「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(7)
第三回で取り上げた、「さとりの書とけんじゃの石と賢者にまつわる話」の付け足しです。
(筆者は第三回の内容をとても気に入っています)
第三回の内容を前提とした上での話をしますので、まずはそちらを読んでいただくといいと思います。
最終的に、
「『鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ』に掲載された牛魔王っぽいボスモンスター『ボス その2』は何なのか」
という謎について、独自の答えを出します。
牛魔王っぽいモンスター『ボス その2』というのは、これ。
『鳥山明 ドラゴンクエスト イラストレーションズ』(鳥山明・集英社・2016年刊行)
※著作権法に基づく引用としての使用
ドラクエ3開発当時に、堀井さんからの発注で鳥山明先生が書いたボスモンスターなのですが、製品版では使われていません。ボツになったのです。
最終的に「これは何なの?」についての私の説を書きますが、そこにたどりつくまでに少々ややこしい話をします。
☆
なお当記事は『ドラゴンクエストミュージアム』にて展示されていた、ドラクエ3の最初期の制作資料から、(製品版とは違う)初期構想を読み解いていこうというシリーズです。
第一回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(1)
第二回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(2)
第三回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(3)
第四回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(4)
第五回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(5)
第六回はこちら。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(6)
※注:「ドラゴンクエスト」を、私がどういうふうに「読んで」いるのか、情報のスキマをどういう形で埋めて空想しているのか、ということを、自分勝手に語るエントリです。
こうにちがいない! ということではなく、こういうふうに捉えれば、読み手の私は心豊かなキモチになれますという、そういうニュアンスです。
小説版、外伝等は参照しておりません。
■千の顔をもつ英雄
ジョーゼフ・キャンベルというアメリカの有名な神話学者がいらっしゃいました(故人)。
若い頃のジョージ・ルーカスが、この先生の本を読んで、強い影響を受け、その理論を援用してスター・ウォーズの脚本を書いたというエピソードがものすごく有名です。
キャンベルの最大の功績は、世界各地の神話、とりわけ英雄譚には、きわめて似通った……というか、ほとんど共通といってもいい「型」(構造)がある、ということを発見したことです。
世界にはさまざまな文明・文化があり、それぞれ独自の英雄神話を持っている。でも肉付けをとっぱらって骨組みだけにしてみると、
「ほとんど全部、おんなじ話じゃないか」
ということがわかってくる。
だから、世界には千もの神話があり、何千という英雄が語り継がれているけれども、つきつめたらそれって実は、「おんなじ体験」をしている「ひとりの英雄」のことなんだっていう言い方ができちゃう。
世界中の神話を並べてみると、あまたの名前をもち、あまたの顔をもつ、たくさんの英雄がいるように見える。
けれどもそれらはなんと、「たった一人の英雄」がいろんな形で語られてるだけなんだ、っていう極論が成り立ってしまう。
ジョーゼフ・キャンベルは、これを「千の顔をもつ英雄」と呼んだ。
(この時点でもう、めちゃめちゃカッコイイ)
なぜこんなにも似通っているかというと、どんな時代のどんな地方に住んでいるかに関わらず、あらゆる人間がかならず体験する「原体験」を材料にして、これらの神話がつくられているからだ。
こうした神話のかたちは、「わたしたちの心」というものから自然にでてくるかたちであり、だからこそ万人の心をうつのだ。
それを言い換えるとこうなる。
「千もの神話に登場するたった一人の英雄」の正体は、わたしたち、つまりあなたなんじゃないの? と。
神話の英雄譚って、わたしたち、つまりあなたが、これまで体験してきたか、あるいはこれから体験することになる事件が先取りされているというものではないのか?
