2011年12月13日 (火)

どうでしょうさんの腕時計とG-SHOCK遊環自作

 水曜どうでしょうさん(HTB北海道テレビ)とG-SHOCKの話の続き。

(どうでしょうのミスター鈴井さんの腕時計についてはこちら)
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/g-shock-5999.html
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-488b.html

●遊環を自分で作る

 腕時計のベルトの余ったところを留めておくループの部分、あれを遊環というそうですが、G-SHOCKはこの部分がすぐ壊れます。
 なぜなら、昔のG-SHOCKはここだけ安いプラッチックで出来ている。関西ふうに「プラッチック」といいたいような質感です(最近のはどうか知らない。改善したのかな)。これが日光に当たったりするとあっというまに劣化する。中古G-SHOCKで、まともにループが現存している個体、わりあい少ないです。

 CASIOさん的には、多少壊れてくれないと、買い替え需要が発生しなくて困るということかもしれない。むかしは遊環だけ取り寄せることができなくて、ベルトごと全交換だったらしいけど、さすがに今は、壊れても遊環だけを買うことができる。

 が、送料を負担して遊環を買うと、けっこうバカバカしいようなお金がかかってしまう。私は腕時計の遊環が壊れたら、黒いゴムひもをくくるか、結束バンドを巻いて適当に代用しています。

 今回もそうしようとしていたんだけれども、「こうやって遊環を自作すればよい」と勧めているブログを発見し、それが大変良さそうだったので、まるのまま真似してみた。
 http://blogs.yahoo.co.jp/takeshi_278/61694154.html

 やりかたは簡単で、手芸屋さんに行き、「PPベルト」というものを買ってくる。PPとはポリプロピレンのことで、つまり合成素材です。これを適当な長さに切って、切り口をライターであぶって溶かしてほつれ留めにし、時計のバンドに巻いて、手持ちの接着剤でくっつける。That's all。作業時間3分。接着固定時間が1日くらい。

 そのPPベルトとかいう特殊っぽい材料はなんなんだって思いますが、何のことはない、どこにでもある。ようするに、手提げカバンの持ち手のとこに使われている平たい紐です。手芸が趣味で、布のカバンなんかを自分で作る人は、そういうものを買ってきて加工して持ち手にするわけだ(初めて知りました)。
 値段は私が買ったのは、メートル売りで63円。百円ショップにも売っていそう。

K3200012

 こんな感じになる。デザイン的にもぜんぜん問題ない。プラッチックのオリジナルよりもちょっと洒落ているほどじゃないかな。

 今回、ほとんど初めて手芸用品店という場所に行ってみたんだけれども、なかなか面白いところですね。工作の材料に使えそうなものがいっぱいありました。ホームセンターよりも良いものが手に入る可能性もありそう。
 皮ベルトのメートル売りもあったので、皮バンドの遊環も自作可能であることが確認されました。またこんどふらっと遊びに行ってみよう。

●どうでしょうさんたちの腕時計(未整理)

「コスタリカ」でロレックスの話題が出てくるので、ミスター鈴井さんの腕時計はロレックス、というのは有名なんだけれども、「ロレックスの、どれ」を着用されているのかが、ちょっとわからなかった(テレビは画像が粗いので)。
 いちおう、「銀色の三連ブレス」「文字盤は黒」「三時位置に拡大鏡付きのカレンダー」というあたりは特定できていたので、「オイスターパーペチュアルくらいかな?」と推理していました。

 そんなおり、ふと「そうだ、写真集に写ってるんじゃないか」と思って、ぱらぱらめくったら、きれいに写っているスナップ写真があった。それでやっとわかりました。ミスターのロレックスはダイバーウォッチですね。ブラックベゼルのサブマリーナです。彫りが浅く、回転ベゼルが細めのやつ。(そしてカレンダーは見間違いで、ついてませんでした)
 良いなあ。私も欲しい。
 どうでしょうさんは、企画で川くだりをしたり、船を仕立てて海釣りに繰り出したりするわけなので、防水性能を第一に考えるのは、理にかなっているような気がします。

