこらの祭壇と見比べると、対応がはっきりします。

Img20251119035225

 そして、ハーゴンの神殿の最上階の祈りの間。FC版には十字架が立てられていましたが、これもなくなりました。
 そのかわりにHD-2D版で設置されたのは、ロトの紋章を悪そうな方向にアレンジしたシンボルでした。

Img20251119034547

 HD-2D版は、現代の規範に合わせて、「キリスト教のシンボルを使い、キリスト教のパロディをする」という表現が薄められていますが、そのかわり、「精霊ルビス信仰のシンボルを使い、悪意でゆがめてパロディにする」という表現になっているわけです。

 さてHD-2D版には、「ミリエラ」という新たな中ボスが設定されました。この人物は、SFC版ドラクエ2で初登場したキャラクターで、ハーゴン神殿1階の幻のローレシア城を支配する謎のバニーガールでした。このキャラクターが新解釈されて、悪霊の神々のお三方と同列くらいまで昇格し、ハーゴン四人衆となりました。

 なんでそんなチューニングが発生したのか。

 アトラス、バズズ、ベリアルの三名が、ローレシアの王子、サマルトリアの王子、ムーンブルクの王女と一対一で対応する置き方になっているからです。

 物理攻撃しかできないが、その物理がめちゃくちゃに強いアトラスとローレシア王子。
 メガンテ、ザラキ、ベギラマを使うバズズ及びサマルトリア王子。
 ベホマとイオナズンを使うベリアル及びムーンブルク王女。

 悪霊の神々三匹は、FC版のときから、「精霊ルビスの三人の使徒」を醜悪方向にチューニングした、邪悪なパロディになっている。

 これは、ハーゴンが意図的に三人の主人公のパロディを召喚したわけではないでしょう。でも堀井さんは、「今回の敵は善なる信仰を醜悪にパロディ化したものとする」というコンセプトを持っていて、それを中ボスの置き方に反映した。

 ところで、HD-2D版ドラクエ2では、主人公が一人追加されました。FC版ではお城で待つだけだったサマルトリアの王女が旅に加わり、4人パーティとなったのです。

 精霊ルビスの使徒が四人になったのだから、ハーゴン配下の三人衆も、四人にする必要があるよね。
 サマルトリアの王女に対応する中ボスを入れよう。

 サマルトリアの王女は、もとは端役だったキャラクターが昇格したものだから、対応する中ボスも端役からの昇格にしよう。ああここに、ミリエラというのがいた。サマルトリアの王女がちょっと手のかかるコントロールが効きにくいキャラだから、ミリエラもそういう方向でキャラ立てしていこう。

 という経緯でミリエラは成立しているだろう、という読み方ができます。


●偽のキリスト教と真のキリスト教の戦い

 キリスト教の話をしたので、ついでに余談をもう一つ。

 FC版のドラクエ2は、精霊ルビスの助力を得て、悪を倒すお話です。ハーゴンの幻術にまやかされた主人公たちは、精霊ルビスの声に導かれてまぼろしを打ち払い、ハーゴンとシドーを倒します。

 シドーを倒すと、もう一度、声がします。クエストの達成を祝福してくれるのですが、そのとき声は、「わたしのかわいい子孫たちに、光あれ!」と述べるのです。

 シドーを倒したときに聞こえてくる声は、普通の考えでは、精霊ルビスのものだとするのが自然です。なぜなら、精霊ルビスが助力を約束してくれる→精霊ルビスが幻を払ってくれる→精霊ルビスが成功を祝福してくれる、という自然な流れになりますからね。

 ですが、この声は主人公たちのことを「わたしの子孫」と言う。

 この物語において、主人公を「子孫」だと言いそうなのはローラ姫です。ドラクエ1の主人公とローラ姫は結ばれ、彼らは三つの王国を築き、ドラクエ2の主人公たちはその王家の子孫です。

 流れからいえば精霊ルビスとしか思えない声が、ローラ姫しか言いそうのないことを言うのはなぜか? という謎が、ドラクエ2にはあるのです。
(HD-2D版ではこのセリフはなくなりました)

 その話について、以前こちらで詳しく書いたのですが、

【ドラクエ・ロト三部作】ローラ姫と精霊ルビスの謎 その1

 私の考えは、精霊ルビスとローラ姫は同一人物だ、というものです。詳しくは上記の記事をご覧下さい。
(この話を、ネットで語られている風説みたいに紹介するサイトがあってモヤモヤしています。実在の提唱者がいて、提唱者が書いた記事がここにあるんですけどねぇ)

 ローラ姫は精霊ルビスの地上におけるアバターのようなもの。存在としてのスケールに差はあるのでしょうが、本質的には同一のものである。
 だから精霊ルビスはゾーマに囚われ、ローラ姫は竜王に囚われる。ルビスを救い出すと聖なる守りが授与され、ローラ姫を救い出しても聖なる守りが手に入る。

 そのように考えれば、精霊ルビスの声が、ローラ姫しか言いそうのないセリフを述べても問題なくなる。

 なぜ急に、この話をしだしたかというと、キリスト教の神とイエス・キリストは同一人物だとされてるからです。

 キリスト教の正統な教義では、神様とキリストは、同じ存在が別の姿をとったもので、本質的には同一人物だそうです(神のことを人物と言っていいのかどうかわかりませんが)。
 三位一体説というそうで、父と子と聖なる霊は同じものだというのが正統派の考え方。父は神、子はイエス。聖なる霊が何なのかはよく知りません。

 ようするに、精霊ルビスとローラ姫は、神とキリストに相当するといえるよねと言いたいわけです。

 世界を作った神が地上に自分のアバターとしてキリストをつかわしたように、世界を作った精霊ルビスは地上に自分のアバターとしてローラ姫をつかわした。キリスト教において、父と子が一体であるように、ドラクエ2において母と娘は一体である。

 そのような形を想定した場合、「精霊ルビスの使徒たちがハーゴンおよびシドーを倒す」という物語はどうなるか。

 邪悪な神とその預言者(シドーとハーゴン)がこの世を滅ぼそうとするとき、真なる神と真なる預言者(ルビスとローラ)に導かれた三人の使徒がこれを阻止する。

 もっとつづめれば、「偽のキリスト教がはびこったとき、真のキリスト教がこれを滅ぼす」という構造になる。

 そしてこのとき、「真のキリスト教」に相当するものを、女神信仰と精霊信仰の形で描くところが、女神の主神を持ち、かつては母系社会であり、アニミズムの伝統を持つ日本人の作品らしいところですね。というところで書き尽くしました。以上です。


(この記事が良いと思った方はXにてぜひシェアを![リンク]

2025年10月22日 (水)

[ドラクエ2]死のオルゴールはなぜ実装される予定だったか?

 死のオルゴール(しのオルゴール)が、ドラクエ2ではどこに置かれていたか。ドラクエ3ではどこに置かれていたか。そしてそれは何のために置かれていたのかという話をします。

※注:「ドラゴンクエスト」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、情報のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますというニュアンスです。小説版、外伝等は参照しておりません。
 

※ご注意:当ブログの内容を紹介する際は、URLを示し、出典を明らかにして下さい。どこかの誰かが言っていた風説としての紹介・言い回しを変えての自説としての流布をお断りいたします。


●死のオルゴールとは何か

 FC版ドラクエ2に、「死のオルゴール」というアイテムが企画されていたようです。

 このアイテムはボツになりました。製品版には実装されていません。データ上には断片的に残ってはいますが、通常のプレイでこのアイテムが登場することはありません。

 次回作ドラクエ3にも、死のオルゴールを実装するというプランがあったのですが、これもなくなりました。
 そのことについて、堀井雄二さんはこうおっしゃっています。

 

“死のオルゴール”ってゆーのは、あったんだけど、途中メモリーの関係で無くしちゃったアイテムなんだよね。ところが、その残骸として、アイテム名だけがバグとして残ってるワケ。名前までけずろうとすると余計にバグが出るおそれがあったから、あえて残しておいたんだ。
(略)
ちなみに“死のオルゴール”は戦闘中に使うと、その場にいる全員が死んじゃうってゆー、すごいアイテムになるハズだったんだけどね。

JICC出版局『ドラゴンクエスト3 マスターズクラブ』

 

 上記の引用はドラクエ3に関する話ですが、死のオルゴールというアイテムの効果に関しては、たぶんドラクエ2においても同様だったと見ていいと思います。つまり、ドラクエ2における死のオルゴールは、

「敵にも味方にも、おかまいなく一律ザラキ(即死呪文)をかける」

 という効果だっただろうと推定できます。

 ……といったことをふまえて、今回の記事のお題を設定します。「死のオルゴール」というアイテムは、なぜ、いったいどんな理由で、実装されるはずだったのか?