そういうスゴイことをジョーゼフ・キャンベル教授はおっしゃるのです。
(以上の要約は、今、一瞬でアウトラインをのみこんでもらうためにかなり大胆なはしょりかたをしています。本来の論旨を知りたい方は、キャンベル教授の『千の顔をもつ英雄』か『神話の力』を読んでください)
さて。
堀井雄二さんがこの話を知らずにドラクエ3を作ったとは、私にはとうてい考えられないのです。
■勇者ロトの千の顔
その英雄は、かつて世界の全部を支配していたという古い王国からやってきました。
(そう、つまり、ドラクエ3の主人公のことです)
その英雄は、ぬすまれたイタリアの王冠を盗賊の手からとりもどしました。
互いに反目しあう北欧のエルフと人間とのあいだに立って、仲裁をしました。
エジプトでは、動き回る死体たちがはびこる謎めいたピラミッドの探検を成功させ、はるかなシルクロードをわたって、ヨーロッパ・インド間の交易路を確立し、船にのればバスコ・ダ・ガマのように喜望峰をこえる航海探索をしました。
南米の王国では、王様に化けていた怪物の正体をあばく活躍をし、北の果てに住む老魔法使いと秘密の取引をし、呪われたローレライを天国に送りだすことまでしました。
伝説の不死鳥をこの世によみがえらせました。
この世のすべてを見下ろす竜の女王との謁見に成功しました。
そして日本に渡ってきて、悪竜ヤマタノオロチを退治し、かれは後の世に「スサノオノミコト」という名前で語り継がれました。
どれもこれも。
それぞれの地方で、伝説的英雄の物語として、永久に語り継がれそうな活躍です。
なんと驚くべきことに、
実はそれは、すべて、たった一人の人物がおこなったことだったのです。
そして。
ドラクエ3を最後までやった方はご存じだと思いますが……。
世界各地で英雄的行為をつぎつぎとなしとげた「たった一人の英雄」勇者ロト。その正体は、わたしたち、つまりあなただったのだ……という素敵なプレゼントが、この物語の結末にもたらされるのです。
『ドラゴンクエスト3 そして伝説へ…』の最終的なメッセージはこうだ。
「これはあなたについての物語であり、あなたの事績が、英雄伝説として不朽の価値をもって語られ続けるのだ」
■突き合わせは無限にできるが
ドラクエ3の上の世界が、現実の世界地図そっくりなのは、勇者ロトを「千の顔をもつひとりの英雄」にするためだと推定することができる。
ドラクエ3と『千の顔をもつ英雄』の突き合わせ、みたいな作業は、たぶんやろうと思えば無限にできそうです。
境界をまたいで、人間の無意識領域のような異世界(アレフガルド)に踏み込むこともそうだし、その異世界で、グレートマザー的な女神(精霊ルビス)の加護を得て、父なるもの(勇者オルテガ)と象徴的な意味での合一化をなしとげるんだから、もう、まったくそのものだ。
(つまり、個々のイベントだけでなく、ドラクエ3の物語全体を見た場合も、ジョーゼフ・キャンベルの指摘した神話類型にそったものになっている)
そういう突き合わせ作業は、まあ、気が向けば私がやるかもしれません。でも、直感ですけど、「ほら、ここも、ここも、こんなとこまで、全部ジョーゼフ・キャンベルで説明できちゃうよ!」という確認作業にしかならないような気がします。
ちっさな声でたびたび本音を言うのですが、そういう確認作業にとどまってしまうドラクエ論が多いような気がしていて、私はなるべくそうでないものを書こうとしています。
(なので、そういう確認作業にとどまらないものが掘り当てられそうな予感がしたら、やるかも)
それはともかくとして。
堀井さんは、以下のような裏テーマを握って、ドラクエ3を構想していたんだって推定することができます。
「世界中につたわる神話という神話、英雄譚という英雄譚を、すべて勇者ロトがなしとげたんだってことにしちゃおうぜ」
■西遊記としてのドラクエ3
ドラクエ3は、勇者ロトと三人のお供が、さまざまの危険な場所におもむいて戦う物語です。