 ミスターさんの腕時計は、ざっとまとめると、以下のように変遷していきます。

・初期に着けている「アルバA.K.A.」の楕円オレンジモデル。(サイコロ2、オーストラリア、カントリーサイン1など)
・黒文字盤、黒ベルト、シルバーベゼルのごつい腕時計、正体不明。(ヨーロッパ1ほか)
・「G-SHOCK DW-6600B」バックライトボタンがオレンジのもの。(東京ウォーカーからアラスカくらいまで)
・「ロレックス サブマリーナ」。(アメリカ横断以降)
・またまた「G-SHOCK」。二重クロスベルトのモデルで、たぶんDW-6900BD-1Tか1VT。南国で汗をかくので布ベルトの時計を選んだものでしょう。(ベトナム縦断)

 初期の時計がオレンジ色の文字盤で、中期の時計がオレンジアクセントのG-SHOCKなのは、偶然ではないような気がします。どうも鈴井さんは、オレンジ色が好きみたい。
 着ている洋服をみても、黒のジャケットの下に、茶みがかった渋めのオレンジのインナーを合わせる、みたいな着方をすることが、ミスターさんは多いです。ちょっと朱色とかオレンジをアクセントに使うのが好きなのね。そういえば喜界島やユーコンで着ていたアディダスも、黒地に赤系のアクセントでした。

 そしてミスターさんの時計は、私くらいのほとんど素人でも、「あ、これは」とわかるようなメジャーなものが多い。
 また、ミスターさんは、いちど時計を変えたら、ほとんど元には戻さないので(昔の時計を引っ張り出してきてまた着けたりすることがほぼない)、「あ、時計が変わった」とわかりやすい。数えやすい。

 そのいっぽう、大泉さんは、気分によってアレをつけたりコレをつけたり、せわしないし、ぱっと見ただけではどこの何の時計かわからないものが多い。持ってる時計の数も多くて、把握がむずかしいのです。ハッキリと型番までわかっているのは、ジャングルリベンジのDIEZELくらいですよね。

 大泉さんの時計の趣味は、見ているとけっこうおもしろいです。
 基本的には、大泉さんは、ヴィレッジバンガードあたりに売っていそうな、変わった形のファッショナブルな時計が好きっぽい。
 でも、オーソドックスな形の時計もけっこうたくさん持っている。
 ただし、そのオーソドックスな時計は、文字盤が必ず色つきのものを選んでる。形がふつうの時計で、色もふつうっぽい白や黒っていうようなのは、大泉さんはほぼ身に着けない。

 例によって、粗い画像のなかで、目を凝らして見ているので、取り違えがあるかもしれないんだけど、どうでしょう当時の大泉さんは、グリーンの文字盤の時計を2本、ブルーの文字盤の時計を2本持っていますね。たぶん、それぞれ、普通の三針がひとつと、クロノグラフがひとつ。
 完全にオーセンティックなものは選ばず、おとなしいデザインの時計でも少しズレたものにするあたりが、大泉さんっぽい。

 私は基本的に、自分では丸型の時計しか買わない人なのだけれど、大泉さんの時計を見てると、ちょっと変なデザインの時計もいいな、買いたいなと思えてくる。

 私が「このデザインすごくいいな、欲しいな」と思った腕時計は、これ。

Oizumi_alaska01

「アラスカ」近辺の企画で大泉さんが着用している時計なんだけれども、白地に中央が黒くて、レトロフューチャーっぽいデザインで、かっこいい。
 本体から黒ベルトまでの間に、金属部品が大きく張り出しているんだけれども、おもしろいことに、この金属張り出し部分、6時方向側にしかない。
 つまり、下側のベルトには、こういう「半・金属ベルト」っぽいパーツがついているけれども、12時方向の上側のベルトには、こういう部分はなくて、いきなり革ベルトが始まっているのです。非対称なんですね。

 それによって、この腕時計は、金属部分が涙のしずくのような形、ティアドロップ型になっているのです。
 いや、この時計はレトロフューチャーっぽいから、「尾を引く彗星の形」とか、「隕石が落ちてくるような形」とか表現したほうがいいのかもしれない(そういった意図のデザインでしょう)。
 いったい、どこで見つけて買うんだろう、こういう時計。これと同じものがひとつ欲しい。でも正体がわからないので買いようがない。