●死のオルゴールは戦術的に有効か?(有効ではない)

 まず手始めに、

「敵にも味方にも、一律ザラキ(即死呪文)をかける」

 という効果は、ドラクエ2の戦術において有効でしょうか。

 MPの消費なしで無限にザラキが撃てるというのは明確なメリットです。雑魚狩り、レベリングにおいて、圧倒的な戦力になりそうな予感がします。

 ただし、「味方にも」ザラキをかけるという点が恐ろしい。
 敵パーティを即座に全滅、あるいは半減させることができるのは強力ですが、同時に味方も数名死んでしまう可能性が高いのです。

 味方が死んだら、ザオリク(蘇生呪文)で生き返らせねばなりません。FC版ドラクエ2のザオリクの消費MPは15。いっぽう、FC版ドラクエ2のザラキの消費MPは4です。すなおにザラキを撃ったほうがあきらかに安全です。

 ところで、FC版ドラクエ2には「みみせん」という謎のボツアイテムもあります。

 これを装備すると、死のオルゴールのメロディーが聞こえないので、死ななくなる……と考えたらどうなるでしょう。でもそれは……。

 例えば、みみせんの効果が「ザラキに対する完全耐性を付与する」そして「効果を発揮しても消費されない」と仮定してみましょう。パーティ3名、全員にみみせんを装備したが最後、ドラクエ2は「死のオルゴール無双ゲー」になりはてます。
 とりあえずムーンブルクの王女に死のオルゴールを奏でさせ、残った敵をローレシアの王子とサマルトリアの王子が打撃で倒すという戦術が多くの場合で最適解になり、ゲームバランスは崩壊するでしょう。

 それを避けるために、みみせんの効果を「味方へのザラキの成功確率を下げる」くらいに格下げしてみましょうか。

 これなら、敵に対してのザラキは効きやすく、味方へのザラキは幾分効きにくいという塩梅になるのでいいでしょう。
 さて問題は、みみせん装備において、どのくらいザラキを効きにくくするかだ。

 前述の通り、ザラキの消費MPは4、ザオリクの消費MPは15。
 ザラキを使うより、死のオルゴールを使い、死んだ仲間をザオリクで生き返らせるほうがMP的にお得だ、というバランスになってもいいだろうか。全然よくない。
 そうなると、味方ザラキの成功率を下げるといっても、ほんのちょびっと程度にするしかない。

 また、「死のオルゴールでサマルトリアの王子が死んだとき」のコストは計り知れません。
 FC版ドラクエ2において、ザオリクを使えるのはサマルトリアの王子のみです。死のオルゴールでサマルトリアが死んだら、サマルトリアを蘇生させることができないので、その後は2人パーティでの攻略を強いられます。FC版ドラクエ2においてパーティが3名でなくなるのはほぼ全滅に近い意味ですから、即時撤退の一手のみになります。

 じゃあ、みみせんを、「ザラキへの完全耐性を付与する」しかし「一回効果を発揮したら消費される」アイテムだと考えるのはどうでしょう。
 つまり、死のオルゴールの即死効果を防いだらみみせんは消滅する、と考えるわけですね。

 この場合の死のオルゴールは、強い敵に追い込まれて、パーティがほとんど壊滅状態になったとき、イチかバチかで使ったら、ピンチを脱出することができるという程度のアイテムになります。これならまあバランスは取れる。

 ただし、そのイチかバチかに対応するために、限られたインベントリ(持ち運べるアイテム数)のうち、みみせん3個以上+死のオルゴール1個を埋めるのかという話が出てきます。

 ドラクエ2のインベントリ数は、1人あたり8個×3名で24個。この中に、武器・鎧・盾が人数分だけ入ります。「まよけのすず」も三人分ほしい。緊急避難のためにキメラの翼は絶対必要。ダンジョン到達までのマップ移動のために聖水を1個か2個。毒消し草も必要だし、世界樹の葉は常に1枚持っておきたい。ここにイベントアイテムが加わります。邪神の像とかルビスの守りですね。銀の鍵、金の鍵、牢屋の鍵も捨てるわけにはいきません。買えるものなら力の盾も三枚買いたい。薬草も持てるだけ持たないと。

 ここに、死のオルゴール+みみせん3個以上、を持ちますか? 私は絶対持ちたくないです。
 そして、みみせんは店売りのアイテムです。消滅したら補充に金がかかる。ドラクエ2はお金が貯まらないゲームです。

 以上のようにおおざっぱに考えても、「死のオルゴール」は、戦闘環境に大きな変革をもたらすアイテムとは考えづらい。
 これを使ってゲームを攻略して下さい、ということが意図されていなかったことはほとんど明白だと思います。

 というわけで、「死のオルゴール」は、フレーバー程度のアイテム。あったらなんかいい感じになるが、なくてもゲームは成立するよねというくらいの位置づけだったと考えられるのです。

 まとめると、

・死のオルゴールは、敵味方を区別なく即死させるアイテムだった。
・死のオルゴールは、削除しても問題ないアイテムだった。

 そこでこういう仮定をおきます。

・死のオルゴールは、攻略外の何らかの意図に基づいて企画されたアイテムだった。

 その意図とは何か、というのが今回のテーマです。


●せいなるおりきと死のオルゴール

 FC版ドラクエ2における「死のオルゴール」が、どこに置かれていたのかは判明しています。

 80年代のゲーム雑誌に、堀井さんの制作指示書の一部が掲載されたものがありました。その中に、「ザハンの町の宝箱のうち、死のオルゴールが入っていたものをからっぽに変更する」という指示があったのです。
(あとで国会図書館にいって原文にあたってきます)

※追記20251023:国会図書館に行って、原文に当たってきました。

20251023
クリックで大きく表示・アスキー『ファミコン通信』1987年7月10日号/第2巻第14号通巻27号 P.49/記事全体ではP.48から51)

11月22日

・耳せん を なくしたため
 道具屋の 売り物から 耳せん を はずす。

・ザハンの町(町I)宝箱のひとつ を からっぽに。
 (死のオルゴールが 入っていた物)

(出典は上記画像と同一・抜粋)

 ザハンの宝箱のうち、からっぽのものはひとつしかありません。それは、神殿の宝物庫の右側に安置されていた宝箱です。

 ザハンの町には巨大な神殿があり、その奥は左右に分かれています。
 左右のどんづまりに、厳重に鍵がかけられた部屋があって、左側には「聖なる織り機」(せいなるおりき)が安置されています。
 そして右側はからっぽです。

 このからっぽの宝箱に、死のオルゴールが入っていたのですね。

 この置き方から見て、
「聖なる織り機と、死のオルゴールは、対(つい)になるアイテムだった」
 と見るのは、そう難しくないと思うのです。

 このふたつが一対のアイテムだとしたら、それは何を意図してのことだろう。


●ザハンの町とは何か

 ドラクエ2の「ザハンの町」は、世界の果ての孤島にぽつんと存在する小さな町……というより村落です。

 ザハンにたどり着いた私たちプレイヤーは、まず、「ここには女性しかいない」という事実に驚くことになります。

 なぜ女性しかいないのか。
 それはこの町が漁業で生計を立てている町であり、男性は全員、船で魚を捕りに出かけているからです。

 そしてこの町には、小さな村落には不似合いな巨大神殿があります。何を祀っているのかは不明です。

 ザハンの神殿はこんな形をしています。

Zahan

『ドラゴンクエスト2』ザハンの町・マップより抜粋 筆者手描きによる再現

 