主人公と三人のお供、というと、日本人がまず思い出すのは桃太郎。
でも、お隣の中国に目をむければ、同じように1人+3人で冒険する、とんでもなく有名な物語がありました。
それは『西遊記』です。
「世界中の英雄譚を一人の業績として包摂(包み込む・まとめること)してやろう」という裏テーマを握って、主人公と三人のお供が冒険する物語を作ろうとしている作者が、『西遊記』のことをうっかり見逃すというのは、ちょっと考えにくい。
堀井さんがドラクエ3を構想するときに、
「どっかに西遊記をモチーフにしたイベントを入れよう」
というアイデアを持っていた可能性はひじょうに高いと考えられます。
西遊記は、玄奘という仏教の僧侶が、孫悟空以下3名のお供をつれて、インドまで仏教の経典をとりにいくお話です。
ドラクエ3でいうと、主人公(勇者)が玄奘ポジション……としてもいいのですが、西遊記の主人公はなんといっても孫悟空。
そのいっぽう、ドラクエ3には、連れ歩けるお供のジョブとして「僧侶」がいます。
ドラクエ3は、初見プレイを僧侶(および転職後の賢者)抜きで走破するのは極めて困難なゲーム。つまりは、大多数のプレイヤーのパーティに、「勇者」と「僧侶」がいる想定が可能です。
ほとんど全部のパーティに、孫悟空としての勇者と、玄奘三蔵法師としての僧侶が、自然に含まれることになる。これは具合がいい。ナチュラルに西遊記ができそうだ。
さあ、どこにどんなイベントを置いたら、「勇者ロトの正体は孫悟空」になるだろう。
……インドに仏教の経典をとりにいく?
■さとりのしょとは何か
ドラクエ3には、ほぼインドをモチーフにした、バハラタという町が存在します。その北には、チベット仏教をモチーフにしたと思われるダーマ神殿があります。
この近辺に、仏典っぽいアイテムを置いて、それを取りに行くクエストを設置すれば、西遊記をモデルにしたクエストになる。
……ここで話は、第三回の内容に戻る。
ダーマ神殿の近くに、ガルナの塔がたっています。この塔のてっぺん近くに「さとりの書」が置いてある。
ドラゴンクエストミュージアムで展示された制作資料で判明した事実ですが、初期構想での「さとりのしょ」は、賢者に転職するためのキーアイテムでは「なく」、「僧侶の最大MPを10~15ポイントアップする」という効果だったのです。
僧侶の能力をアップグレードするためのアイテムだったのです。
「さとりの書」……?
皆さんご存じのとおり、仏教というのは、「悟りを開く」ことにフォーカスしています。人間が、認識力や思考の枠組みを高次元にアップグレードする、ということを目指している宗教なのです。
三蔵法師玄奘という僧侶が、はるばるインドまで旅して求めた仏教の経典というもの。
それって、やわらかめの言葉にひらいてみれば、こういう言い方ができるのではないでしょうか。「悟りの書」と。
■「ボス その2」の正体
ですからこう思うわけです。ガルナの塔にさとりの書が置いてあるという表現は、元はといえば、勇者ロトを孫悟空にすることを目的としたものだった、と。
ここで話は、冒頭で画像引用したボツモンスターにつながります。
堀井さんが鳥山先生に「ボスモンスター」として発注したキャラクター「ボス その2」が製品版では不使用となりました。
このキャラクターはいったい、どこで、どんなふうに使われる予定だったのか、気になってる人は多いでしょう。
「ボス その2」は、中国の武人のようでもあり、ならず者のようでもある格好をしています。ぶっちゃけた言い方をすれば、西遊記に敵役として出てきたらちょうどよさそうな外見をしているのです。
だから私の考えではこういう結論になります。「ボス その2」はガルナの塔にいて、さとりの書を我が物としている妖怪だ。こいつを孫悟空勇者ロトがやっつけ、僧侶玄奘は仏典を手に入れる。
そのことで「勇者ロトの正体は、なんと、孫悟空でもあったのだ」という形が手に入る。