 そして、こういう洒落たワンアクセントのファッションを身につけていながら、喋っている内容は、「僕の作ったエビチリは、エビチリを超えた何かだったねェ」というダミ声トークだったりするあたりが、なんというか、それ魅力だ。

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2011年12月10日 (土)

『水曜どうでしょう』のミスター鈴井さんのG-SHOCK

 HTB北海道テレビのバラエティ『水曜どうでしょう』の第3期DVDボックスを買ってまとめ見した。
 出演者の“ミスター”鈴井さんが、G-SHOCKを着けていることに気づいて、そのことに納得した。どうでしょうは無茶な冒険をする番組だから、軽くて丈夫で身につけていてラクなG-SHOCKは理に適っている。バックライトがついているから、深夜バスに乗っていても時間を確かめることができる(これ重要)。

 最近、腕時計がちょっと好きなので(大好きというほどではない)、人がどんな腕時計をしているかは気になってしまう。鈴井さんが、「どの」G-SHOCKを使っているかは、ひょっとして調べれば特定できるかもしれない。

 画面を一時停止してジッ……と観察したところ、特徴は3つあった。

1.色は黒で、表示窓はカマボコ型。
2.6時位置に、かなり目立つオレンジ色のボタンがついている。
3.丸形インジケーターはついてない。

 以上の手掛りをもとに、1時間くらいネットで調べたら、わりとすぐ特定できた。これでしょう。
 DW-6600B-1A(94年発売)
 http://product-search.casio.jp/wat/g-shock/watch_detail.php?m=DW-6600B-1A&n=78

 90年代のG-SHOCKスタンダードモデルのひとつですね。初めてELバックライトが搭載されたタイプだ。長いあいだ生産されていたようで、これをベースにしたレアなノベルティ版もいっぱいあるし、同型の海外版は米海軍の特殊部隊SEALSにも支給されているらしい。つまり、元祖「コンバットカシオ」。
(G-SHOCKは世界中の軍隊で愛用されているそうです)
 第二シーズンのジャック・バウアーも、これの海外版(グレーボタンのやつ)を使っていた。

 鈴井さんがこれを着けはじめるのは、「サイコロ4」の前枠からで、企画的にはおそらく「東京ウォーカー」から。
 その後、「マレーシア」「桜前線捕獲大作戦」「サイコロ5」「香港大観光」「アラスカ」でも同じG-SHOCKを身につけて出演し、「アメリカ横断」からはおなじみのロレックスを使い始める。

「サイコロ4」が98年1月で、アラスカが98年12月なので、鈴井さんは98年いっぱいG-SHOCKを愛用していたことになる。
 G-SHOCKブームは、96年ころに始まり、99年ごろまで続いたとされているので、まさにちょうど、G-SHOCKブームのさなかにG-SHOCKを使っていたわけですね。というか、『水曜どうでしょう』は96年スタートなので、どうでしょうさんの前~中期はほぼぴったりG-SHOCKブームと一致する計算になる。(2000年春に原付西日本があって、そこでどうでしょう中期が区切りになる)

 それだけのことがわかって、わりに満足した。
 どうでしょうさんは、民生用ビデオカメラで撮っている番組だから、画像は粗い。その中からコマ送りで調べたのは、それなりに手ごたえのある作業で、「こんなこといちいち調べるファンはあまりいないだろう」と自己満足していた。のだが……。
「アラスカ」を見直していたら、もう調べる必要もないくらいG-SHOCKが大写しになるシーンがあった。いたくガッカリしてしまった。あの苦労はなんだったんだ。

Cuzui_alaska01

 これもう、オレンジでカマボコで、なんて、特徴を挙げる必要は皆無だね……。早くこのシーンを思い出せていれば、時計の映ってるシーンを探して静止するなんていう作業は必要なかったのに。ようするにこのG-SHOCKは、アラスカで大泉さんがビーフンみたいなパスタを作ったとき、その「茹で時間3分30秒」を計った時計であったわけだ。