「女しかいない町」という情報を握った上で、あらためてこのマップを見ていたら、気付くことがありました。

 この神殿は子宮と卵巣を模した形をしている。
 ザハンの神殿は女性性における神髄の部分をかたちにしたものだ。

 女性性における神髄をあがめているのだから、ここで祀られているのはきっと女神です。

 ザハンは男手が総出で漁に出て、島に男子が一人もいなくなるような極端な習俗になっている。
 この町は、男性だけが労働を担い、女性だけが祭祀を担う文化を持っている可能性があります。なぜならこの土地の文化は女神信仰で、女性に聖性を見いだすものだから。

 これは、王族男子が世俗を担当し、女王が祭祀を担当していたとされる邪馬台国を下敷きにした発想かもしれません。
 つまりザハンはドラクエ2における日本。だから場所的に海の果ての島であり、そこには(黄金の国ジパングになぞらえて)金の鍵があるのだろうと考えます。ザハンはたぶんジャパンのもじり。

 そしてドラクエ2は、世界の全てをおのれの中から生み出した究極のグレートマザー・精霊ルビスと出逢う物語だ。
 精霊ルビスが作った世界で精霊ルビスと出逢う物語において、女性信仰の神殿が置かれているのだから……。

 おそらくザハンの神殿に祀られているのは精霊ルビスである。

 ドラクエ2のザハン以外のほとんど全ての町には、神父がいて、カミ(神)が信仰されています。
 でも、ドラクエ2の世界を作ったのはカミではなく精霊ルビスであることを、私たちは知っています。

 おそらくこの世界の本来の信仰は精霊ルビス信仰だった。しかし、いつしか精霊信仰が忘れられ、とってかわるように一神教的なカミ信仰が台頭した。

 古代のギリシャやケルト、北欧、スラヴなどが、もとはアニミズム(精霊信仰)的な宗教を信仰していたものの、キリスト教の台頭によってそれを失っていった……というのと同じことが起こったのだと考える。

 でも、世界の果ての小さな島のザハンには、カミ信仰は伝播せず(あるいは定着せず)、もとの精霊ルビス信仰がそのまま保存された(ますます日本ぽい)。

 余談ですが、ドラクエ2ではカミに祈ると人が生き返ります。ではカミは存在するのでしょうか? ドラクエ2の世界を作り、人の命を生み出したのは精霊ルビスです。ですから、「カミに祈ると人が生き返る」という現象を発生させているのは精霊ルビスだと思います。人々は祈りをカミに届けたと思い込んでいるが、そのお手紙は精霊ルビスに届いてる、という想定です。この世界に精霊ルビスは実在するが、カミは架空のものである、とするのが据わりがいいのかなって思っています。

 さてそのように、ザハンには人類社会の元々の信仰が残っていて、その信仰とは精霊ルビス信仰であるとする。

 女性神への信仰だから、神殿は子宮を模している。
 そして左右の卵巣にあたる部分に、聖なる織り機と、死のオルゴールが置いてある。

 そういう建て付けとなりました。

 それでこう思うのです。

 聖なる織り機と死のオルゴール、この二つのものは、精霊ルビスの二つの本質を象徴するものである。


●聖なる織り機とあまつゆの糸

 ようするに、この二つの宝物は、「精霊ルビスとは何者か」を示すシンボルだというお話です。

 ルビスとは、女性であり、世界と命を生んだものであり、母である。その本質は聖なる織り機と死のオルゴールに象徴される。

 このうち、聖なる織り機のほうは理解しやすそうです。

 織り機というのは機織りの機械のことでしょう。布を作る道具ということですね。
 古来、おおむね世界的に、機織りは女性の仕事とされてきました。鶴の恩返しで機織りをした鶴も女性でした。
 機織り機が女性を象徴するものだというのは違和感がない。
 ですが、それだけではない。

 聖なる織り機は、みずのはごろも(水の羽衣)を作るための二つのマテリアルのうちの一つです。

 聖なる織り機は、あまつゆの糸(天露かな? 雨露かな?)と合わせると、水の羽衣を生成します。
 機織り機と糸を組み合わせるのですから、道具と材料、という組み合わせです。

 この、あまつゆの糸というアイテムが実に興味深いと私は思っていて、まずはそれを話します。

 前述の通りあまつゆの糸は水の羽衣の材料。
 そして「ドラゴンの角」と呼ばれる塔にいつのまにか落ちている謎のマテリアル。

 あまつゆの糸がドラゴンの角にあるという表現。これは、ザハンの神殿に聖なる織り機があるのと同じ意味があるんじゃないかと考えられそうなんです。

 ムーンブルク城とペルポイの町のちょうど中間くらいにあるあの塔は、どうして「ドラゴンの角」という名前なのでしょう。ドラゴンはいませんよね?

 ドラゴンはさておき、「角(ツノ)」のほうに着目してみましょう。

 ツノというのは世界のいろんな地域で、歴史的に、男性性の象徴として扱われてきました。
 なぜって、シカやイッカク、カブトムシなどはオスにだけ角がありますし、メスに角がある動物でも、たいていは、オスのほうが角が大きい。

 というか、よりはっきり言えば、角は男性器をイメージさせるもの、という諒解が世界中にあったとしてよいでしょう。屹立するツノは陰茎のメタファーで、男性性の記号であるとする文化が各地に存在した。

 例えば、二十世紀半ばくらいに欧米で発生したウィッカ(魔女宗)という新宗教があります。これはキリスト教以前の多神教に戻ろうといった古代宗教復興運動のひとつです。

 どうも二十世紀半ばくらいのころ、「キリスト教オワコン説」みたいなものがあったようで、
「そもそも我々は、キリスト教以前には多神教やアニミズムに基づく豊かな宗教的世界を持っていたはずじゃないか。それを今からでも取り戻そう」
 という動きがあったらしいです。それでさまざまな、非キリスト教的な新宗教・復興的宗教が発生しました。ウィッカもそのひとつです。

(精霊信仰→一神教→精霊ルビスの再発見、という、ドラクエ2における宗教変遷説と重なり合います)

 このウィッカという宗教は、女神を信仰するのですが、儀式において、「ツノのある男性神に扮した男性」と「女神に扮した女性」が性交するんだそうで。
 ツノのある男性神は、ケルトのケルノノス(シカの角)であったり、ギリシャのパーン(ヤギの角)だったりするようです。
(このへんはあまり詳しくないので伝聞です)

 この例などは、「ツノがあるのとペニスがあるのは同じ意味」というのを端的に示していると言えるでしょう。

 そんな話をふまえてドラクエ2に戻ると、

「ツノ」と呼ばれる「塔」がある。

 これはもう、あからさまに男根的象徴と言えるのではありますまいか。

 そう思った上で、
「あまつゆの糸と聖なる織り機を合わせると、水の羽衣ができる」
 という話を再検討すると、

「男根的象徴の塔から出てきたあまつゆの糸と、女神の卵巣から出てきた聖なる織り機を合わせると、生み出される成果物がある」

「陰茎から来たもの」と「卵巣から来たもの」とを組み合わせて、ひとつの成果物を生成するという形になっていて、これはまぎれもなく性交・出産のメタファー(たとえ話)だ。
 つまりはあまつゆの糸は精液であり、聖なる織り機は卵子であり、それを組み合わせることは性交だ。水の羽衣はそこから生まれ出た子供である。