「ボス その2」は、背後にスカイドラゴンを背負ってますし、ガルナの塔にはスカイドラゴンが出現しますから、その点でも蓋然性は高そうですね。
西遊記にも竜は登場しますし、スカイドラゴンは東洋風の竜です。西遊記を実現するためにワンセットでデザインが発注され、スカイドラゴンだけが残った、くらいにみておいてよさそうだ。
■追記1・「ボス その2」とカンダタ
屋上屋を重ねるかたちになりますが、この『ボス その2』。
このキャラクターがもしドラクエ3に実装されていた場合、
「カンダタ」
という名前で登場していた可能性があると思っています。
そういえばこの中華風の没モンスター「ボス その2」。構想段階での名前が「カンダタ」だったとしたらわりと整合しそうな感はある。#ドラゴンクエスト35周年 #ドラクエ35周年 #DQ35th #dq #dq3 #ドラクエ #ドラクエ3 https://t.co/s6CtWhoMoP
— 加納 新太 小説家・脚本家 アニメ『ラブオールプレー』各話脚本担当中 (@KANOH_Arata) July 23, 2021
この稿を読んでいる方には説明不要かもしれませんが、カンダタは、ドラクエ3で印象的に登場する大盗賊。
最初はロマリアの王冠を盗んでシャンパーニの塔に隠れていたところを主人公にとっちめられ、続いてバハラタ(つまりインド)で人さらいをして主人公にとっちめられ、最後はアレフガルドのラダトームに落ちていって、すっかり改心した姿であらわれます。
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(1) で簡単に触れたのですが、堀井さんの最初期のプランには、「シャンパーニの塔」は存在していなかったのです。
つまり「ロマリアの王冠を取り戻すためにシャンパーニの塔へゆき、カンダタをとっちめる」というクエストは、後のほうになって思いつかれて、付け足されたストーリーなのです。
(だから、クリアしなくても問題なくストーリーが進む仕様になっている)
その一方で、「バハラタでさらわれた娘を助ける」というクエストは、最初期から存在していました。
ですから最初期のプランでは、カンダタの初登場は「バハラタでの人さらい事件」であったと見なせます。
となると、最初期のプランでは、カンダタの悪事は一回こっきりだったのだろうか?
「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(3)を書いた時点では、私は「1回こっきりだったのだろう」と考えていましたが、ちょっと考えが変わりました。
そもそも「カンダタ」というキャラクターの元ネタは、芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』の主人公カンダタです。
(さらに元をただせば19世紀にヨーロッパで書かれた創作仏教説話だが、堀井さんが参照したのは芥川だろう)
芥川が書いたカンダタは殺しや火付けやさんざんな悪事をはたらいた大どろぼうです。悪事のむくいで地獄に落ちて苦しんでいたのですが、そんなカンダタにお釈迦さまがふと慈悲心をはたらかせ、地獄から救い出してやろうとするが……というお話です。
つまり元ネタにおけるカンダタは仏が救おうとした悪党で、仏教との関わりのなかで描かれたキャラクターです。芥川はカンダタがどこの国の人間かを明確にしていませんが、お話の設定やイメージからいって、読者の多くはインド人をイメージしていたはずです。
(たとえば夢枕獏先生の『陰陽師』に登場するカンダタは、インドからやってきて日本で客死した渡来人です)
前述のとおり、ドラクエ3の最初期のプランでは、カンダタの初登場はインドにあたる地域バハラタです。
そして『ボス その2』は、これも前述のとおり、「中国の仏僧がインドまで経典を取りに行くお話=西遊記』に登場したらちょうどよさそうな格好をしています。
なので私の想像はこうです。
「最初期のプランでは、バハラタで初登場する盗賊カンダタは、『ボス その2』の姿をしていたのである」