 くやしかったので、記念に、中古で同じ時計を探して買うたった。

K3200013

 さすがに15年以上前の中古時計。全体が酸っぱい匂いにつつまれており、ちょっと触っただけで両手まで酸っぱい匂いになり、腕に巻くと、手首が痒い。これまでいくつも中古時計を買ってきたけれど、ここまでのものはなかった。

 アルコールティッシュでどんなに磨いても改善しなかったので、竹炭に巻きつけ、紙に包んだ重曹といっしょに数日間タッパーに封印した。多少、匂いは収まったが、痒くなるのは改善しなかったので、ベルト外し工具と精密ドライバーを買ってきて、ベルトを外してベゼルを脱がせてみたら、中身が汗でカビていました。
 使い古しの歯ブラシを使って、重曹と洗剤で1時間くらい磨いた結果、見違えるほど綺麗になりました。やっと身につけられます。ベルトループが脱落してしまっているので、これはあとで自作する予定。

 古いデジタル時計で、いまさら大事に使うでもないので、これはベルト外しの練習用などに使い倒します。電池が切れたら自分で交換するのにも挑戦するつもり。

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2011年11月18日 (金)

水曜どうでしょうのミスターが着けていた腕時計

 またユーズドの腕時計を買ってしまった。オレンジ色のなかなか派手なやつ。製造番号から、製造年をわりだしてみると、97年に作られたものらしいので、14年前のものですね。そのくらいのものになると、ヴィンテージというのでもないし、ソーラーも電波もついてないしで、「中古としても微妙なもの」という扱いになるので、安く買えますね。遊びとして買うには手頃で、おもしろいのです。

 こんなの。

K3200006_2

 これは、狙って探して購入しました。というのも、HTB北海道テレビの『水曜どうでしょう』で、“ミスター”鈴井貴之さんが着けていたのと同じ時計なのです。鈴井さんは番組後半では、ロレックスとか、ブルガリを身につけているらしいのですが、ごく初期にはこのオレンジのやつをはめていました。サイコロ2、オーストラリア縦断、カントリーサイン1で確認できました。
 ほら、これ。ね?

Mr02b_2

 だけど、実物を手に入れてみると、誰のゆかりのものだとかはどうでもよくなりました。質感が良くて、きれいなんですよ。文字盤が鮮やかで、風防はレンズっぽくふくらんでいて、宝石っぽいニュアンスがある。このきらきら感は、デジカメではどうしても伝わらないのが残念。
 電池を入れに行った時計屋のおばちゃんも「まぁ、きれいな時計!」って感嘆していましたね。でもその時計屋は裏蓋を開けることができず、結局ヨドバシで電池交換しましたけど。「店の外壁に動く巨大時計を掲げている時計屋は信頼できる時計屋だ」っていうジンクスを聞いたことがあるんだけど、あれ嘘でっせ。

 そういうわけで、腕時計のローテーションに新たな一本が加わりました。これはクオーツ式だから、自動巻時計を優先して身につけることにしているから、週に1回くらい身につけるレアポケモンみたいな出現頻度になりそうです。

 ちなみに、どうでしょう関係では、ジャングルリベンジで大泉さんが着けていた時計の型番は判明していて、DIESELのDZ2054というそうです。でも、これはもう手に入らないらしい。
 カントリーサイン2以降に出てくる緑色の時計や、アラスカ前夜の打ち合わせシーンで身につけられているモノトーンの時計の正体は、ネット上でもまだ不明みたいです。私も軽く調べてみたんだけれど、わかりませんでした。DIESELのやつは、私には似合わなさそうだけれど(といいつつDIESELの黒革のデジタル時計を一本持ってるけど)、緑色のきらきらした時計はちょっと欲しいかなって思っています。国内メーカーだったらカシオかオリエントっぽいかなあって推測したんだけれども……。

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2011年11月16日 (水)

大人になってからプレイするドラクエ4(下)

 第1回はこちら。
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-abe9.html
 第2回はこちら。
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-b169.html

 ドラクエ4には、わかりやすく、美しい対比が、いくつも仕込まれていて、それがここちよい。

 RPGの文脈では、「魔王と勇者」が対比されやすい。魔王を勇者がやっつけるお話だから、それは当然なのだけれど、ドラクエで厳密に考えると、ちょっと変かなと思えるところがある。