 あまつゆの糸と聖なる織り機は、そういう見立てのためのものだと考えることができる。

 そこで聖なる織り機に話を戻します。聖なる織り機は女神の卵巣にあたる部屋に保管されていた宝物であり、卵子であり、これから生まれる命の核になるものです。

 聖なる織り機が隠喩するものは単にルビスの女性性だけではない。聖なる織り機は、精霊ルビスが「母である」こと、「産む者である」という側面のシンボルだといえる。

 そして、それと対になるものとして「死のオルゴール」があるのです。となれば死のオルゴールは、「精霊ルビスのもう一つの側面」のシンボルということになります。


●命を与え、奪う母神

 それはたぶん「死をもたらす者」という側面です。

 古来から、人間たちが女性の中に見いだしたものは、誕生とか豊穣とかいったポジティブな側面だけではありませんでした。
 その一方で、さまざまな文化において、人々は女性や子宮に「死」の側面をも見いだしたのでした。日本なんてまさにそうです。

 それはなんでか、というと、たぶん直接的な理由は、「そこから血が流れるから」。
 おそらく女性のおなかには死の塊みたいなものが内包されており、流血はそこから起こるのだ……といった連想が発生していたのだろうと思います。

 また、子宮からは赤ん坊が出てきますが、その赤ん坊は子宮以前にはどこにいたのか、という謎を、古代の人々は古代的頭脳で解こうとしたはずです。

 その中で、転生という概念がある文化においては、おそらく「死んだ人間が再び子宮に宿るのだろう」と考えたはずです。

 そう考えた場合、子宮というのは、死と直接繋がっていることになる。

 例えば日本神話のイザナミは日本列島の全てを生み出した女神ですが、のちに冥界の住人となり、夫に「私はこれから一日に千人の命を奪うぞ」と脅しをかけます。これなんかはもう、母なる神であり、同時に死の神であるという表現です。鬼子母神もそうでしょう。ヒンドゥ-の女神デーヴィに殺戮神カーリーの側面があるというのもそういう構造で見ることができそうです。さまざまな文化において、人々は母なる女神に対し、死の属性を見いだしてきたのです。

 それでドラクエ2に話を戻すと、精霊ルビスを祀る神殿はルビスの子宮を模しており、その中には、豊穣・誕生のシンボルとして聖なる織り機が置かれている。
 その一方で同じ場所に、死のオルゴールが置かれる予定だった。

 ならばそれは、「誕生と死亡は一対のものであり、片方だけにすることはできない」という表現ではありませんか。
 精霊ルビスの腹部の中に、誕生と死亡の両方が含まれているのなら、

「精霊ルビスには死を司る側面もある」

 死のオルゴールは、精霊ルビスの殺しの側面のシンボルである。

 精霊ルビスは生命・豊穣・生誕を司る地母神だ。しかし、生と死は不可分だ。生むというのはのちに殺すということだ。殺した者をまた生むためだ。死のオルゴールはその象徴だ。

 だから死のオルゴールを奏でるとみんな死ぬ。その死は精霊ルビスの子宮に回収されるという死だ。精霊ルビスから生まれた命を精霊ルビスに返済するという死だ。

 ……ということの表現として、死のオルゴールが置かれる予定だったというのが、この記事のひとまずの結論です。
 堀井さんは、女だけの町を設定し、子宮の神殿を置き、そこに聖なる織り機と死のオルゴールを置こうとした。それは、「精霊ルビスとは何者か」を示そうとしたからだった。


●文字によらない謎解き

 と、ここまで書いてきて重要なことを思い出したのですが、精霊ルビスがはじめて登場したのがこのドラクエ2です。
 そしてドラクエ2の精霊ルビスは、「私は大地の精霊」と言い、「勇者ロトと(何らかの)約束をした」とも言いますが、

「私がこの大地のすべてを作りました」

 とは一言も言っていません。
 それを言うのはドラクエ3です。

 それは言い換えると、「ドラクエ2の段階では、文字情報だけでは、精霊ルビスがこの世界を作ったとはわからない」ということです。

 でも、文字として表現してはいないが、「この精霊ルビスという人が、この世界の全部を作ったのです」という設定はすでにあったのでしょう。

 その設定を、文字ではない表現で作中にちりばめた。

 当記事にあるような手順を踏んで、情報を拾い、民俗学的もしくは神話学的なアプローチをすれば、「精霊ルビスは神話的な地母神だ。ということはたぶんこの世界を生み出した者だ」という真相にたどり着けるようにしておいたのです。

 太陽、星、月、水、命の紋章をすべて集めると、精霊ルビスが現れます。

 日がのぼり、星がめぐり、月に引かれて水が満ち干し、命が住まう。この5つは世界を構成するマテリアルです。
 世界のマテリアルをすべて集めると現れる精霊ルビスとは何者か。それは世界を生み出した母なる神だ。

 そのようにして、ドラクエ2の大部分が、「精霊ルビスとは何者か」を問う謎解きになっている。


●ドラクエ3の死のオルゴール

 ドラクエ3にも精霊ルビスが登場します。
 そして、ボツにはなったものの、ドラクエ3にも死のオルゴールは登場する予定でした。

 ドラクエ3の死のオルゴールは、どんな意味で置かれるものだったのか。たぶんドラクエ2と同じだと思います。

 ドラクエ2で、(容量が足りなくなって)死のオルゴールを置くことができなくなったので、同じ趣向でドラクエ3にこれを置こうというプランだっただろうと思います。

 ドラクエ3の死のオルゴールが、どこに置かれる予定だったのか、私、たぶん分かる気がする。

 それはおそらく、地球のへその最奥部

 地球のへそというダンジョンの最奥部には、宝箱がふたつ並んで置かれています。片方にはブルーオーブが入っていて、もう片方には薬草が入っています。

 この、薬草が入っている宝箱に、本来なら死のオルゴールが入っていたはずだ、そうにちがいないと私は思っています。薬草は、オルゴールを抜いたんで、代わりになんか適当に入れといて下さいで入れたものでしょう。

 なんでそう思うか。

 地球のへそが、ランシール神殿から行ける地下迷宮だからです。ランシールには巨大な神殿があり、何が祀られているかはさだかではありません。結論を先に述べますが、ドラクエ3の上の世界を作ったのも精霊ルビスであり、ランシール神殿はルビスを祀る神殿だと思います。

 地球のへそというダンジョンは、たぶん、精霊ルビスの胎内を見立てたものだと思います。
 地球のへそは、なぜ地球のへそという名なのか。
 へそは、へその緒を通じて、母親の子宮とつながっていた場所です。そして、女性の身体のへその内側、そのちょっと下のほうには子宮があるのです。

 精霊ルビスは大地の神格。地球は精霊ルビスの身体だと見立てられます。
 へそから入って精霊ルビスのおなかの中にずうっと潜っていくと、そこには火の鳥を「孵化」させる宝玉と、死のオルゴールがある。精霊ルビスのハラの底には生の宝物と死の宝物がある。

 そこから推論を重ねていくと、「この神殿はルビスを祀るものだ、上の世界もルビスが作ったものだ」というところにたどり着くことができる。

※追記20251023:「地球のへそには大地の鎧があり、このことも大地の精霊との関わりの傍証となる」というご意見をコメント欄でお寄せいただきました。確かに!