『ボス その2』の姿をしたカンダタは、インド周辺を根城にしている盗賊である。玄奘と孫悟空にあたる主人公一行がカンダタをこらしめる。カンダタは慈悲を乞い、主人公一行はこれを許す。
だがカンダタは悪党なので、そう簡単には改心しない。「こんどは失敗しねぇ」とばかりに、ガルナの塔にたてこもり、さとりの書を求めてやってくる修行者あいてに追い剥ぎ行為をくりかえす。
(『ボス その2』の見た目は妖怪なので、「修行場にやってきた僧侶を食う」とかでもいい)
インドの仏典=さとりの書を求めてダーマ神殿までたどり着いた主人公一行は、僧侶たちの修行場ガルナの塔が、悪党に占拠されていることを知る。ならばやっつけてやろうと出張っていってみれば、そこにいたのはこないだ許したはずのカンダタだ。
孫悟空にあたる主人公はもういちどカンダタをこらしめ、今度こそ改心させる。主人公一行はみごと仏典=さとりの書を手に入れる。
以上のようなストーリーを想定すると、
「カンダタを2回こらしめるという段取りを踏みたい」
「インドの悪党というカンダタのイメージを踏襲したい」
「主人公は孫悟空でもあったのだ、という見立てを作りたい」
という3つの条件が、いちどに成立します。
■追記2・なぜ、そうならなかったのか
しかし製品版ではそうはなっていません。なぜそうならなかったのか。
いちばん大きな理由として、まず、『ボス その2』の見た目が複雑すぎます。
これをファミコンの画面でドット打ちして表示しようとした場合、とんでもなく大きく表示されるキャラクターとなってしまう。
容量を食うのも問題ですが、「ゾーマやバラモスよりも巨大で威厳のある存在になってしまうおそれがある」。
おそらく、鳥山明先生からキャラデザインが上がってきた段階で、「これは実装できないね」という話になったはずです。
なのでやむをえず、カンダタの外見は、適当なザコモンスターから流用した。覆面パンツマンになってしまった。
もうひとつの大きな理由は、「堀井さん手書き文書」から推測する初期版ドラクエ3(3)で論じたとおり、
「さとりの書を、僧侶のパワーアップアイテムではなく、賢者に転職するためのアイテムに変更したので、『さとりの書=仏教の経典』という見立てが破綻した」
さとりの書を、仏教の経典として見立てることで、はじめて「主人公一行=孫悟空一行だ」という見立てが可能となります。
さとりの書が仏典でないのなら、主人公たちを孫悟空だとみるアングルが難しくなります。おまけに、インドか中国っぽいならず者としてデザインを発注した『ボス その2』が、ドットで再現するには複雑すぎてボツになった状態です。
こうなると、「主人公は孫悟空でもあったのだ」という仕掛けはあきらめたほうがいいな、ということになってくる。
孫悟空プランをあきらめるなら、ガルナの塔にボスがいる必要はなくなる。
ガルナの塔を「クエストで行く場所」と設定してしまうと、大多数のプレイヤーがガルナの塔に登ることになる。その結果、大多数のプレイヤーが、「なりゆきで」さとりの書を入手することになる。
さとりの書が「僧侶のパワーアップアイテム」だったときにはそれでよかったが、プランが変更されて、さとりの書は「賢者転職アイテム」になっている。
賢者については、なりたい人が自発的に「なる方法」を求めるようなかたちのほうがいいんじゃないか……といった判断があったかもしれない。
そういった判断で、「ガルナの塔に悪党が住み着いた」というクエストはお蔵入りにする。ガルナの塔は、「賢者になりたい人が勝手に見つけて登れば良い」という場所にする。
だが、「いちどこらしめられたくらいでは懲りない悪党カンダタ」というイメージはちょっと惜しい。カンダタの登場シーン、どっかにもう一つ作れないだろうか。
そうだ、ガルナの塔でやる予定だった「お宝をせしめて塔の最上階にたてこもる盗賊」というシナリオを、別の場所でそのままやればよい。