 というのは、ドラクエは、お城の王様に会って「魔王を倒してこい」と言われるところから始まることが多いからだ。
 お城の王様の謁見場から話は始まって、海を渡った向こうに見える、あの魔王の城に行って、魔王をどついてきたら終わり、というお話だ。

 人間の王様の前から始まって、魔界の王様の前でおわる。
 そしたら、魔王と対置するべきものは、人間の王、いわば「人王」とするのが筋なんじゃないだろうか。
 ヤクザの抗争に例えれば、魔王は魔界組の親分、人王は人間組の親分だ。この2つの組はナワバリをめぐって対立している。人間組の人王親分が、あいつのタマぁ取ってこい、といって、ドス持った鉄砲玉を差し向ける。それが勇者だ。

 そういうことで、魔王と鏡うつしになるのは人王だとする。
 となると、勇者は何と対比させたらいいんだろう。
 勇者と対置するものが魔王でないとするなら、何だろう。
 たとえば、魔界側にも、勇者のような存在があって、魔王から「あの城にいる人間の王を始末してこい」なんて言われていたりするんじゃないだろうか。

 といったことを、堀井雄二さんが考えたか考えなかったかは定かではないけれども、ドラクエ4では、魔界の勇者ピサロというキャラクターがいて、すごい存在感をはなっている。

 じっさいに、ピサロとその手下は、人間の王様を何人か、片付けたりさらったりしている。
 その一方で、プレイヤーが操る人間側の「勇者」は、魔界の王エスタークを、物語中盤で倒してしまう。本来なら、最後の最後でやっと倒すような大物を、ストーリー半ばで片付けてしまう。
 魔界側の勇者は人間界の王を仕留め、人間側の勇者も魔界の王を仕留めて、抗争は一進一退、といったかたちを見ることができる。互いの組の鉄砲玉が、大物のタマを取り合って痛み分けといったところだ。

 そして物語は最終的に、ピサロと勇者が相打って、はたしてどちらが勝利するのか、というクライマックスになだれこむ。魔王vs.勇者、という、従来のドラクエの不均衡な対決ではなく、魔界の勇者vs.人類の勇者、という最終決戦をドラクエ4は提示する。

 しかも……これはやった人が誰しも気づいていると思うけれど、ドラクエ4は、ピサロと勇者に、まったく同じ心の傷を与えている。
 勇者には、シンシアという恋人がいたが、彼女はピサロに殺される。
 ピサロには、ロザリーという恋人がいたが、彼女は人間に殺される。

 同じ境遇をあたえて、鏡うつしのようにする。相手を憎めば、それだけ相手のことがわかってしまう。同じ境遇だから。
 そんな2人が、最後に打ちあう。どちらが勝っても、片方の復讐は果たされることになる。

 そういう、ちょっと苦いお話が語られて、その苦さがまたいいんだけれども。

     ☆

 リメイクされたPS版では、第6章ピサロ編というのが追加された。
 これは、メインストーリーが終わったあと、勇者とピサロが仲間同士になって、本当の黒幕であるエビルプリーストをやっつける、めでたしめでたし、というお話でした。ロザリーが殺されたのはエビルプリーストの陰謀であって、それはピサロに絶望を与えて魔王化させるためだったのです。
 これは、少年ジャンプ的な高揚する展開で、楽しく遊んだんだけれども。

 あとになって、やっぱりちょっと、うーん……と思ったのだった。

 もし私がシナリオライターだったら、勇者とピサロが同行するのはよいとして、エビルプリーストを倒したあと、もう一度、勇者とピサロを対決させてしまうと思う。
 そんな簡単にわだかまりを払拭できるもんか、と考えて、そうしてしまうような気がする。たとえば以下のような感じ。

 ……いちばん悪いのはエビルプリーストだ。それはピサロにはわかっているし、勇者にもわかっている。
 それはわかっているのだけれども、それでも、ロザリーを殺したのは人間なのだし、シンシアを殺したのはピサロなのだ。
 そこをのみこんで、手をとることなどできない。
 目の前の相手がいちばん悪いわけではないし、相手にも悲しい事情があったことはわかっている。わかっているどころか、その気持ちをいちばん身にしみて理解できるのはこの自分だ。
 それでも。
 それでもやはり、こいつと手を取り合うことはできない。