 

●さらに追記20251026
 2016年に『ドラゴンクエストミュージアム』というイベントが開催されたのですが、そこにドラクエ3の初期の制作資料が展示されていました。
 この初期資料のランシールの部分、地球のへそにあたるダンジョンのところに、注釈として「誰がいくかで見つけるものがちがう」と書き込まれていました。
(それに関しての詳しい解説と解釈はこちら
Img054b_20251026034501
 ドラクエ3の最初期の構想では、
「このダンジョンには一人で入る。そして入ったキャラの職業によって、中で見つける宝物がちがう」
 という趣向だったもようです。
 さて前述の通り、このダンジョン「地球のへそ」は、精霊ルビスの子宮と見立てることができます。
 
 精霊ルビスの子宮の奥底に、一人で入っていって、入った人ごとに別のものが出てくる。
 
 ということでこれもまた性交であり、入っていく一人の人物は精子であり、宝物はルビスと人物の子供だという見立てができます。誰がいくかで見つけるものが違うのは、精子が違えば生まれる子供も別人になるということでしょう。
 
 堀井さんは最初期の段階から、「この世界は精霊ルビスの身体である」というアイデアを握っていて、「精霊ルビスと勇者ロトが疑似的に性交する」という意味のイベントを導入しようとしていた、と見ることができそうです。堀井さんは作品にエロスを導入するのがお好きだから、これは容量が許せばぜひ入れたいアイデアだったしょうね。
 
●さらにさらに追記(同日)・ランシールの語源
「ランシール」という町の名前の語源は、オーストラリアの南西の端っこにある「ランセリン」という小さな町ではないか、という説がわりあい広く語られています。
 私はこの説にはちょっと懐疑的です。ランセリンは名前もじりの元ネタとするには、ちょっと小さすぎる感じがしています。
 
 で、当記事の内容を踏まえた私の説を述べますが、ランシールの語源は、もう、ずばり「卵子」なんじゃないか。
 私としてはこっちのほうがしっくりくると感じます。


●糸井重里に『MOTHER』を作らせたドラクエ2

 本論としてはここまでですが、それと関係ある、ちょっと面白そうな推定を書いておきます。

 糸井重里さんという、作家にしてスーパーコピーライターがいらっしゃいます。ゲーム業界的には、任天堂のRPG『MOTHER』を作った人です。私はすごく尊敬しています。

 どこかで読んだ話なのですが(あとで探しておきます)、糸井さんは当時FC版のドラクエ2をプレイして、
「なんて面白いんだ。こんな面白いものを作ってる奴らがいるだなんて、くやしい! どうして俺はこれを作ってないんだ!」
 と地団駄ふんでくやしがり、『MOTHER』の企画書を任天堂に持ち込んだのだとか。

 糸井さんは、よし俺もRPGを作るぞ、と決めたのですが、しかし、剣と魔法のファンタジーRPGを作る気はサラサラなかった。

 なんでかというと、当時出ているRPGをいくつもプレイした結果、
「どれもこれも、父性的・父権的すぎる」
 という違和感をおぼえたからだそうです。

 糸井さんが言う父性的っていうのは、たぶん、「試練を課せられ、それを突破する」が繰り返される構造を指しているんだと思います。「王様(父権)からクエストを与えられて物語が始まる、それをクリアしたら帰ってきて良い」という、よくある形に代表されるもの。「従来のRPGは、父に突き放され、父に認められる話ばっかりだ」と。

 糸井さんはドラクエ2をはじめとする従来のRPGに、それ一辺倒じゃんかという疑問を持ち、そうでないものを作ろうと考えた。
「そうじゃなくて、ふんわりと母性につつまれた感じのものを作りたいよね」

 それで作り出されたのが、その名もずばり『MOTHER』。
 スタンド・バイ・ミーみたいな現代もので、王様に何してこいと言われるような導入ではなく、父親は出てこず(電話だけできる)、そして『MOTHER』のタイトルロゴの「O」の部分は地球のかたちになっており、「母なる地球」をイメージさせるものとなっている。

 ……という、そこまでの情報を私は知っていました。

 で、あるとき、この記事で書いたような、ザハンの神殿から始まるなんやかやを考えている途中で、ふと思ったのです。

「あ、糸井さんも、たぶんこのことに気付いたな?」

 糸井さんは、とんでもなく頭が良いので、ザハンの神殿のかたちが暗示するものや、そこから出てきた聖なる織り機と男根的塔から出てきたあまつゆの糸が隠喩するもの、そうしたことをたぶん一発で理解した。
 ドラクエ2が、一見、父権的な価値観で出来ているように見せながら、じつは母性によってより大きく包まれているということをちゃんと発見した。

「これに気付いているプレイヤーはたぶん俺くらいだろう。そしてこのアイデアは使える。これをもっと発展させてメインテーマにすれば、見たことのないようなRPGが作れる」

 そう思って、父性的ではない母性的なRPG『MOTHER』を企画した……なんてことは、相当ありそうなことだと私はニラんでいます。つまり、糸井さんが「母性的なRPGを作ろう」と思い立ったきっかけは、ドラクエ2を包んでいる大きな母性を見たことにちがいないという推定です。

 FC版『MOTHER』には、マジカントというマップが存在します。このマップは全体がピンク色になっており、なんと女性器のかたちをしています。名前がマジ「カント」だからあからさまですよね。
 これなどは、ザハンの神殿を見て思いついたアイデアじゃないかな……。

 この話を「糸井重里はドラクエをパクったの?」と読む方が一定数いると想定して先回りしますが、そんな話ではないです。何かの作品を見て、それをきっかけに自作の構想をふくらませるというのはまったく正当だ。『MOTHER』は糸井さんからしか出てこないようなものが全編に詰め込まれてとんでもなくオリジナル。
 当時、糸井さんには小さな娘さんがいた。RPGを父性ではなく母性で作ろう、という動機のコアにあるのは、「娘には父権的ではないRPGを与えたい」(父が子を突き放す物語を与えたくない)という感情に違いないし、ご本人がそれに近いことを言っている。そして実際、心正しい女の子に響くような作品に仕上がっている。そういう圧倒的な成果物を前にして、剽窃がどうのという話は何の効力も持ちません。いいですね?

 と、そんなところで当記事は以上です。ここまで読んで下さった方、お疲れ様でした。

(この記事が良いと思った方はXにてぜひシェアを![リンク]

2025年5月20日 (火)

[都市伝説解体センター]わたしの友達のためのグレートリセット

 美しい。その一言。先日、一日休める日ができたので、話題の『都市伝説解体センター』というゲームをやりました。今からその話をします。
 
『都市伝説解体センター』はミステリー仕立てのゲームで、内容をあらかじめ知ってしまうとゲーム体験を著しくそぎます。今からゲームの重要な部分に関する話をしますので、これからプレイするという方は決して読んではなりません。
 
 
 
!!!CAUTION!!! !!!CAUTION!!! !!!CAUTION!!!
 
[ 未プレイ ]の人は
 
[ プレイ体験を著しく削ぐ ]から
 
[ 読まないほうがいい ]かも?
 
!!!CAUTION!!! !!!CAUTION!!! !!!CAUTION!!!
 
 
 
 このゲームを書いた人は、たぶん『serial experiments lain』や森博嗣『Gシリーズ』や『ファミコン探偵倶楽部』が好きだと思う。なぜなら、それらが好きな私にぶっささるように道具立てが揃えられているからだ。
 
 とくに『serial experiments lain』は、『都市伝説解体センター』のクライマックスの展開を愛することのできる人が見るべき作品だと思う。そういう体験ができる。
 
 プレイ序盤は、「よくある視点キャラクターの作り方だな」くらいに思って福来あざみのことを見ていた。ところが最後まで読んで、この人物のことを本当に好きになってしまった。福来あざみに会いたくて中東まで渡ってしまったジャスミンの気持ちにまったく同感だ。よく考えてみたら、あんなフリフリの服を着た女が心に深い傷を抱え込んでないわけないよな(という偏見)。
 
(いま思い出した余談。偶然かもしれないが、『serial experiments lain』のオープニング・テーマ曲を歌っていたboaのヴォーカルはジャスミン・ロジャーズ)
 
 私がこの作品について語りたいことは2つだけで、2つとも福来あざみに関することだ。
 
 ひとつは福来あざみという存在が発生した理由について。
 
 廻屋渉はあざみのことを、
「あなたは憎しみや絶望の外側にいる 本当に優しい人間です」
 と評している。
 
 福来あざみは廻屋渉(如月歩)の別人格なので、この人物評は、「如月歩が福来あざみという別人格を切実に必要とした理由」を語るものとなっている。
 
 福来あざみはほとんど究極に無垢であり、友達の不当な境遇に対して、友達といっしょに傷つき、悲しみ、インターネットアノニマスたちの非道にむかって怒りの声を上げる人物として描かれる。如月歩はそのような人物を切実に必要としたのだ。
 