そういえば、ロマリアには何もクエストを設定していないし、フランス近辺に、何もないせいでプレイヤーが誰も足を踏み入れなさそうなフィールドがある。
この位置に塔を建てて、「ロマリアの王冠を盗んだカンダタがここに住み着いている」というクエストを作ればいい。
そんなわけで、シャンパーニの塔が後付けで建てられた……。
そんな感じで想像しておくと、いろんなところにうまくつながりそうだ、というお話でした。
(前述のとおり、堀井さんの最初期のプランに、シャンパーニの塔は存在しませんでした。ドラクエ3の全体像がだいたい白地図に書き上がってから、かなり後になって付け足されたことがわかっています)
■ドラゴン殺しのクエスト
紙数があまったので、「世界中の英雄物語を包摂する」という話にちょっとだけ付け足しをしときます。
『ドラゴンクエスト』というタイトルは、意味としては「ドラゴンを探し求める」。意訳して「ドラゴン退治」くらいに理解することができます。
ドラクエ1は、竜王を倒すことが最終目的でしたから、文字通りドラゴンのクエストでした。ドラクエ2は……これは説明すると長くなるから別の機会にまわしますが、かなり明白にドラゴンを退治するシーンが実はあります(そのうち書きます)。
ドラクエ3はどうでしょう。
竜の女王と面会するから、「ドラゴンの探求」ということでいいでしょうか。
もちろんそれでもいいのですが。
前述したとおり、ドラクエ3の主人公・勇者ロトの正体は、ヤマタノオロチを退治した英雄スサノオノミコトです。
つまりかれは、日本という国において、最も有名なドラゴンスレイヤーだ。
そしてもうひとつ。
ゾーマ直属の三悪魔。
そのうち二匹がバラモス兄弟(バラモスゾンビとバラモスブロス)なのはいいとして、なぜ三匹目はキングヒドラなのか。
ヒドラ(ヒュドラ)というのは、ギリシャ神話にでてくる怪物で、多頭の蛇。これを退治したのは英雄ヘラクレスです。これはかれの業績のなかでは一番か二番目に有名なエピソード。ヘラクレスはヒドラを殺したことにより、ギリシャ最強のドラゴンスレイヤーとなりました。
ドラクエ3のなかでは、キングヒドラと因縁をもつのは勇者オルテガ。勇者ロトの実の父親です。
勇者ロトは八岐大蛇という多頭の蛇との因縁を持ち、その父オルテガもヒドラという多頭の蛇との因縁を持つ。これが構造として意図されていないとはどうしても考えられない。
「世界中の英雄譚を包摂する」という、当議論の前提をふまえるとこうなります。「勇者オルテガはヘラクレスだ」。この形をつくるために、キングヒドラというモンスターを必要としたんだって私は勝手に思っています。
なんと、スサノオノミコトは、ヘラクレスの実の息子だった! という、神話コラボというか何というか、すげぇ真相が発生するのです。この想像は私にはたいへん愉快。
ドラクエ3は、指輪物語にかなり直接的な影響を受けてるだろう、という話は、前回にちょっとしました。
なので、ドラクエ3を乱暴にぎゅっと縮めて一言で言うと、こうなるのです。
「東西最強のドラゴンスレイヤー親子が、宇宙最強のサウロン的死人遣いを殺しに行くお話」。
堀井さんは、ドラクエ3を構想するとき、「最終的には、こういう形になったらいいなあ」というイメージをにぎって、物語を書き始めた……のではないかなあと思うのです。
「世界中の英雄譚を一人の業績として包摂」という裏テーマで個々のエピソードを積み重ねる。
その課程で、「ドラゴン殺しの英雄親子」という見立てを作る(この物語は「ドラゴン殺したちのクエスト」である)。
そうした神話的断片を統合して、ラストに向かって流れ込ませる際には、指輪物語の骨組みを利用する。
というのが、私がフワッと想像した、「最初期にプランニングされたドラクエ3の全体像」です。
以上です。
書きたかったことはあらまし書いたので、このシリーズはいったんクローズします。
でも何か思いついたら、ふいに付け足しを書くかもしれません(そういう場合が多いです)。