 そういうふうにして、もういちどこのふたりで決戦させてしまいそうだ。

 FC版のクライマックスで、勇者の前にあらわれるピサロは、憎しみのあまり、怪物化して、自我をほとんど失い、ただの戦う機械のようになってしまっている。
 それは、「どんなに感情移入できても、もうピサロは倒すしか方法がない」という状態にすることで、プレイヤーがわだかまりなく、迷いなくラスボスと戦えるようにするためだと思います。(ドラゴンボールでも、わりとそういう処理が頻出しますね)

 本編ラストがそうういう感じなのだから、追加シナリオである第6章では、自我を保持した、知性のあるピサロとあえて戦い、ついに決着をつける……そういう展開を見たかったなという気持ちが、けっこう強くあります。自分だったらそういうふうに書いてしまうだろうと思う。
 第6章は、進化しすぎてもはや自我を無くしたピサロを怪物としてやっつけるのではなく、自分自身を取りもどしたピサロを、一人の人物として扱い、それでもなおピサロと決着をつけねばならない物語であってほしかった、と、思うのです。
 そうは思うのだけど。

 でも、PS版ドラクエ4が、そうならなかった理由は、よくわかる。
 一言で言うと、私が言ってるのはこれは、ファイナルファンタジーの方法論だ。

 そんなような、めんどくさい場所にプレイヤーを連れて行ってジレンマで立ち止まらせたりはしない。そこが良くて、ドラクエは愛されているのですね。
 悪い奴を気持ちよくやっつける、というわかりやすさを、時々ふらつきながらも決して外さないところが、ドラクエのドラクエたるゆえんなのです。ドラクエ4は、そのスタンスがかなりふらついている(あえてふらつかせている)けれど、最後の最後で、ぴしっとその一線はまもる。
 堀井雄二さんは、前3作で王道すぎるほどの王道をやった結果、そこから少しズレたくなった、その気持ちの反映がドラクエ4の物語であり、またピサロという「人として気持ちを理解できる」悪役の存在なのだと思うのだけど、それでもドラクエ4は、「やっつけるべき敵を、迷いなくやっつける」というラインを外してはこない。

 それは実に凄いことであって、ちょっと私なんかは永久に真似できないかもしれない。堀井雄二さんの書くものには、明らかな屈折が感じられると常々思っているのだけど、そういう物語の大きなところでどうして屈折せずにいられるのかなということを不思議に思っています。
 でかいな。


追記
 ドラクエが第4作めで「魔王というのは、いったいどういう存在なのだ?」ということを描くことになったのは、「ウィザードリィ4」のオマージュ的な意味があったのでは、という考え方もできるかもしれない。ウィザードリィ4は、前3作とは趣向が異なり、プレイヤーが魔王になって地上を征服しにゆく物語です。ドラクエ4を作るとき、「Wizは4で何を描いていただろうか?」というリサーチがあった、という想像はそれほど難しくない。

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2011年11月15日 (火)

大人になってからプレイするドラクエ4(中)

 ドラクエ4に感動した話の、つづき。

 前回はこちら。
 http://kanoh.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-abe9.html

     ☆

 とくにすごいと思ったのは、ドラクエ4は、かなり壮大な物語であるのに、「ことばで物語を語る」割合が少ない。
「ことばではないもので物語られている」部分が、とても多くて、そういうところにとても心打たれた。

 ことばでないなら、何で語っているのか。
 それは、「ゲームで」語っているのです。

     ☆

 まず前提として、ドラクエ4の主人公は、ドラクエシリーズ初の「制度としての勇者」であるというお話をします。

 ドラクエ1から3までの主人公は、とくべつ、神がかったような設定はありません。

 先祖や父親がひとかどの人間で、その血をついでいる、といった設定はあるものの、基本的に、
「君たちは腕っ節がつよいんだから、世界のこまりごとをなんとかしてくれまいか」
 と王様から頼まれて、それで冒険して、結果的に世界を救うことになる。
 人間社会の中で、強いやつが、その強さを見込まれて、それで実際に成果を出す。そういうお話になっている。