 廻屋渉(如月歩)はこの直後に「私の良き理解者であり」「兄の望んだ私の…」と続けるので、「福来あざみは、如月歩の兄が『如月歩はこのような妹であってほしい』と望んだ姿の具現化である」と読めるようになっている。その読みもたぶん正しい。
 
 しかしそれだけのことでは決してないはずだ。
 
 如月歩はこのような祈りを抱えていたはずだ。
 
「世界中の人々が、みな、福来あざみのような心性をかかえた人たちであったなら、どんなによかっただろう」
 
 そうであったのなら、如月努は死なずにすんだし、如月歩は復讐などせずにすんだ。人々はインターネットの下世話や下衆に苦しめられることもなかったはずだ。
 
「世界中の人々がみな」と今言ったところだけど、みんなでなくても良いのかもしれない。
 
「この広い世界に、たった一人でもいいから、福来あざみのような美しい心根の人物がいてほしい」
 
 如月歩はそのような願いを切実に抱え込んでいたはずだ。そしてそれこそが、「福来あざみという人物が存在しはじめた本当の理由」だと私は考えるのです。
 
 それは祈りである。
 福来あざみの存在は祈りである。
 
 ラストシーンで福来あざみが、「ほんとうの真相」をいっさい認知しておらず、無垢な状態にとどまっている理由もおそらくそれだと思います。如月歩は福来あざみのような人物が、この世にたった一人でもいいから存在していてほしいのだ。それが如月歩の傷を慰撫する唯一の救いのとっかかりなのです(たぶん)。だから福来あざみは決して自分の正体を認知していてはならない。
 
 
 ふたつめのこと。
 
「グレートリセット」と呼ばれるカタストロフが発生します。世界中のすべてのインターネットアカウントと本人情報が紐付けされた状態で開示され、インターネットアノニマスは無名性を一切消失して、すべての人々の秘密があますところなくインターネット上で明らかになります。
 
 これはインターネットの下世話な下衆たちへの復讐であると読めます。それはたぶん正しい。
 
 グレートリセットは世界中の大部分の人々にとってはカタストロフである。けれど、グレートリセットによって救われる人がいるということを見逃してはならないと思う。如月歩には、グレートリセットによって特定の人物に救いをもたらしたかったという事情が絶対にあったはずだと思う。
 
 その人物とは佐藤美桜だ。
 
 佐藤美桜はパパ活のあげく望まぬ妊娠をしたというインターネットの視線にさらされて、今にも自ら死を選びかねない人物だ。
 
 この問題は、「弱みを持たない人間が、弱みを持った人間を無制限に攻撃できる」という社会の構造に起因している。
 
 グレートリセットは、世界中のすべての人間の弱みを明らかにする。グレートリセットは、「すべての人間が、突かれたら一方的に敗北するような後ろ暗いところをさらけだしている」という新しい世界の到来だ。
 
 すべての人々はいっさいの例外なく下衆である。
 
 そのような世界において、佐藤美桜の弱みは、弱みとしての効力を失う。それはすべての人間が当然かかえているありきたりの後ろ暗さにすぎなくなる。グレートリセット後の世界では、佐藤美桜は、ずいぶん生きやすくなるだろう。
 
 如月歩がそれを意図していないはずがない、と私は考えるのです。なぜなら佐藤美桜は、世間の下衆という共通の敵を持つ、同じ傷を抱えた、そして如月歩/福来あざみにとってのほとんど唯一の友達だからです。
 
 これは復讐の計画ではあるのだけど、たったひとりの友達を救う計画でもあったのだ、と。
 
 このことが美しいから、私はこの作品を好きになりました。この作品にはちょっと見過ごせないような瑕疵がいっぱいあるのだけど(作品に否定的な皆さんのご指摘はほとんど全部もっともだ)、にもかかわらずこの一点だけで私は惚れ込んだ。
 
 この読後感は『魔法少女まどか☆マギカ』にちょっと似ている。私はこの作品にも惚れ込んでいるのだけど、魔法文字に書かれている内容解読だとか世界設定だとかはどうでもいい。
 
「世界でもっとも優先的に救われなければならないような悲惨な境遇に置かれた少女たちが、自分のことではなく、なんとかして友達を救うことをしか考えていない」
 
 という痛々しさが胸を打つのです。如月歩にもそれと同じ感触がありました。
 
 
 
 
●些細な追記
 
 どうでもいいことだから書かなくてもいいのだけど、いちおう書いておきます。前述のとおり、この作品には、ロジックがうまく通っていなかったり、矛盾していたり、不自然だったりするところがたくさんあり、はっきりいって見過ごせません。が。
 
 これだけお話を書ける人が、そのことに気づかないということはないわけです。
 
 もし仮に、書いている人がそのことに気づかないとしても、セールスまでに大勢の人間のチェックを通っており、その過程で、大勢の人間が、それらのことを指摘しなかったとは考えられないです。つまり、作品におかしな部分があるとして、そのおかしな部分をすべての人々が見過ごしたとは考えられないわけです。
 
「この部分には確かに問題があるが、この問題を問題でないように直したり、迂回したりすると、物語のドライヴ感をそぐから、直さない」
 
 という判断が行われているように、私には見えました。
 
 なぜ私にはそう見えるかというと、私もそのような判断をすることが多いからです。そしてこの判断は……あ-、この流れでいうと、自分で自分を褒めているようになってしまいますが……ものすごく物語を書ける人でないとなかなかできない判断です。これを書いた人の、この判断の部分はすごいよ。
 
 たぶん、もし私が『都市伝説開発センター』を書いた人だったとしたら、この作品の不自然な部分は、けっこう直してしまうと思う。変じゃなくなるようにただ直すだけなら、そう難しくはない。
 そして、直したぶん、ドライヴ感が減衰したと思います。
 私はこういう「直さない判断」については、かなり自信を持っているほうだと思うのだけど、もっと凄いのでかなりびっくりした。いったいどうやって押し通したのだろう。

(この記事が良いと思った方はXにてぜひシェアを![リンク]

2025年1月19日 (日)

[FSS]黒騎士ダッカスはなぜ土偶の形をしているのか

『ファイブスターストーリーズ』(FSS)という長期連載中の漫画があります(1986年連載開始)。ひとことで言うならば、遠いどこかの星を舞台にした、巨大ロボットがでてくる架空神話、みたいな感じ。
 
 この漫画、2013年に、ロボットのデザインが一新されました。
 一新ってどういうことか。
  
 おそらく作者の先生が「デザインが古くなってきた」と感じられたのだと思いますが、外見をガラッと変えたのです。
 これまでは、このロボット(作中ではモーターヘッド、ゴティックメードと呼ばれている)はこういう外見だったけれど、今を境に、今日からこっちの外見になりますので皆さんよろしく、という革命的な処理が行われました。もう、びっくりしますよねえ。
 
 さてこの漫画には、「黒騎士」というロボがいます。旧設定の名前は「バッシュ・ザ・ブラックナイト」、新設定になってからは「ダッカス・ザ・ブラックナイト」という名前になりました。
 
 この新設定の黒騎士ダッカスが、旧来のファンの間で物議をかもしました。
 
 旧設定の黒騎士が、肩の張った、重そうな、いかにもロボですという感じのデザインだったのに対して、新設定のデザインは、なんというか、
  
「火焔式土器のメラメラがついた、土偶」
  
 としかいいようのないものになっていました。
  
(画像検索のURLを貼りますので各自でご覧になって、ハハァ、と思って下さい)
 
  
 私個人の感想をいうと、私は縄文アート大好き人間なので、新設定のほうがあきらかに美しく、オーラがあると思っているのですが、そうでもなければさすがにこれはめんくらいますよねえ。
 
 実際、新デザイン発表当時(というか今でも)「土偶ワロタ」みたいな反応が各地でみられたのをよく覚えています。
 
 さて、黒騎士バッシュ/ダッカスは、なぜ土偶ロボにならなければいけなかったのだろうか。
 
 2021年ごろに、私、ハタとその理由に思い当たりました。そのうち作者の永野護先生にお会いする機会があったら聞いてみようと思ってネタ帳にストックしてあったのですが、どうも永野先生にお会いする機会なさそうねという感じがしてきましたので、お蔵出しします。
 
 
●レッドミラージュはウルトラマンだ
 
『ファイブスターストーリーズ』(FSS)という作品は、ラストシーンがどういうものになるかがあらかじめ示されています。
 というか、物語の冒頭に、ラストシーンが描かれます。
 
 それは、物語の主役メカともいえるレッドミラージュと、黒騎士の、ロボット同士の一騎打ちです。
 この戦いにレッドミラージュは勝利し、黒騎士は敗れて永遠の眠りにつく、というイメージでこの物語はしめくくられる……と冒頭で提示されています。レッドミラージュは白いロボットなので、白と黒との対比になっています。
 
 つまりレッドミラージュと黒騎士は対(つい)になっている存在で、
「黒騎士っていったい何なの?」
 という疑問は、
「レッドミラージュっていったい何なの?」
 という疑問と表裏一体になっている。
 
 というふうに考えることにします。
 
 レッドミラージュとは何なのか。
 
 レッドミラージュは、
 
1)ビカビカしたパールホワイトのボディに、
2)赤色のアクセントがついた外見で、
3)頭にはトサカがあり、
4)最強ビーム(フレイムランチャー)をぶっぱなす、そして、
5)異次元からの侵略者と戦うために作られた(と判明しつつある)
 
 こうやって書き出してみると、「あ、これは」と思うのです。
 
「ウルトラマン」だ。
 
 ウルトラマンは、
 
1)白銀色の体に、
2)赤色のアクセントがついていて、
3)頭にトサカがあり、
4)スペシウム光線で、
5)宇宙人や怪獣をやっつける。
 
 つまりレッドミラージュというロボットのコアアイデアはウルトラマンから着想したものであり、ウルトラマンが宿敵を倒すというイメージが全編をつつみこむような作品を描こうと作者は構想した。
 
『ファイブスターストーリーズ』(FSS)の主人公は「神である」と設定されていて、作者の永野護先生は、かなり明確に、ひとつの「神話」を描こうとしていると思われる。
 
 この作品は、「これからこの話がどうなるか」を年表としてあらかじめ公開しています。その年表をみると、「神々の時代が終わって、人間の時代がやってくる」という流れがあるように私には読めます。
「神々の時代の終わりを描く」は、各地の神話にみられる形です(だって、なぜいまここに神々はいないのか、を説明する必要がありますからね)。
 
 永野先生は、『スター・ウォーズ』のことを指して「最新の北米神話」と呼んだことがあります。かれは先行のエンターテインメント作品を「これは神話だ」と読み替えるセンスを持っている。
 
 そのセンスをもとにすれば、たとえば『ウルトラマン』は、「最新の日本神話」と呼べそうだ。なにしろ、英雄が怪物と戦う物語だ。ウルトラマンをヘラクレスやスサノオノミコトと重ねて見るのはとてもたやすい。
 
 この作者は、自分で独自にひとつの神話を描ききろうと考えた際、先行する最新の神話である『スター・ウォーズ』や『ウルトラマン』のイメージを組み込み(もちろんガンダムやエルガイムもだ)、それらすべてを部分として持つ、最強クラスに巨大な神話をうちたてようと(たぶん)考えた。
 
 さて、レッドミラージュがウルトラマンなら、それと対になる黒騎士は何になるのか。
 
 それはもちろん「怪獣」ということになる。
 
 
●縄文時代の怪獣
 
 黒騎士は異次元や異星からの侵略者ではなく、現地産の脅威ですから、宇宙人ではなく怪獣だ、という話になるのですね。
 
 レッドミラージュがウルトラマンなら黒騎士は怪獣だ。
 その怪獣は火焔式土器と土偶のかたちをしている。それはなぜなんだ。
 
 というふうにこの問題は読み替えることができます。
 
 火焔式土器と土偶は、(いうまでもないことですが)縄文時代の日本人のアートです。
 
 縄文時代の怪獣……?
 
 
●伊福部昭
 
「縄文時代」「怪獣」というキーワードを与えられたら、わたしにはパッと思いつくことがひとつあります。
 
 それは伊福部昭です。
 
 それ誰? と聞く人はいないと信じたいのですが、いちおう申し述べておくと、音楽家、作曲家。
『ゴジラ』の曲を書いた人、と言うのがいちばんわかりやすいでしょう。ためしに今、ゴジラの映画を思い浮かべて、頭の中で曲を鳴らしてみて下さい。それを書いたのが伊福部昭です。
 
 わたしは彼の大ファンで、レコードとCDを山ほど持っている(ちなみに全部、純音楽と呼ばれるアート寄りの音源です)。おすすめの曲は「リトミカ・オスティナータ」と「サロメ」。
 
 ちょっと初出が明らかでないのですが、わたしの記憶では、伊福部先生こうおっしゃっている。「ゴジラの曲は『縄文の祟り神』のイメージで書いている」と。
(縄文の怨霊、だったかもしれない)
 
 ゴジラがなんの隠喩かというのは、いろんな人が、いろんなことを言っている。大空襲の擬人化だという人もいれば、戦没兵士の怨霊だという人もいる。その中で、伊福部昭はこう捉えた。「ゴジラは人を罰するために来た縄文の神だ」と。
 
 伊福部先生は北海道の出身で、アイヌの居留地で少年時代を過ごした。作品でも、発言でも、アイヌへのシンパシーを明確に表明している。現代のアイヌが置かれた境遇に怒りを示している。だから先生は本当はこう言いたかったでしょう。「ゴジラは日本民族を罰しにきたアイヌの神だ」。縄文とアイヌは地続きですからね。
 
 で、映画を大量に見ていて、博覧強記で、ミュージシャンでもある永野護先生は、伊福部先生のこの発言を絶対に知っているのです。
 
 
●というわけで黒騎士の正体
 
 単なる私の想像ですが、おそらく永野先生こう考えた。
 
 この神話のラストシーンは、世紀の一大決戦でなければならない。レッドミラージュがウルトラマンなら、黒騎士はそれをしのぐ最強の怪獣でなければならない。
 
 最強の怪獣とは何か。
 それは現代日本神話が持つにいたった最悪の災厄だ。
 それはゴジラだ。
 
 現実においてはまだ実現していない(する見込みもない)ウルトラマン対ゴジラの一大決戦を自分が描くのである。
(そこ、ジラースを持ち出さない)
 
 黒騎士はゴジラだ。黒いし。
 黒騎士をゴジラにするためには、ゴジラのイメージをデザインに組み込む必要がある。
 
 キバとかヒレとかをつける手もあるが、あまりにもそのものになっちまう可能性がある。レッドミラージュ(旧デザイン)をわりと素直にウルトラマン風にしたので、ゴジラのほうも同じ方法でいくと、下敷きにしている「ゴジラとウルトラマン」という比定が、あまりにもあからさまになってしまう。
 
 そこで、少し離れたところからイメージを持ってくる。
 ゴジラは縄文の祟り神だ。
 
 だから縄文のデザインを取り入れる。土偶と火焔式土器の意匠をつける。こんなのわかる人いるの? もちろんわからないからいいんだよ。
 
 まとめ。
 永野護先生は、ラストシーンを「ウルトラマン対ゴジラ」のイメージにしようと考えた。
 レッドミラージュを素直にウルトラマン近似のデザインにした。
 いっぽう黒騎士のほうは、ゴジラから少し遠ざけて、下敷きのイメージをわかりにくくしようと考えた。
 伊福部昭はゴジラを「縄文の祟り神」と見ていた。縄文のイメージを黒騎士に載せれば、ゴジラの見立てが可能になる。
 黒騎士が火焔式土器や土偶の意匠で描かれることとなった。
 