 このときの、「世界のこまりごと」は共通していて、「魔王がこの世を支配しようとしている」というもの。
 魔王について詳しいことは、とりたてて、語られない。どこから来たのかわからないし、なんでまた世界を暗闇に閉ざしたいのか、その動機も、ユーザーにはわからない。そういったことはまるっきりとっぱらって、「とにかく人類社会を深刻におびやかす巨大な悪そのもの」というふうに位置づけられて、ゲームの中の最終地点にどかっと存在する。
 ドラクエ1~3の魔王とは、「そういう役割としてそこに置かれているもの」。いわば、「制度」としてとにかくそこにあるものなのです。
 ドラクエ初期3部作のラスボスは、「制度としての魔王」である、という言い方ができます。
 そういう制度的な魔王を、人類社会の中から見込まれた若者が、少しずつ力をつけて、冒険に冒険を重ねて、何度も死ぬ目にあって、さまざまなドラマがあって、いろんなことがあってついにやっつける。
 そういう形になっていました。

 ドラクエ4は、その逆です。

 魔王……というかラスボス(最終的な敵)、ピサロのドラマが、語られていきます。魔界の首領ピサロはどういう者なのか。どうして人間を憎み、どうして人を滅ぼしたいのか。その事情が、理解できるかたちで、共感さえ呼ぶようなかたちで、語られていく。
 それまでのドラクエが、「理屈ぬきにしてとにかく魔王」だったのに対して、ドラクエ4のデスピサロは、「いろんな事情があり、ドラマがあり、感情があって、もう魔王になるしかなかったから魔王」なのでした。

 そのいっぽうで、ドラクエ4の主人公「勇者」は、「もう理屈はぬきにしてとにかくアンタは世界を救う運命を帯びた勇者」と決めつけられるところから始まります。
 勇者を育てた村の人は、「おまえはやがて世界を救う勇者なんだよ」と口でいいますし、世界各地の街の人々は、「どこかで世界を救う伝説の勇者が育っているらしい」などという予言を口にします。
 勇者という制度がアプリオリにあって、それにあてはまる人物がそのワクにカパっとはめ込まれる。そういったかたちで、プレイヤーは問答無用で勇者業をいとなむことになります。
 まるで、従来のドラクエの魔王が、制度的に魔王業をやってたのと同じノリで、制度として勇者というクラスが存在しています。

 これは意図的に堀井雄二さんが、「それまでのドラクエを反転してみよう」と思ってそうしたはずです。
 ドラクエ初期三部作で、言い方はちょっとあれですが「テンプレート的な魔王と勇者」をたて続けにやった結果、
「魔王って、なんなんだ? 勇者って、どういうことだ?」
 そういうことを考えざるをえなくなった。それで、「これまでやってきたことを、反転させてみよう」ということになった。その産物がドラクエ4だろうと思います。

 さて、堀井雄二さんは、
「この人はもうとにかく理屈抜きで勇者なの。超すごいの」
 ということを、ユーザーに認めさせ、納得させる必要に迫られたことになります。

 制度的魔王の場合は、最後にちょろっとしか出てこないのですから、ハッタリひとつで何とかなりました。けれど、こんどは勇者です。ユーザーの分身です。常に画面に出ている人です。いったいどうすればいいのか。「あなたは勇者ですから」と村人に連呼させれば良いのか?