 以上です。
(この記事が良いと思った方はXにてぜひシェアを![リンク]

2024年12月10日 (火)

[HD-2D]ドラクエ3と死の巡礼

 HD-2D版ドラクエ3には、良いところがいくつもある。私がとくにぐっとくると思ったのは、キラキラ採集だ。
 
 キラキラ採集(キラキラ拾い)は、ドラクエでは10から実装された要素で(たぶん)、フィールド上にきらきらと青く輝くポイントがある。
 ボタンを押して調べてみると、さまざまなアイテムが獲得できる。
 
 フィールドをうろうろと歩き回る、という行為に対して、インセンティブを与えてくれるものとなっている。HD-2Dの売りはフィールドの美しさなので、「どうぞ歩き回って下さい、そうしたら利益もありますし」という形を作っているのは納得だ。
 
 ただし、HD-2D版ドラクエ3では、それ以前の10や11のキラキラ採集とはちょっと趣がちがう設定がなされている。
 
 ドラクエ10や11においては、キラキラ採集で獲得できるのは鉱物や植物だった。これを材料にしてクラフト(加工)をおこない、さまざまな有用アイテムを作っていくというものでした。
 
 HD-2D版ドラクエ3にはクラフト要素はほぼないから、キラキラポイントに材料を置くことはできない。なので、武器や防具や、回復アイテムが落ちているという形になっていた。
 
 なぜ武器や防具がそこにあるのかという説明が、きちんと作中にある。あれらは、道中に行き倒れた旅人の持ち物だったものである。あるいは、何らかの理由で持っていけなくなった荷物が置き去りにされたものである。
 そういう先人たちに思いをはせたうえで、ありがたくもらっておいて使いなさい、というようなメッセージが置かれている。このへんすごくいいよねぇ。
 
 じっさい、「前の持ち主」がしのばれるように置いてあるところが、じつにいい。そろばんとまえかけが落ちていたら、「ああ、旅の商人がここで旅を終えたのかな」と思う。鉄の槍と盾が置いてあったら、「戦士かな、もしくは僧侶かもな」と自然に想像できるのです。
 
 この、キラキラで取得できる武器防具が、ゲーム的にすごくありがたいので、私はかなり熱心に採集していました。
 そうしたら、意識がじわじわ変わってきた
 
 当初は、どっちかというと、自分を「お得なアイテムを探すスカベンジャー」のようなつもりでいました。
 だけど、先人たちの痕跡を拾い集めていくうちに、自分のやってることが、
 
「無数の死者たちをしのぶ巡礼の旅」
 
 だと思うようになってきたのです。
 
 志なかばで倒れた先人の姿を、そこに残された武具から想像する。
 そこに、なにがしか祈りのようなものが発生する。
 その武具を装備して、使うとき、彼らの旅の続きを、自分がひきついでいるのだという感覚が生まれる。
 
 自分のやっていることは、さまざまな人の「死のかたち」の収集だ。
 わたしは、進めば進むほど、死の匂いを濃くして、新たな地へと歩を進めるのだ。
 
 そういった感覚が生じたところに、「オルテガのゆくえを探す」という物語が乗ってくる。
 
 ドラクエ3は、「父オルテガが戻らない」という事実から話がはじまる。おそらく死んだのだろうという推定のうえで、その旅をひきつぐために主人公が家を出る。
 
 野山を分け進み、死者の痕跡を探し、祈りに似たものを感じることを繰り返しているうちに、私の意識はこうなっていく。
 
 あの山のむこうに光って見える誰かの旅の遺物は、ひょっとしてオルテガがそこで死んだことを示すものかもしれない。
 
 これは不思議な感覚で、ドラクエ3をこれまでたっぷりやってきたわたしは、オルテガがまだ生存していて、闇の世界を旅している途中であることを知っているのです。
 知っているのに、ひょっとしてここで死んだのはオルテガではないのかという感覚が生じているのです。
 
 これは死者の痕跡をめぐる物語だ。
 
 そして、このストーリーは、地面にあいた大穴に飛び込んで、闇しかない世界へゆき、死の権化が統べる場所へと向かう。
 わたしは死の匂いを少しずつ体にまとわりつかせた結果、死そのものを擬人化したような存在の前に立とうとする。
 その物語の果ての位置に、今まさに死なんとするオルテガを見出すのです。
 
 ここにきてわたしが連想していたのは映画『スタンドバイミ―』でした。この映画の主人公たちは、さまざまな危険な目にあって、それこそ死ぬような思いをして、自分の足で歩いて旅をし、その結果、目指してきた死体を発見する。
 そのいっぽうで、車に乗って、お気楽な音楽なんかをかけて、ご機嫌でやってきて死体を発見した主人公の兄という人がいて、それとの対比が描かれる。
 主人公のようにして発見した死体と、その兄のように発見した死体では、その意味合いが明確に異なっているはずだ、ということが映画で語られる。
 
 少しずつ先人の死の匂いを身体にまとわりつかせて、父の死を目撃して、そのうえで死の権化であるゾーマと直面する物語は、そうでない物語と対比して、肩にのっかってくる何かが明確にちがうなというのがわたしの感触でした。
 
 そのようにして体験の質がちがってきている以上、ここであらわれてきている「主人公像」も、おのずと異なってきていると感じます。
 
 HD-2D以前のドラクエ3の主人公像は、光の世界・生の存在の代表闘士となって、闇と死の権化と戦う、というヒーロー像でした。そういうティピカルなイメージでじゅうぶん間に合う、と考えてきました。
 
 でもHD-2D版の主人公は、こういう造形に見えました。
 
 死を内包していながら、生の存在であろうとする。
 闇を抱えてなお、光であろうとする。
 
 ひょっとするとそれは、FC版のころから、ひそかに握られていたイメージかもしれません。
 闇しかない世界アレフガルドと対置される上の世界は、光しかない世界ではなく、昼も夜もある世界でした。
 それに、死の権化ゾーマと対置される精霊ルビスは地母神、つまり「女である」ことが強調されたキャラクターです。
 世界各地の神話の地母神(生命や、世界そのものを産む存在)は、イザナミもそうですが、死や冥界とのかかわりが深いことが多いのです。女性は出産で死ぬことが多かったり(赤子の生と自分の死を引き替えている)、血を流すからでしょう。
 勇者と同様に、超自然の存在に選ばれた者だとされる「賢者」(賢者は神に選ばれし者、というセリフがドラクエ3にはある)は、シリーズが進むと、「光と闇との両方を内包した者だけがなれる職業だ」という説明が加わっていきます。
 
 HD-2D版の制作者たちが、そういうことを意図してキラキラを置いたかはわかりません。でも、わたしの体験としては、こうなっていました。それをお知らせします。このお話は、死の巡礼のはてに、生を見いだす物語だと。

(この記事が良いと思った方はXにてぜひシェアを![リンク]

«「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(9)

お知らせ

コメントに関するルール

  • 筆者が不適切と判断したコメントは削除し、理由の開示は行いません。これに同意できない方は、コメントしてはいけません。

コンテンツの無断使用に関するポリシーについて

リンク

  • mixi
    mixi内のブログです。内容はここと同一です。
  • 活字屋 あすか正太ウェブ
    小説家・あすか正太さんのWebページです。ライティング業のノウハウはすべて彼から伝授してもらいました。師匠です。
  • Other voices-遠い声-
    映像作家・新海誠さんのWebページです。新海さんの作品「雲のむこう、約束の場所」と「ほしのこえ」を小説化させていただきました。
  • 上海マスターのブログで情熱颱風
    BAR上海人形マスターのBlog。この人が作るお酒は留保なしにうまい。
  • BAR SHANG HAI DOLL
    洋酒が揃っていて、カクテルが旨くて、その上なぜかたこ焼きと鉄板焼が絶品な、不思議な店。ライブスペース、ギャラリーとしても利用できるそうです。