     ☆

 村人のセリフを使って、ことばで説得してもいい。けれども、これはゲームなんだ。ゲームならではの説得のしかたがあるはずだ。

 第4章は、殺された父親のかたきを探し求める姉妹が主人公。「モンバーバラの姉妹」と呼ばれている。
 この挿話で、姉妹は「やがて運命の勇者に出会うだろう」と予言されるのだけど、それは、どうでもいい。

 この第4章は、とても難易度が高いエピソードです。モンバーバラの姉妹はあまり強くないし、なのに、登場する敵が強い。
 コーミズ西の洞窟、という迷宮があって、姉妹は低レベルのうちから、そこに入って行かなくてはならない。この洞窟は、3章までに出てきた初期迷宮と比べて、段違いに敵が強いし、内部も広い。そしてモンバーバラの姉妹はあまり強い防具を装備できないので、やたらダメージを食らう。
 姉妹は弱いのに、迷宮はすごくタフ。
 あきらめて途中で引き返し、何度も出直して挑戦しなければならない。全滅してしまうことも珍しくない。
 さんざん苦労する。
 ものすごく、クリアしにくく作ってある。

 そうして、洞窟の最深部に、息も絶え絶え到達すると、姉妹はオーリンという知人に再会する。
 この人は、姉妹の父親の弟子だった人で、かたきうちに協力してくれる。
 オーリンは腕っ節がつよくて、装甲も固く、すばらしく頼もしい。

 どのくらい強いかというと、モンバーバラの姉妹が必死になって抜けてきた洞窟は、オーリンひとりが仲間になったとたん、やすやすと通行できるようになる。敵の攻撃はオーリンが装甲でうけとめるし、さえぎるモンスターを、鉄の槍でどんどん蹴散らしてしまう。
 世界が広がる。どこへでも行けて、何でもできそうに思える。
 あの悪魔じみたタフな洞窟が、うそみたいに簡単な場所になる。

 もう、オーリンさえいれば大丈夫だ。
 姉妹は、頼もしい仲間を得て、父のかたきキングレオに戦いをいどむ。

 けれど、あんなに強いオーリンがいても、それでもなお、キングレオに勝つことはできないのです。
 あのオーリンがいてくれても、だめなのか。

 そして。
 オーリンを失った姉妹は、失意のうちに、別の国へと逃げます。
 そしてその地で、旅だったばかりの、レベル1の勇者に出会うわけです。

 モンバーバラの姉妹は強いキャラクターではないのですが、いくつかの迷宮をくぐりぬけ、魔法の呪文もおぼえ、武器も充実して、そのころにはけっこう戦えるように成長しています。
 それに対して、出会った勇者らしき子は、レベル1のもやしっ子。
 ひょろひょろの、へろへろ。
 後列に置いて、姉妹が守ってあげないと、ばたばたと死にます。
 あの力強いオーリンのかわりに入ってきたのが勇者なのですが、なんというか、たよりないったらない。

 けれども。
 オーリンがいて、それでも倒せなかったキングレオは、この勇者となら倒すことができるのです。
 姉妹とオーリンで倒せなかったキングレオは、姉妹と勇者でなら打ち砕ける。
 最初からあんなに強かったのにオーリンではだめで、最初からあんなに弱かったのにこの子とならできる。

 その体験をしたとき、ただ腕っ節が強いだけではない、それに加えて特別な「何か」を備えた存在……「運命の勇者」というポジションが、無言のうちに、浮かび上がってくる。
 そういう仕掛けなのです。

 この流れは、いっさい、「ことば」によって支えられてはいません。
 ほぼ、全てが、「ゲーム」そのものによって支えられています。

 死ぬ思いをさせられる洞窟。
 その洞窟をやすやすと渡らせてくれる強いオーリン。
 その体験。
 なのにオーリンでも勝てないキングレオ。
 そのキングレオを討ち取ることができる者。

 それだけの起伏、ドラマが、ことばによらず、「ゲームバランス」だけで描き出されている。
 こうして文章で説明すると、なんだ、そんなことかって感じもしそうなのですが、これには本当にびっくりしたのです。どうしてPS版では気づかなかったんだろう。

 ゲームが物語っている。

 ゲームの中のことばが物語っているのではなくて、ゲームが物語っている。ことばで物語を語ってしまうなら、ゲームである必要はない。小説でもなんでもいい。ゲームで物語るなら、ゲームでしかできない物語りかたがあるはずだ。
 それを見ました。

 ゲームバランスというものは、それがそのまま、物語として機能しうるものなのだ。
 ゲームシステムという土台の上に、物語がトッピングとして乗っかっているのではない、ゲームシステムがそのまま物語であることはできる。
「ゲームバランスが、物語をかたちづくっている」

(つづく)

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